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メディアグランプリ

春だから、別れを告げた


記事:大場 理仁さま(ライティング・ゼミ)

*この文章は、「天狼院ライティング・ゼミ」の受講生が投稿したものです。
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「さようなら」と僕は呟いた。

「どうして?」と困ったように僕に問いかけてきた。

どうしようかと僕は困り、次の一言を思い巡らせている。

 

どうすればいい? どうすればこの別れを円満かつ素早く終わらせられるだろうか。

 

この話がどういう話かということは、すでに読んでいるあなたも、もしかしたらお気づきだろう。別れ話だ。しかも、こちらから別れを切り出すパターンのやつである。好きだと告白するのが1番勇気のいることだと高校生くらいまでは思っていたが、そうではないことに大学生になってから少しして気づいた。実は、別れ話を切り出すことの方が勇気が必要だ。エネルギーが必要だ。だから、僕は別れたくなったら、自然と距離を取りはじめ、こちらの感情を察してもらってから別れを切り出す。そうしたら相手も理解してくれやすく、すんなりと話がすむ。だけれど、今日は違う。

 

「わかってくれないかな。もう春なんだよ。こういう関係をいつまでも続けたってさ」と僕は少し呆れた顔で伝える。「でも、今のままでもいいって思ってるんじゃないの。なにも、別に今別れなくたって……」と僕を困らせる。もういい。どうなってもいい。もうこのままでは嫌なのだ。「お願いだ。俺と別れてくれ」と強い声で言った。きっと、その瞬間からバサバサと相手の心に傷をつけていくのだろう。

 

バサバサ、バサバサ……

 

いや、待て。これは相手の心の音ではない。実際の物体の音である。これは髪の毛が切れ落ちていく音だ。美容師さんが当たり前のような顔をして、ハサミを僕の髪の毛めがけて素早く動かしている。その動きに合わせて髪の毛がバサバサと落ちていく。

 

僕は今の髪の毛に別れを告げたのだ。

 

マッシュのようにモサモサとした感じで前髪も目の下まであるようなフェミニンな髪型は、いつもであるならば60分程度で終わるところを90分くらいの時間をかけて、ソフトモヒカンベースのすっきりとした髪型に変貌を遂げた。こんなに短いのは小学生ぶりだろうか。美容師さんも「すっきりしたねー」と感心していた。

 

ただ、その90分前には葛藤した。このまま長いのもいいし、今度でもいいかと思った。だけれども、切りたいという気持ちが心の中にわずかでもあるということは、切ってしまいたいのだろうと決めつけて、「今日、切ってください」と美容師さんに頼んだのであった。それから、カタログでパラパラと良さそうなサンプルを見つけ、それに少し自分の要望をつけてオーダーをした。バサバサと落ちていく髪の毛はある程度のこんもりとしたまとまりになっていくと、手際よくアシスタントさんが箒で片付けていく。あんなにも髪の毛があったのかと我ながら驚き、まだ切るんですかと美容師さんの一心不乱な目を見つめていた。ただ、大体の完成系が見えてきて、ドライヤーで乾かしてざっくりとセットしてもらったら、なんということでしょう、いい感じではありませんか。鏡で目の届かない部分を見せてもらってもいい感じである。「大丈夫ですか?」という美容師さんの問いにすぐさまコクリと頷いた。そこからシャンプーをしてもらい、再びセットをしてもらったら、フェミニンな雰囲気の僕ではなく、男らしい俺が鏡に映っていた。

 

お会計を済ませて、店を出るときに髪を切る前に脱いでいた服を着ると、どこか雰囲気が違っていて、あまり似合っている感じがしない。きっと、新しい自分になったからなのであろう。

 

ちなみに、僕は春になると髪を切るというのが3年間続いている。別に春が来たから髪を切るのではなく、髪を切りたいなと思う時期が春になってしまうということなのだ。そこから夏まで少し短くしてみたり、長くしてみたりを繰り返して、秋になる前くらいから髪を伸ばし始める。そういう流れがあるらしい。その流れのことを、いつも髪を切ってもらっている美容師さんに指摘されて、初めて気づいた。なぜだろうか。春は別れの季節だからなのだろうか。

 

美容室を後にして、街をゆっくりと歩いていた。その日は穏やかな春の訪れを感じるような暖かい日だったけれども、僕の頭に通る風は少し冷たく感じた。まるで、別れた後にどこかぽっかりと心の穴が空いたかのように。

 

それから数日して、髭を生やそうと思った。短髪に髭なんて、ちょっとイケメン風である。せっかく髭が濃い体質なのだから活かすのもアリだと感じて生やし始めた。数日経つとチョビチョビと生えてきて、指で挟むとわずかながらだが、つかめてきた。そのあたりになると周りの人たちからツッコまれるようになってきた。笑う人もいれば、普通に接してくる人もいる。誰々に似ているということも言われたりする。気がすむまで程よく手入れしながら伸ばすつもりである。

 

そして、服もワードローブとして毎日使ってきたものでは変な感じがするので、昔着ていたものを引っ張り出してきて着るようになった。春物で何を買おうかというのも今少し楽しい悩み事でもある。

 

初めはすっきりして気持ち良くなった髪型も人の目から見るとちゃんと似合っているだろうかと不安だった。だけれども、その心配も周りのリアクションによって、一部では失敗したかなと思うものの、切り終わったものは仕方がないという諦めに至り、この髪型をいかに楽しむかを考え始めるようになった。

 

鏡の前に映るのは、ちょっと前の髪の長い僕でなくなってしまったのだ。その僕とお別れをしてしまったわけだから、新しい自分を楽しむしかないのである。きっと、髪を切るというのは別れでもあり、出会いなのだと思う。春のようである。

 

春も同じように、別れと出会いの季節である。学生だと卒業、社会人でも人事異動があると思う。人との別れ、住んでいる場所との別れ、今までの自分との別れなど、様々な別れが春にはある。そこには寂しい雰囲気が漂う。時に涙をすることもある。だけれども、それは乗り越えなければいけない。だって、乗り越えなければ、出会いの春は訪れないのだから。新しい人と出会い、新しい土地に出会い、新しい自分に出会っていく。そこで今まで目にしたことのない花が咲くかもしれないのだ。

 

今まで体験したことがないから、初めはどんな花が咲くのか、どうやって育てたらいいのかわからないこともあると思う。色々と試していくことでちょっと失敗もするかもしれない。わからなくなることで苛立ちを感じてしまうこともあるかもしれない。だけれども、大切に育てていきたいと思える花になったら、それはきっともう大丈夫なのかもしれない。ときには、こんなものでしょうというくらいに気を緩めることもできたり、ゆっくりと世話をしてみたりと心に余裕ができてきたら、その花は次第にいい方向に成長して、綺麗に花を咲かせるのだろう。その始まりがきっと春なのだろう。

 

昨日、駅までゆっくりと歩いていた。短くなった前髪を指でつまんで、やっぱり短いよなと目を上に向けて自分で確認していたら、桜が咲いているのに気づいた。どこにでもあるようなマンションのエントランス横に咲く桜だった。「もう咲いているんだな」と思いながら、少し立ち止まった。もうすぐで4月だ。淡い春色をした花びらがはらりと散っていく。きっと、この季節から彩りに満ちたこれからの季節が始まるのであろう。今年はどんな一年になるだろうか。どんな新しい出会いが僕を待っているのだろうか。僕は鮮やかに彩り始める季節に想いを寄せて、駅へと再び歩き出した。

 

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*この文章は、「天狼院ライティング・ゼミ」の受講生が投稿したものです。

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*この作品は、天狼院メディア・グランプリ参加作品です。
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2016-03-29 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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