もう一人いたんだ It makes me wander
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:Hisanari Yonebayashi(ライティング・ゼミ平日コース)
高校も一緒だったが、予備校時代に仲良くなった野平と僕は15年ぶりに東京の居酒屋で飲んでいた。お互いあまり時間の余裕もなく、羽田空港からモノレールで直行できる浜松町で僕らは待ち合せた。貿易センタービルは相変わらずだけど、周辺は再開発であの頃とはかなり変わっていた。
僕らは地方から上京して大学受験をした。まるで合宿の様に浜松町にあるビジネスホテルに泊まり、東京を満喫しながら、不安に包まれながら、下見して、受験して、合格発表を見に行くという日々を送っていた。ここはそんな思い出の地でもあった。
「そうだよね。あそこに一軒家の喫茶店があって、何度も行ったねぇ。そうそう、誰かが受験しに来るたびに先輩ヅラして浜松町駅まで迎えに行ってコーヒー飲んだよなぁ」
「増岡が来たとき覚えてる? あの時、もう一人いたよね。あれって誰だっけ?」
「おー、いたいた。あれはねぇ……誰だっけ……」
二人は黙ったまま視線を宙に泳がせた。
脳裏に浮かんだのは4人で少し低めの長方形のテーブルを囲んでいる姿。野平と僕は向かい合わせ。僕の隣には増岡が座っている。そして野平の隣、僕の斜め前に座っている男が思い出せない。
「あの時、店内にレッド・ツェッペリンのアルバムが流れてたでしょ」
「そうそう、天国への階段!」
レッド・ツェッペリンは1970年代を代表するイギリスのハードロックバンド。その代表作とも言われているのが天国への階段だ。ジミーペイジの抒情的なギターと深遠な歌詞とが相まった名曲である。
「あー分かる。わかる。後半の方で増岡がボロボロに穴の開いたジーンズの膝をドラム代わりにバチバチ叩きながらOoh……It makes me wanderって曲に合わせて歌ってたよな」
「ここのマスター、俺が来るの知ってての選曲だね」
増岡の言葉に4人は笑った。
「そうそう、席は間違いなくその配置。つまり俺の隣に座っていた奴だよね。誰だっけ……思い出せない……」
野平も必死で思い出しているようだった。
「俺、野平、増岡……あれ? 誰だろう……。武見が来たのはもっと後だろ? それにあいつが来た時には増岡はもう帰っていなかった。宮尾か? いやぁ違うな。分かんない! うーん。小峰でもないし……。なんでだろ? 俺も思い出せない……」
頭の中のセピア色に染まった映像は一人の男の部分だけ色あせてぼんやりとシルエットが見えるだけだった。
「なんだか気持ち悪いな」
二人の記憶が4人いたって一致しているのに二人とも一人だけ思い出せない。結局その日は誰かを思い出すこともできずに二人は別れた。
1カ月ほどして野平から電話がきた。
「なぁ、また会いたいんだ。ちょっと一人じゃ消化しきれないんだよな。この間、話したろ。浜松町の喫茶店にいたはずのもう一人が思い出せないって話」
「あぁ、俺もずっと気になってるんだ」
「どうしても気になって、増岡に連絡とってみたんだ」
「へぇ! それで増岡はなんて言ってた?」
「あいつ、死んでた」
野平の声は少し震えていた。
僕もすぐには言葉が出なかった。
「うそだろ!? どうして?」
「交通事故だって。単独事故ってことらしいんだけど」
「マジか……」
「まさかだよね。なんかやばいなぁ。もう一人いた奴って探しちゃいけないのかもしれないな」
「いやいや、増岡はそれが原因で死んだわけじゃないだろ。落ち着けよ」
ただ、僕には野平の消化できないって言う言葉がよく理解できた。
4人いたうちの1人がこの世からいなくなって、一人は誰かも分からない……。
あの時いたもう一人の正体を知っているはずなのは野平と僕の二人だけになった。
野平は無理やり東京でする仕事を作ってやってきた。僕らは再び浜松町で会った。
無くなってしまった喫茶店があった一画は大通りの奥の区画も飲み込んで大きなビルが建っていた。
僕らはビルの前で上を見上げた。この日は陽が沈んでも気温が下がらず熱帯夜になるのは確実に思われた。
ビルの最上階が歪んで見えて足元がふらついた。
二人は以前宿泊したホテルのあった港に向かって歩いていた。
竹芝桟橋は新島に向かう若者たちで溢れかえっていた。
「あの時、喫茶店でかかっていたツェッペリンのアルバム、家にあったから何度も聞いたよ。レッド・ツェッペリンのメンバーは4人だろ。あの時俺たちも4人。ツェッペリンはドラムのジョン・ボーナムが死んで解散したんだよな。増岡はジョンの大ファンだった」
「うん。なんだか重なるところが多くて不気味だよ」
「It makes me wander」(ああ なんてことだ)
野平は増岡が歌っていた天国への階段の歌詞をつぶやいた。その言葉は真っ黒な夜の東京湾に溶けていくようだった。
新島行きの船は若者たちの喧騒を乗せて出航し、桟橋は埠頭に当たる波の音しか聞こえなくなっていた。水面を照らすビルの明かりもずいぶんと減ってきた。
もう一人いた誰かの話はこれ以上進展しなかった。二人の記憶をほじくり返しても誰かは分からなかった。
二人はお互いの近況や思い出話をした。高校で出会って、受験・大学・就職・転職・結婚。いくつもの大きな出来事を経て僕らは十分すぎるくらい大人になっていた。いくつのも経験を重ねて記憶の中からこぼれ落ちていったものもたくさんあるのかもしれない。
そしてもう一人いた男の話に終止符を打つべく野平が口を開いた。
「俺たちはさ、あの時、もういくつかの大学が不合格になっていて、二浪はできないよねって追い込まれてたじゃん。きっと二人とも、もう一人いて欲しかったんだと思うんだ。3人でいることの不安定さとか。ぽっかり空いた空席が二人の中にもう一人の友達を呼んだんじゃないかな。これだけ絞り出しても二人とも思い出せないなんて。俺はそんな気がしてきた」
「若かったんだな。俺たち。子供の時にしか見えないものがあるってよく言うじゃん。きっと、あの頃にしか見えない友達が来てくれてたのかもね。今じゃ思い出せない大切な友達。思えば、あの後見に行った発表では野平が合格。俺はあの翌日合格。増岡は翌日受けた試験で合格だったもんな。誰だか分からないけど奴は俺たちに幸運をもたらしてくれたような気もする」
「夏が終わったら増岡の墓参りに行かないか?」
「そうだな。その時、増岡に聞いてみよう! もう一人いたよな? あれって誰だった?って」
「おー、もう一人いたね。でも誰だっけ? 思い出せないなぁってあいつも言うよ」
天国の階段の上からズタボロのジーンズで答える増岡の姿が浮かんだ。
野平は笑顔で何度も頷いていた。
***
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