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記事:Mizuho Yamamotoライティング・ゼミ

 

*この文章は、「天狼院ライティング・ゼミ」の受講生が投稿したものです。
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難波っ子の父は、難波千日前道具屋筋で生まれた。昭和2年、西山号洋家具店の「ぼん」として。今の、グランド花月から徒歩1分の場所である。家の周りはアスファルト、映画もお芝居も、子どももOKの演目なら顔パスで入れたという。

 

小学校入学の頃には地下鉄が走っていた。道頓堀でボートを漕いで遊ぶのが青春時代の楽しみだったそうだ。

 

戦争がはじまり、海軍航空隊に入隊。出撃前に17歳で終戦を迎えた。戦災ですべてを失くし、神戸の闇市で働き、高倍率の警察予備隊の試験に通り、その後自衛隊へ。幹部試験に合格し、京都の宇治の部隊から、「北と南のどちらを選ぶか」と問われ、寒がりなので迷わず「南」を選んで、長崎へ。

 

「長崎はええなぁ、可愛いバナナ売りの娘がいてそこら中にバナナがなってるねんで」

 

「冬もあったかいねんて」

 

3月末、今のハウステンボスそばの「南風崎はえのさき」駅に到着すると、だれもいないプラットホームに雪が降っていたそうだ。なごり雪。手違いで迎えがおらず、ひとりで寒さに震えながら、重い荷物を抱えて隊舎らしき建物の方向へとぼとぼと歩いた。

 

「俺、泣いたぞ。そのとき28歳やったけど。

おまけに、夜は真っ暗で、都会の人間には信じられん闇やったなぁ」

 

しかしその赴任のお蔭で、美人で気立てのいい妻と、利発で可愛い? 娘を手にしたのだから人生はわからないものだ。現在88歳の父は8020どころか、1本の欠落もない自分の歯を有する元気者だ。

 

私の社会人スタートは、中学校教員免許しかないのに、県の採用ミスで私の教科に空きがなく、小学校に回されたというスペシャルな始まり方だった。

 

「小学校教員免許持っていないんですけど」

 

「大丈夫です。助教諭免許を臨時に出しますので」

 

何と分校2校合わせて児童数2000人という大規模小学校への配置となった。自分が卒業して以来、1度も小学校には行ったこともなく、不安を感じる余裕もないほど慌ただしく京都の下宿の荷物をまとめて引っ越しをし、小学校を訪ねたのは3月末。

 

深呼吸して、開けた職員室の扉。目の前には暖簾のように泥で汚れた縄跳びがずらりと並んでいた。

 

「し、失礼しました!」

 

思わず扉を閉め反対側を開けて無事入室。ごちゃごちゃと散らかった職員室は、春休みで出勤者はまばらだった。

 

「私も異動なんですよ」

 

人のよさそうな教頭が、案内してくれて校長と面談をする。5年生の担任を言い渡され、

 

「はい、国語以外教えたことがないのですが全教科の指導ですね? 頑張ります!」

 

「まぁ、子どもたちは若い先生が大好きだからすぐに慣れますよ。困ったことがあったら、遠慮なく話してくださいね」

 

5年生7クラス、全校50学級近い学校は、そこら中からわらわらと子どもが沸いて来る感じだった。

 

血気盛んな組合の先生たちにもまれて、それでも考えあって組合に入らなかったら、とんでもない扱いを受け、朝の5分と退庁前5分に職員室に姿を見せる以外は教室で過ごす毎日だった。泣きたいことは山ほどあったが、根性と隣のクラスの先生に救われてしのいだ。

 

教室での授業は何とかなったが、音楽室や体育館など特別教室に移動すると、抑えの利かない状況で、走り回る子どもたち。

 

「学級崩壊」という言葉はまだなく、とにかくどうやっておとなしくさせたらいいのかと知恵を絞る日々。しかし、当時の子どもは偉かった。

 

「先生が困っとらすけん(困っているから)、静かにしよう!」

 

「先生のピアノが止まっても、そのまま歌おうや」

 

自治意識が働いて、子どもたちが完全に私をバックアップする体制ができていた。

 

自宅から通勤できたのが一番の救いだった。

すべて母任せで、仕事に100%力を傾けた。

 

しかし、そううまくはいかないのが人生だ。

まさかの、ステージの進んだ「がん」が父に見つかった。

 

本人に伏せたまま、入院・手術の予定が進んでいく。くたくたになって帰宅するとキッチンにぼ~っと座る母がいて、

 

「お父さん、死ぬんかねぇ」

 

電気もつけずに、泣いている日が続いた……。

 

そのころ国語で新しい単元に入ったら、教材は、『大造じいさんとがん』

 

黒板に「がん」という二文字を描くたびに、心臓の鼓動が早まった。

 

父の手術当日も、45人の5年生をおいて病院に行くことができず、

 

「手術後出て来た先生が、1人ですか? って驚いてたよ」

 

と、母に言わせてしまった。

 

病室は狭い6人部屋。椅子を1つ置けばいっぱいになる空間。外科病棟は内科の術後とけがの患者が入り混じっていた。父の向かい側のベッドの男性は、骨折で天井から足をつっていて顔が見えない。ある日、足をベッドに降ろせるようになっていたその男性の顔を見て???

 

ん? 何だか見たことがある……。

 

なんと、あいさつの時にいて異動した小学校の教頭先生ではないか。

 

「いやぁ~、酔っぱらって飲み屋の階段踏み外して2階から落ちてしまって、お恥ずかしい」

 

何ともコメントに困り、一緒に力なく笑った。

 

無事退院すると「再発」を気に止む母だったが、父は病名を知らされていないので、めきめき元気になり、我が家の日常が戻った。

 

小学生が可愛くなって、小学校教員免許を通信教育で取ろうとしていた矢先、中学校に異動を言い渡された。

 

小学校の離任式の日。校庭中に並んだ2000人近い子どもたちの前を、「蛍の光」のレコードが流れる中歩いた。隣のクラスの先生に引き連れられ整列した45人の子どもたちは号泣しながら見送ってくれた。抱えきれないくらいの花束と手紙を胸に、途方に暮れていると、

 

「このタクシーに乗ってとにかくこの場から去らないと収拾がつかないから」

 

タクシーに押し込まれ、発車すると、必死の形相で走って追いかけてくるクラス一のやんちゃ坊主。

 

彼が小さな粒になるまで、後ろを向いて手を振った。

 

不安と緊張の4月は、柔らかな光の3月のセピア色の思い出と共にそのページを閉じた。

 

新生活は、様々なストーリーを紡いで着実な未来を形づくって行く。人生思うようには行かないけれど、振り返ると案外楽しかったなぁと思えることがちりばめられているものだ。

 

着慣れないスーツ姿の新社会人たちを見かけると、それぞれの「今」を乗り越えることを願わずにいられない。

 

***

*この文章は、「天狼院ライティング・ゼミ」の受講生が投稿したものです。

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*この作品は、天狼院メディア・グランプリ参加作品です。
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2016-04-06 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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