ゲロと限りなく真ん丸のお月さま。とかとか（笑）
記事：岸★正龍（ライティング・ゼミ）
＊この文章は、「天狼院ライティング・ゼミ」の受講生が投稿したものです。
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「香川はさ、いまのままじゃ代表にはさ、フィットしないよ。戦術が悪いんだ」
小太りのイガグリ頭が右を向いてそう話す。
「けどけど、Ｄ通がそこはなんとかカバーするのでは？」
一堂零（from奇面組）に瓜二つの男が左を向いて返す。
「まさか！ アイツらが外交できないってさ、よく知ってるだろ？」 とイガグリ。
「僕は外国語は得意じゃないから、その辺はわからないなぁ。とかとか」 と一堂零。
日曜日の22時過ぎ。
山手線内回りの車内。
僕の目の前に座っている男達の会話である。
二人とも目が真っ赤で、呂律は明らかに回っていない。
「外国語とか言ってる時点でさ、Ｄ通にさ、いいように使われてんだよ。おまえさ、ちゃんと食えてるの？」
そういうイガグリの頭はゆらゆら揺れ、隣の几帳面一直線なサラリーマン風の肩を軽くこづく。
「ややや、申し訳ありません」
一堂零がイガグリの頭を自分の胸に抱き抱えるようにしつつ几帳面一直線なサラリーマン風に丁寧に謝り、胸にしたイガグリに向かって話を続ける。
「飯はさ、さっき一緒に食ったじゃん」
ややや、君たちもしかしてそういう関係なの？
「そうメッシ！ やっぱさ、メッシだよ。メッシがさ、すごいよ」
「違うよ、おまえがスゴイんだって。センターフォワードで、フランス語ができて、Ｄ通をアゴで使うって憧れるよ」
心なしか一堂零の腕に力が入ったように見えるぞ……
「ところで、ここ、どこ？」 イガグリが聞く。
「電車」 って、おい！ いいのか？ その答えでいいのか、一堂零？
「おれら、どこで乗ったんだ？」
「上野だよ」
違うぞ＝＝＝＝＝＝！
僕は秋葉原から乗ったけど、君たち、もうすでにそこに座ってたからね。もし、上野で乗ったんだとしたらグルッと一周回って乗ってることになるからね。 一周64分グルグル回ってはないだろ、さすがに！
などと、突っ込みまくる（もちろん心の中でだ）僕をよそにイガグリと一堂零は、二人にしかできないだろうシュールな態勢をとりつつ会話を紡いでいく。
「で、どこ行くんだっけ？」
「？ どこだっけ？」
「XXX（聞き取り不能）？」
「？ だっけ？」
「これ、行く？」
「？ かな？」
「まぁ……」
「う……」
会話は徐々にブロークンしていき、やがて完全に壊れ、壊れたと同時に二人の意識は真綿に沈むようにズブリと眠りに沈んでいった……
その刹那！
ゲロデロゲロデロゲロデロゲロデロ！！！
一堂零の口から水っぽいゲロが噴出したのだ。
蜘蛛の子を散らすとは、そのときの情景を言うんだろう。
隣に座っていた人や、目の前に立っていた人（僕のことだ）は言うに及ばず、向かいの座席に座っていた人も、周りに立っていた人も、すべての人が二人の周りからいなくなった。
本当に一瞬で、ザザーとあらゆる人が移動し、二人が座った座席の周りだけがエアポケットのようにガランと空き、それなりに混んでいた山手線の中に異空間を作り上げる。
そんななか、僕は二人の様子を眺めている。
一堂零の吐いたゲロの一部は胸に抱えたイガグリの頭を襲っていた。ゲロが耳の中に流れこんだがゆえに一瞬覚醒したイガグリは、けれどこともなげに自分のTシャツでそれをふき取り、一堂零の逆側へと頭を倒して昏睡の続きに入ってしまった。
ゲロデロゲロデロゲロデロゲロデロ！！！
一堂零の第二弾。
初弾より豪快に噴出したゲロにむせた一堂零のポケットからiPhoneがすべり出て、ゲロの中に埋没する。そこに再び、ゲロデロゲロデロゲロデロゲロデロ！！！ 一堂零の第三弾。
iPhoneはゲロの中に完全に埋没し、僕の隣にいた金髪碧眼の長身男子が「FxxK！」と呟きつつ隣の車両に移動。すると彼に相当数の人が続き、いきなり車両が空く。
ガランとした車内で、僕は相変わらずその光景を眺めている。
アホだなあの二人、っていうか、偉そうな能書きたれておいてゲロかよ。酔ってるなら座るなよ。いや自業自得か。あのiPhoneはもうお釈迦だろうな。服もゲロまみれで。アホだマジで。などと思いながら。屍のような二人を眺めている。
すると。
僕の前に立っていた40代であろう小柄でふくよかなオバサンが、自分のハンカチを出しながら二人に近づき、一堂零の口元を拭いてやり「大丈夫？ このハンカチどうぞ使ってください」と声をかけ、それをただ眺めている僕と目が合うと、にっこり微笑みちょうど到着した田端で降りていった。
彼女に触発されたのか、駒込では二人の女子中学生（あるいは女子高生）がティッシュを差し出してから降りていき、巣鴨でも同じように何人かが続く。
僕はそんな光景を、まるで現実感なくただ眺めている。
素晴らしい行為だとも思わない。
偽善だとも思わない。
僕はそんな光景を、まるで現実感なくただ眺めている。
だって他人事じゃん。
クソみたいな野郎が自業自得でゲロ吐いた。
それを殊勝な人たちがケアした。
それだけの他人事。
そもそも僕にはまったく関係ないことだし。
僕の心を揺さぶるようなことは何も起きていない。とかとか（笑）
そもそも、とかとか、ってなんだよ、とかとかってさ。とかとか（笑）
あれあれ？ 少なくなった車内の人の少なくない視線が僕に集まってる？ とかとか（笑）
はい、クソですよ、おれ。
この場で笑うって、どの角度からしてもクソでしょう？
だって、いつも自分のことしか考えていないんですから。
いつだってどこでだって自分のことしか考えていないし、
もっとタチが悪いことに、そんな自分を認めちゃってる。
いやぁ、クソだな、おれ。とかとか（笑）
そんなクソな僕の後ろからこんな言葉が聞こえてくる。
「すごいね、みんな。私、とてもあんなことできない。吐いている人に近づきたくない。臭いし、気持ち悪いし。私、ダメな人なのかな？」
若い女の子の声である。
振り返りたい衝動。
どんな子がどんな表情でそれを話しているのか見たかったからだ。視覚情報がないから、その声の主の意図が摑めない。自己弁護なのか、自己憐憫なのか、あるいはもっと深遠ななにかがあるのか、振り返って確認したい。
けれど、なぜかそれをしてはいけないと思った。いまも理由は分からない。分からないが、思いついたその考えは確信に変わり、僕は後ろに意識を集中するため目を閉じる。
「すごい、って思えたんだ」
人生経験を積んだ男性の声が聞こえた。
「僕は、すごい、って思えたミトちゃんが素敵だと思うな。誰だってできないことはある。ほら、僕が料理をしているところって見たことないだろ？ できないんだ、料理はさっぱり。だから毎日、とてもおいしい御飯を作ってくれるお母さんは、すごいなって思う。すごいなって思うから、お母さんのできないことを一生懸命やる。それが家族だし、社会だと思うんだ。だから、すごい、って思えて、ちゃんと口にできたミトちゃんだってすごいと思うよ」
「お母さんにできないことってなに？」
「ゴキブリ退治」
「そか！ お母さん、お父さんのゴキブリ退治はすごい！っていつも言ってるもんね」
「でしょ。だからさ……」
声の主たちはそこで下車したため続きを聞くことはできなかった。
僕はそのまま目を閉じている。
目を閉じて、瞼の裏に血が流れているのを感じている。
山手線が池袋に到着した。
僕は電車を降り、乗っていたのが6号車であることを確認し、駅員さんを探して6号車に泥酔した二人がいてそのうち１人がゲロを吐いていることを伝える。
それからたまらなく嬉しくなり、メッチャうれしくなり、まるでアッパー系のドラッグ喰らったようないきなりのハイテンションでコンビニで缶ビールを買い、池袋ウェストゲートパークで１人乾杯をした。
僕の真上には限りなく真ん丸のお月さまが浮かんでいた。
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