遊園地で楽しめない、あたり前で哀しい理由
記事:西部直樹さま(ライティング・ゼミ)
そこへいたる階段を下りはじめた。
期待が高まる。
馴染みのところで、はじめてのところ。
楽しみだ。
何が待ち受けているのか、
胸が高鳴る。
回転扉を通り抜ければ、
そこは、初めてで、いつもの空間だった。
好きでたまらない、こよなく居心地のいいところ、
のはずだった。
しかし、期待は裏切られ、楽しみは、落胆に変わった。
息子がまだ小学校にも行っていない小さかった頃、とある遊園地に出かけたことがある。
仕事で疎かにしていた息子との時間、それを遊園地で補おう、と思ったのだ。
一日中、息子と遊園地で遊ぼう。
その遊園地には、遠大なジェットコースターがあり、無重力を一瞬味わえるフリーフォールがあり、巨大な空飛ぶ船もあった。
それらに乗り放題、乗ってみようと思ったのだ。
息子は興奮していた。
ジェットコースターに乗り、あれに乗り、といろいろと彼なりに計画をしていた。
いろいろなものに、たくさんのものに乗りたいと。
期待は高まっていた。
園内に入れば、それはもう興奮を誘う世界だ。
さて、何に乗ろうか!
父親の私の方がワクワクしていたかもしれない。
楽しみだ。
しかし、二人で乗ることができたのは、ゆっくりと回るメリーゴーランドだった。
期待は裏切られ、楽しみは落胆に変わっていた。
スリルを味わえる乗り物は、
どれも息子は乗ることができなかった。
息子は、小さすぎたのだ。
身長制限があり、ことごとくダメだった。
保育園児の息子は、元気はあっても、身長はなかった。
園内には、素敵な、スリリングな乗り物、アトラクションで満ちていた。
しかし、どれも味わえなかった。
味わう資格、身長がなかったからだ。
息子は、「あ~あ」と嘆息しながら、小さい自分でも楽しめるもので我慢をしていた。
落胆していたのは、親の方だったかもしれない。
楽しみがあるのに、それを味わえないのは、なんと辛いことなのだろう。
朝から夜までいるはずだったのに、
早々に帰ることにした。
見ているだけでは、つまらなかったから。
楽しめない遊園地には価値がない。
ジェットコースターから聞こえる嬌声を背に、私たちは遊園地をあとにした。
子供が生まれたとき、子どもをどう育てるか、妻と話し合った。
様々な衝突や行き違い、諦めとか、何とか……が交錯したけれど、一つの合意はできた。
本が好きな子に育てようと。
幸い子どもたちは、本が好きになり、本屋さんが好きになった。
家族の安上がりな楽しみは、都心の大きな本屋に行くことだし、
田舎の親戚の家に行けば、そこの新古書店にいって数時間過ごすことができる。
――新刊書店は、日本のどこでも大きな違いはないけれど、新古書店は店によって品揃えが違うから――
私も本屋が好きだ。
毎日どこかに立ち寄る。
池袋の某書店には、二泊三日しても、たぶん飽きない。
そんな本屋好きの家族が、海外旅行に行ったら、
やはり、海外の本屋に行ってみたくなるのは、
当然の成り行きだ。
春休みの数日を利用して、韓国に行ってきた。
日本はまだ花冷えの頃だった。
韓国金浦空港に着いてみると、思いの外暖かく、上着もいらないほどだった。
ソウルの街を歩き、食べ、楽しんだ。
東大門近くにある文具おもちゃ市場をぶらつき、川沿いにあるペット市場を冷やかし、明洞の喧噪に呆然とした。
そして、本屋さんへ。
ソウルの本屋さん、書店はなぜか、どれも地階にある。
池袋のジュンク堂のような書店ビルはない。少なくとも、私は見ることがなかった。
地階のワンフロアが本屋さんなのである。
回転扉を抜けると――回転扉が本当に多かった――、本があった。
本屋さんだからね。
本が並び、人々が手に取り、眺め、読み、何を買うのか品定めをしている。
どんな本があるのだろう。
期待は高まる。
楽しみだ。
入り口近くには、おそらく新刊とベストセラーが並んでいる。
その置くには、様々な本が……。
ソウルの本屋に行くのは、私にはささやかな目的もあった。
ずいぶん前だけれど、私の著書が韓国語に翻訳されたらしいのだ。
翻訳料はいただいたが、翻訳された本はみていない。
あるなら、みてみたいと思ったのだ。
どんな本になっているのだろう。
しかし、店の中をうろうろと数分も歩くと、出て行きたくなってしまった。
本が好きで、本屋が好きな子どもたちも、
アイスでも食べようよとねだり出す。
広大な本屋が、とてもつまらない場所になってしまったのだ。
日本にいるときは、本屋の中でいつまでもいたいと思っていたのに。
並んでいる本は、当然のことながら、すべてハングルで書かれている。
一五世紀、朝鮮王朝世宗第四代国王によって公布されたハングル文字は、とてもわかりやすい構造をしている。
子音19文字と母音21字の組合せになっている。
文字がわかれば、発音は比較的容易といわれる。
しかし、読めても意味がわからない。
ひらかなで「たほいや」と書かれていたら、読める。
しかし、「たほいや」の意味がわからない。
それと同じだ。
意味がわからなければ、楽しめない。
たくさんの本がある、
表紙を眺め、装幀を確かめ、写真を見る。
しかし、なんの本かわからない。
楽しめないところにはいたくない。
期待は裏切られ、楽しみは、落胆に変わった。
本が好きなのは、本そのもの、ものとして本ではなくて、
そこに書かれていることが好きなのだ。
当たり前のことだけど。
楽しめない遊園地にいられない。
身長制限で楽しめなかった遊園地、数年後、息子も大きくなり、身長制限をことごとくクリアできるようになった。
その時は、もちろん、ことごとく楽しむことができた。
父親の私も!
地下に広がるソウルの本屋を背に、階段を上り、
次は中身が読めるように少しはなってこよう、そして、この広大な本屋を楽しむのだ。
と、意味のわからないハングル文字を見ながら、思うのだった。
だって、こんなに広い本屋、楽しみたいじゃないか。
写真は、本屋さんの前にあった石碑。
意味は
「人は本をつくり、本は人をつくる」
だ、そうです。
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