【半信半疑】努力は人を裏切らない、は本当なのか《ありさのスケッチブック》
天狼院書店では「メディアグランプリ」というものがあります。
一週間ごとにWeb天狼院にアップされる記事のPV数を競い、順位に応じてポイントが加算される。
八週間そのポイントを計測し続け、グランプリを決める、というものです。
前回のシーズンが先週の日曜日に終わりました。
最終週の結果発表の記事を書いていたのは私でした。
そこで、思ってしまったのです。
「努力は人を裏切らない」なんて嘘じゃん、と。
***
「努力は人を裏切らない」
「継続は力なり」
私にぴったりの言葉だと思っていた。大好きな言葉で、座右の銘のように思っていた。
不器用で何をやっても平凡で容量の悪い私にとって、
頑張ればきっと伸びる、という意図が含まれたこの言葉は救いになるような言葉だった。
この言葉に勇気づけられ、どんなに最初はできなくてもきっと頑張り続ければ成果が出るはずだ、と思い何事も努力してきた。
なかなか伸びなくて、身が切れるような思いは何度もしてきた。
しかし、最終的にはいつも努力が実を結び、結果が出ていた。
これらの言葉を信じたことで上手くいった経験を積み重ねたからこそ、より一層私の心の拠り所のように思っていた。
……そう、思って「いた」のだ。過去形なのだ。
いつしかこの言葉通りではならないようになった。
どんなに継続して頑張っていても、
誰よりも長時間かけて取り組んでいても、
膨大な量の準備をこなしても、
全く成果の出ないことが続いた。
それでも、ずっと努力して継続すれば成果に結びつくものだと信じていた。
それでも、上手くいかない現状が変わることはなかった。
決定的だったのは、ここ最近で起きたことだ。
私はずっと頑張り続けていたことで、今までライバルだとも全く思っていなかった「彼女」に負けた。
……あの言葉に、裏切られた。
私はある結果を目にして、信じられない気持ちでいた。
「彼女」に負けたことよりも、言葉通りの結果にならなかったことにショックを受けていた。
まるで私は親友に突き放され、裏切られたかのようだった。
それだけ信頼を寄せていた言葉だった。私が頑張り続ける理由だった。
私は、「努力は人を裏切らない」「継続は力なり」という言葉を考え出した人を恨んだ。
どうして。
努力は人を裏切らないって嘘だったの。
私は、何も悪いことしたつもりないのに。
どうしてこんな目に遭わなきゃいけないの。
私は、一人うなだれた。
あんなこと、言わなければよかった。
私があの時彼女にあの言葉をかけたからこんなことになっているのだ。
もう、何もかもが信じられない。
わからない。わからない。わからない。
なんでだよ、どうしてだよ、もう、どうして……
今までの努力はなんだったんだ。
あれは、無駄だったのか。
誰にも必要とされないものなのか。
もう、意味がわからない。どうすればいいかもわからない。
わからないことしかない。
悔しい。悔しい。悔しい。
怒りとも悲しみともいえないよくわからない感情が私の心をかき乱す。
悶々と一人で部屋の端っこで座り込んで考えていても、
あああああああ、もううううう! と叫んでも、
今、こうしてキーボードにめちゃくちゃに打ち込んでも、渦巻いている感情は消えそうにない。
わかっている。
この思いを誰かにぶつけたところで自分がすっきりすることなんてないのも。
わかっている。
私が今、彼女に会ったら、何にもなかったかのように、よかったね! と言うであろうことも。
わかっている。
この感情を見せたところで誰も嬉しい気持ちにはならないことを。
きっと私は直接この愚痴を誰かにぶつけることなく体裁を良く見せようと、
斜に構えて素直に悔しい、と言えないで彼女のことを褒めてしまうであろう。
それなら、黒い感情を、まるごとここに吐き出してしまいたい。
もう文章がめちゃくちゃになろうと構わない。
むしゃくしゃした気持ちのまま彼女に会いたくない。
だから、私はこうして今感情に任せた勢いでキーボードを叩いている。
もしかしたら、ひどいことを言ってしまうかもしれない。
勢いと出まかせの暴言を吐いて、傷つけてしまうかもしれない。
でも、そんなことを恐れる余裕は、今の私にはない。
それだけ、私には衝撃の出来事だった。
もう結果が出る前から負けていることが分かりきっていたからこそ、その事実を見るのが辛かった。
しかし、この事実を最初に受け止めるのは自分でありたい。
誰かがやるのを待っていることは私にはできない。
だから、私は引き受けた。
メディアグランプリの順位測定の記事を書く業務を担うことを。
総合順位が誰かを示す仕事を。
そう、私は嫉妬している。
私自身が焼け焦げそうになるくらいの嫉妬心を燃やしている。
なんでグランプリがあの子なのだ。
なんで私がメディアグランプリの記事書いてみなよと言ったあの子なのだ。
そう、私は嫉妬しているのは……のろちゃんである。
のろちゃんは、あんなに私が取りたくて取れなかったメディアグランプリの総合チャンピオンの座を獲得したのである。
しかも、初めてのシーズンで。
メディアグランプリというものは、八週間で自分が書いた記事のPV数を競うものである。
一週間ごとにランキングが発表され、ポイントが加算される。
八週間が経過すると、総合チャンピオンが決まる。
私は過去に週間一位を獲ったことがあった。
だから、次は総合グランプリを、と狙っていたのである。
それを、彼女に、「のろちゃん」に取られてしまったのだ。
彼女のことは、天狼院書店のFacebookを見ている方なら、
ああ、あの子ね、とわかるであろう。
のろちゃん。
大学三年生の女の子。私と同い年。同じ時期に、天狼院に飛び込んだ。
私が彼女に負けるはずがなかったのだ。
いや、負けるわけにはいかなかったのだ。
なぜか?
私が、同期のスタッフの仲で一番ライティングゼミに出席しているから。
私が、一番記事を更新した回数が多いから。
私が、のろちゃんに「メディアグランプリの記事、書いてみなよ」と先輩面して言ってしまったから。
私は同期のスタッフの仲で誰よりも長く継続していて、
誰もいないレースでも頑張って更新していて、
前回のシーズンでは総合3位を獲得した。
そういう自負があった。
努力の量も、継続力も、負けていなかったはずだ。
ところが、今回のメディアグランプリのレースから、何かがおかしかった。
私が投稿すれば毎回ランクインしていたのに、今回は3回もランク外となった。
スタッフには負けても、お客様には負けなかったのに、あっさりと抜かされた。
まだ書き始めたばかりののろちゃんの記事がヒットし、彼女には負けてばかりだった。
まるで、地獄のようだった。
書いても書いてもランクインできない。
上位のランクにのぼれない。
お客様に勝てない。
のろちゃんにも勝てない。
そうこうしているうちにあっという間にメディアグランプリの7thSeasonは最終週を迎えた。
私の記事は、最終週もランク外だった。総合順位は8位だった。
煮えたぎってしまいそうな気持ちで最終週の結果発表の記事を書いた。
自分に負けを突きつけようと、三人いる一位のうちのろちゃんを最初の行に書いた。
おめでとうございます! と口では言えないであろう言葉を書いた。
そうして負けを自覚したところで、怒りとも悲しみともいえない感情が止まることはなかった。
圧倒的な敗北感。そして、何かを失った喪失感をぎりりと噛みしめた。
これも全部、あの言葉のせいだ。
「努力は人を裏切らない」「継続は力なり」なんて、嘘じゃないか。
裏切られたし、力にもならなかった。
これから私は何を信じて頑張ればいいのだろう。もう、あの言葉は信じられない。
やけくそになった私はひたすら信じてきた言葉のせいにすることしかできなかった。
でも、本当にそうなのだろうか……?
私は、言葉のせいにしつつも、裏切られた事実を受け止めきれなかった。
何かが違ったのではないだろうか。私の思い違いがあるのではないだろうか。
私は、裏切られたというショックと、長年連れ添ってきた言葉への愛着の間で揺れていた。
私にとっての努力はなんだったのだろうか。
長時間やること?
誰よりも量をこなすこと?
誰よりも早く始めること?
……ううーん、わからない。
それなら、私が努力することで成功したことはどんなことがあっただろうか。
ここしかないという信念を持ち、毎日勉強のスタイルを変えながら受験勉強をして志望校に合格したこと。
論理思考を学んでから学びの場所とやり方を変えて勉強し続け、自分の糧としたこと。
問題だと思っていたことを徹底的に修正して、組織作りやチーム作りをしてきたこと。
逆に、失敗したことはどんなものだっただろうか。
長時間練習していたけれど、目指すレベルもなくなんとなくやっていたピアノが今は弾けなくなっていること。
小学校の頃から量をこなすことを目的とし、じっくり解くということをしてこなかった数学が苦手なこと。
英語を話しているだけで満足し、効率などまるで意識せず伸び悩んだ英語の勉強。
ああ、そうだったのか。
私は自分の過去を整理して、気づく。
私は「努力」というものを「ただ長く続けていること」だと勘違いしていたのだ。
いくら前跳びを練習しても二十跳びは跳べるようにならないように。
いくら長時間走っていたとしてもだらだらと走っていては全く上達しない長距離走のように。
ただ、「同じことを続けていれば努力」であると思い、続けていれば勝手に伸びる、という都合のいい解釈をしていたのだ。
違う。努力というのは同じことを同じレベルで繰り返すことやだらだらやることではない。
自分の能力を伸ばすために必要なのは、「続ける」こと以上に、「挑戦する」ことだ。
できるだけ、上のレベルに。
できるだけ、速いスピードで。
できるだけ、高い目標を持って。
もし成長したいのなら、「まだ早い」と上を目指すことを諦めてはならないのだ。
圧倒的なスピードで力をつけるには、「高いハードル」を設けることが必要なのだ。
今回のメディアグランプリでの自分を振り返ると、どう考えてもライバルをなめきっていた。
どうせ書けば上位にランクインする。
きっとお客様に負けることはないだろう。
他の同期のスタッフは今から頑張ってもより量をこなしてきた私には勝てないだろう。
5000字も書けるようになってきたし、きっとこれで周りをリードしていることになるだろう。
私は周りがまだ本気を出してない頃から頑張っていたから、これからも勝てると思いあがっていた。
自分に課すハードルはどう考えても低すぎた。
いつの間にか私は努力している「つもり」の現状維持を続けていた。
それどころか、勝つために自分を磨く意識は下がっていた。
内容の質を上げることよりも、とにかく週に一本出すことに必死だった。
今までは渾身の一記事をあげていたのに、妥協してしまう記事を書くようになってしまっていた。
こんな低レベルの努力や意識のままでは、誰にも勝てっこない。当たり前の結果だった。
のろちゃんが勝ったのは「才能」であると思えば、才能の無い私は負けるのは当然だと思える。
自分が努力が足りなかったわけではない、と楽になれるのは分かっている。
しかし、もしそうだとするならば、私は自分が本当の努力をしていないことに対する言い訳をしているのと同じだろう。
そんな考え方をするのは、現実逃避にすぎない。
今までの私の努力はスモールステップ過ぎた。自己評価が甘かった。生半可な気持ちで挑んでいた。
「このまま続ければ行けるっしょ!」という浅はかな考えが自分自身を怠けさせ、堕落させていた。だから負けたのだ。
この事実に気づいた今私にできることはただ一つ。
「続ける」努力をするのではなく、「挑戦する」努力をすること。
「努力は人を裏切らない」「継続は力なり」
この言葉は間違ってなんかいない。
ただ、この言葉が有効になるのは、
「挑戦し続ける心を持てる人に限る」ということなのだろう。
いつだってすぐに周りには追い越される。
いつでも自分が余裕で勝てるレースなどない。
自分が現状維持をしたところで自分が落ちていくだけだ。
それならば。
「挑戦する心」を持ち続け、高い目標に向かって自分をより一層磨かなければならない。
次は、勝ちます。