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おじいちゃんは、私のはじめての人。


 

記事:諸星 久美 (ライティング・ゼミ)

 

母は四人兄妹の末っ子。

そして、母の末っ子である私は、母方の祖父の、一番最後に生まれた孫として、その親族の中で育った。

 

祖父は、

「君のことが大好きだよ」

という眼差しを、幼い私に、惜しげもなく降りそそいでくれた、はじめての人だった。

そして私は私で、物心ついた時から、

「私も! 私も、おじいちゃんが大好きなんだよ!」

という想いを、スキンシップや、祖父を見上げる瞳に織り交ぜながら、せっせと返していたような気がする。

 

私の存在を、無条件に喜んでくれる人。

 

そんな、自己肯定感を育てるに必要な愛情を、祖父は、共に過ごした8年間の中で与えてくれた。そして、そんな祖父との思い出の中で色濃く残るものは、なんと言っても、杉良太郎の歌う『すきま風』で、その歌は、私の6歳~8歳の頃の十八番だった。

 

当時、我が親族には、ひと月に一度は祖父の家に集合し、食事やカラオケを共に楽しむという習慣があった。

2階にある2つの畳の間が、祖父と祖母の部屋で、月一の宴会はいつもそこで行われた。

2部屋の間の襖を取り払い、大広間にして、幾つものテーブルを並べる。

1階で叔父ちゃん(祖父の長男)が魚屋を営んでいたこともあり、テーブルには、刺身の大皿や、お寿司、煮魚などの料理が並び、親戚の叔父ちゃんや叔母ちゃん、年上のいとこたちが、続々と広間に集まってくる。

あっという間に会場が整い、祖父の音頭で、グラスの音が響き渡る。

 

刺身の美味しさも、煮魚の美味しさも分からない私は、いとこのお兄ちゃんがもってくる、ジュースやチョコレートに夢中だった。

だから、テーブルの上の料理を口に運んだ記憶はあまりないのだけれど、宴会の中で、『すきま風』を歌う私と、それを微笑みながら見つめる祖父の姿だけは、今でも鮮明に思い出すことができる。

 

 

歌を覚えた経緯は、祖父と一緒に見ていた「遠山の金さん」だろう。

杉良太郎演じる、金さんこと、江戸町奉行の遠山金四朗景元が町に繰り出し、町奉行という身分を隠して悪党と対峙する。

啖呵を切って片肌を脱いだ金さんが、桜の彫り物を見せつけながら繰り広げるチャンバラ。

何人いても、どんなに分が悪くても、必ず金さんが勝利し、悪党たちは退散するという安定のストーリー展開。

そして、後日捕縛された悪党たちを前に、

「この桜吹雪に見覚えがねぇとは言わせねぇぜっ!!」

と、またまた金さんが片肌を脱いで、桜吹雪を悪党どもの前に改めてさらす瞬間は、「待ってました!」と、鼻息荒く手を叩かせ、幼き私の中に、少しやんちゃで、真っ当過ぎない、粋なヒーロー像を刻み付けたものだった。

 

『すきま風』は「遠山の金さん」のエンディング曲だったこともあり、いつの間にか私の中にインプットされたのだと思う。

加え、カラオケで父がその曲を歌う様子を静かにチャージしながら、私は満を期して、ある日の宴会の席で、『すきま風』を初披露したのだ。

 

無論、歌詞も間違えただろうし、父のように、こぶしを回して歌うことはできなかった。

けれど、歌っている最中、ずっと私を見ていてくれた祖父の眼差しと、歌い終わった後に部屋を満たした拍手の音の中で、高揚した気分を抱いたことは覚えている。

人前で歌を歌うというチャレンジは、その一回で私を虜にし、その後私は、宴会がある度に、『すきま風』を歌うようになった。

後に、山本譲二の『みちのくひとり旅』や、梅沢富美男の『夢芝居』など、レパートリーは増えていったが、それでも、必ず締めに歌うのは、決まって『すきま風』だった。

 

 

あの哀愁漂うイントロが流れると、「よっ、くみ!」と、必ず叔父ちゃんかお兄ちゃんの声が掛かる。

私は汗ばんだ手でマイクを握りながら、座敷の上座に座る、おじいちゃんから一番遠い場所に立つ。

沢山のオーディエンスの中で、私のターゲットは、おじいちゃんに集約される。

深く静かな眼差しが、私に向けられる。

歌い出しまでのカウントを、胸を上下しながらとる。

歌詞の意味など分かりはしないのに、覚えた言葉を、おじいちゃんに向けて紡ぐ。

大切な告白をするように、一語一語を、ゆっくりと。

間奏の間に少しだけモジモジとして唇を舐め、2番へのカウントを足先でとる。

こぶしは回せないから、マイクを少しだけ回してみる。

緊張が解け、視線をおじいちゃんから他のオーディエンスへ向けてみると、パラパラと拍手が起きる。

続けて、終盤のサビ。

心が高まっていくのが分かる。

曲が終わらないでくれたらいいのに、と切ない願いが胸に広がる中で、メロディはクライマックスへと向かっていく。

父も母も、姉も、叔父ちゃんたちも視界から消えた空間で、私はおじいちゃんと私という時間の中を生きる。

後奏がゆるやかに流れる。

静寂が訪れ、次の瞬間、拍手が起こる。

嬉しくて、少し、ちびりそうになる。

遠くにいるのに、おじいちゃんが心から喜んでいるような雰囲気が、おじいちゃんの周囲にゆらゆらと浮かんでいるように見えて、私はそれに触れたくなる。

マイクを置いて、駆け出し、おじいちゃんの胡坐の上に座る。

乾いた大きな手のひらが、私の頭を揺らす。

私はくるりと顔を回して、おじいちゃんと視線を合わす。

言葉を用いることをせず、ただ、ニコニコと微笑み合うのだ。

 

それが、私の中で今も息づく、おじいちゃんとの大切な思い出だ。

 

 

おじいちゃんが他界したのは、夏と秋との間だった。

当時我が家は、おじいちゃんから貰った土地に、平屋から2階建ての家へと建て替えの最中で、おじいちゃん宅からほど近いアパートに住んでいた。

そのアパートに、平日の早朝、いとこのお姉ちゃんが走ってきたのだ。

 

「おじいちゃんが……、おじいちゃんが……」

 

8歳だった私は、その声だけで事を予測することはできず、慌てて外へ駆け出していく母を、姉と一緒に追いかけることしかできなかった。

距離にして、500メートル弱をダッシュして、おじいちゃんの家に着く。

叔父ちゃんの魚屋を走り抜けて靴を脱ぎすて、階段を目指す。

上りきる前から、誰かの悲鳴にも似た泣き声が聞こえてくる。

怖くて進めなくなるのに、階段がひどく暗く見えて、そこに止まることもできずに、私は姉の後を追って、おじいちゃんの部屋に向かった。

 

いつも宴会をするその部屋に、おじいちゃんは寝ていた。

布団の上で、普通に。

それでも、その布団の周りを囲む、おばあちゃんや母が、ひーひーと泣いているので、これは大変なことが起きたのだということが、何となく肌感覚で分かった。

けれど、人の死に直面したことのない私は、その場面が、まさにその場面なのだと合致することなく、学校へ行くはずの時間に、こうして皆で、おじいちゃんの家に集まっていることへの興奮に似た気持ちを抱えながら、おじいちゃんの布団に近づいたのだ。

 

「おじいちゃん、どうしちゃったの?」

「何か、鼻に詰まってるよ」

 

私の言葉に、皆がどう答えていいのか戸惑う雰囲気の中で、母が、くしゃくしゃな顔を向け、

「おじいちゃん、死んじゃったのよぅ……」と言って、しゃくり上げるように泣いたのだ。

母のそんな姿を前に、私の中に広がった感情は、戸惑いでしかなかった。

「心筋梗塞だって……」

「朝起きたらいなくて、おばあちゃんが探したら、トイレにいたんだって……」

そんな会話を聞いた私は、

「おじいちゃん、トイレで死んじゃったの?」

などという頓狂な問いを、また母に向けた。

「1人で? 1人っきりで?」

重ねて問いかける私に頷き、母はまた泣き崩れた。

 

そこに至っても、私には、おじいちゃんが死んだのだという事実を、実感することはできなかった。

だから平気で、「触ってもいい?」とおばあちゃんに尋ね、了解をもらって初めて、おじいちゃんの枕元に座った。

 

おじいちゃんの顔を間近で見てはじめて、そこにはもう、おじいちゃんがいないということが、鈍感な私にもやっと分かった。

両鼻の穴に綿がつまり、口を閉じているというのに、おじいちゃんは全然苦しそうじゃなかった。

静けさを通り越した深い沈黙が、そこにいるおじいちゃんの全てのように思えた。

私は、髪の毛と同じ白い髭が、口や顎の周りに短く生えているのをじっと見つめながら、口元に手をかざし、息をしていないことを確認した。

そして、おじいちゃんの耳に触れてみた。

耳たぶはまだ柔らかく形を変えるのに、それはひどく冷たかった。

 

私は、「あ~あ」と思った。

「どうして?」よりも、「あ~あ」と思ったのだ。

「あ~あ、もう会えないんだ……」と。

そんな風に思ってやっと、取り返しのつかない現実の中にポンと放り込まれたような心もとなさを感じて、私はぎゅっと唇を噛んだのだ。

泣き虫のくせに、涙は出なかった。

泣いている皆の中にいて、泣けない自分が、すごくいけない子のように思えて、私は、いつまでも、冷たくなったおじいちゃんの頬に触れたり、喉仏の凹凸に触れたりして、布団から離れられずにいた。

 

死んだら焼かれて灰になるなんてことも、初めて知った。

焼骨の前の雰囲気と、待合室との温度差。

そんな環境下においても、物を食べたり飲んだりするということ。

泣きはらした母の赤い目。

濡れてしわくちゃになった、父のハンカチ。

火葬場の煙突から吐きだされる煙が、何を意味するのかということ。

骨上げの時に、ほんの少しワクワクしながら、一番大きな骨を選んでしまったことや、従弟のお兄ちゃんと2人でそれを骨壺に入れる作業が、なんとなくゲームみたいに思えたこと。

 

目に映るものと、現在進行形で進んでいくこととの整理ができぬまま、葬式は終わってしまった。

寂しいとか、悲しいとかいう感情よりも、初めての事に対面する連続の中で、驚いたり、疑問に思うことの方が多くて、ひどく疲れたのを覚えている。

 

 

おじいちゃんのお葬式が終わって半年が経った頃、我が家は、完成した新居に引っ越しをした。

新しい家の匂いを胸いっぱいに吸いこみ、自分の部屋が与えられたことに歓喜する私の中で、おじいちゃんの記憶は薄れつつあったように思う。

 

それでも、階段途中にある窓から、家の裏手にある神社を見下ろした時、ぶわりとおじいちゃんの記憶が蘇ってきたのだ。

建て替え前は平屋だった我が家は、玄関を出て庭を突っ切り、門を出て裏手に回れば、そこは神社で、滑り台やブランコや砂場のあるその場所は、言わば、私の庭でもあった。

おじいちゃんが、ひと時その神社の管理をしていたことや、奉納をしていたことで、赤と白と黄色の鈴緒には、おじいちゃんの名前が記されていた。

そんなこともあって、おじいちゃん亡き後、私は勝手に、その神社の社殿の中におじいちゃんがいるのだと信じ込むようになった(納骨をしたお寺と神社の区別がついていなかったこともある)。

だから、神社で遊ぶ時は決まって、からんからんと鈴を鳴らし、社殿の中を覗いて、「おじいちゃん、あのね」と語りかけ、外に行けなくても、家の階段途中の窓から社殿を見下ろしては、「おじいちゃん、今日ね」と、勝手な妄想で作り上げたおじいちゃんとの共有時間を重ねるようになっていったのだ。

また私は、神社に面した側にある風呂場で、よく『すきま風』を歌った。

「神社に入る前から、お前の声が聞こえたよ」

呑んで帰ってきた父が、苦笑交じりにそう言う時、私も苦笑を返しながら、

「うん、おじいちゃんに歌ってたの」

と胸中で答えたものだった。

 

神社にはおじいちゃんがいる。

それは、私が作り出した妄想でしかない。

けれど、父にも、母にも言えないことも、神社にいるおじいちゃんには話すことができた。

たとえ、そこに返答がなくとも、吐きだす先があったということは、多くの場面で私を救い、大切な精神的支柱になってくれていたと思っている。

 

けれど、恋をして、仕事を始めて、また恋をして、大人に近づくにつれ、神社のおじいちゃんに向かって言葉をかけることも、風呂場で『すきま風』を歌うことも少なくなっていった。

 

 

それでも、結婚をして長男が生まれ、少し時を経て次男を妊娠中の頃、私はまた、おじいちゃんのことを深く思い出すようになった。

そのきっかけは、2つのお葬式だった。

 

お世話になった職場の先輩のお母さんが亡くなり、通夜に参列したその数週間後、今度は、同じ先輩のお父さんが亡くなり、私はまた通夜に出かけた。

妊婦ということで気分のアップダウンが起きやすかったのかもしれない。

私は、ある家族の中で続いた不幸にひどく同調してしまい、通夜の席で、まるで、近い親族でもあるかのように激しく号泣してしまったのだ。

そして、帰宅後、玄関先で塩を振り、重い心と体を引きずりながらリビングまで歩いて行く私に、2歳になったばかりの長男が息をのむような一言を放ったのだ。

 

「ママ、おじいちゃんがいるよ」

 

玄関を指さしてそう言う長男に、

「いや……、ママには見えないよ。気のせいだよ……」

私は、ギョッとしながらそう返し、玄関で立ち尽くしている長男を呼び戻した。

「まだ、いるの……?」

頷かないで、と願いながら怖々と尋ねる私に、長男は私を見上げて「うん」と首を振る。

「怖いおじいちゃん?」と聞く私に、首をふる長男。

怖さ半分、興味半分で、目を細めて玄関を見やる。

そして、見えてはいけないものが見えないということに安堵しながら、

「気のせい、気のせい……」

と、自分に言い聞かせるように呟き、私は長男をリビングに促すと、玄関に続くドアを閉めた。

 

亡くなった先輩のお父さんがついてきてしまったのかも……。

私の、少しばかりアンバランスな波長が、引き寄せちゃったのかも……。

 

そう考えると、血の気が引いていくような心地がし、その夜は、

「どうか成仏してください。奥様もお待ちです。私では、力になれませんから」

などと、何度も、何度も、胸中で懇願しながら眠りについた。

 

朝になってもう一度長男に尋ねてみると、首を傾げて、そんなこと言ったっけ? 的な反応。

私は少し安堵しながら、それでも、いっぱいの塩を玄関にまいて、もう一度、「どうか、お戻りください」と手を合わせた。

 

玄関には、昨晩の恐怖など思い出せないほどに晴れ晴れとした朝陽が差し込んでいる。

閉じた瞼を、朝陽が温かく包みこむ。

夏の日差しの強さだけではない、どこか、懐かしさの混ざりあうような光の粒子が、チラチラと瞼の外で揺れている。

私は、霊を見たことはないのだけれど、「あ、この感じはすごく良い感じだな~」と思うことには敏感で、その瞬間私は、その心地よい感じの中に佇みながら、

「もしかしたら、昨晩長男に見えたのは、おじいちゃんだったのかも?」

というひらめきを抱いたのだ。

自由奔放+魔の2歳児に突入した長男の育児に加えて、妊娠8ヶ月。

そんな中、通夜にでかけてバランスを崩した私を心配したおじいちゃんが、ひょっこり姿を現しちゃったんじゃないか? と思ったのだ。

 

怖い、とシャットアウトせずに、「どんなおじいちゃんなの?」と、長男に聞けば良かったと後悔が胸に広がる。

次の瞬間、私は猛スピードで、塩を掃きとっていた。

そこに、微塵でも残っている(かもしれない)おじいちゃんかもしれないどなたかを、払ってしまいたくなかったのだ。

無論、その全てが私の妄想で、長男が見たものすら幻想でしかないのかもしれないが、その思いつきが、ひどく私を清々しい気持ちにしてくれたのは確かだった。

 

 

その晩私は、十数年振りに、湯船に浸かりながら『すきま風』を歌った。

久しぶりにその歌を辿るというのに、歌詞はするすると流れ出し、私はそのことに驚きながらも、良い気分になって、何度も熱唱してしまった。

歌えば歌うほど、ビシバシと心に染み入ってくる歌詞は至極シンプルで、まとめてしまえば、

「人生いろいろあるけど、生きてればなんとかなるよ」というものだった。

 

気づくと私は、湯船の中で涙を流していた。

幼き頃に覚えて、おじいちゃんに喜んで欲しい一心で歌い続けたその一曲が、いつの間にか私の中で、太く大きな柱となって根づいていたのが分かったのだ。

私は、胸中でおじいちゃんに語りかけた。

 

「おじいちゃん、私もね、この歌みたいに、人を好きになって、苦し過ぎて、逃げたくなって、すきま風みたいに、ぴゅ~ぴゅ~と胸が泣くような経験をしたよ。それから、夢もみたよ。手を伸ばしても届かなくて、諦めてしまおうかなって思って、投げだしてしまえば楽なのに、って思って弱気になったりもしたよ。でも、逃げたら私らしくないじゃんって、自分で自分を励まして、その夢を掴むこともできたんだ。そんな風に生きてこられた背景に、おじいちゃんの存在が大きく影響していたってことは間違いないよ。おじいちゃんが、私の存在を全身で喜んでくれたこと。それだけで、その後に起こる様々なことをクリアしていく力を貰ったわけだしね。それから『すきま風』もそう。何度も繰り返し歌った歌詞は、知らぬ間に私の血肉となり、問題に直面しても、その問題や悩み事が、未来永劫に自分の中に滞在することはないんだって、思うことができたんだ。それって、本当に凄いことだよ。一緒にいられた短い時間の中で、随分と多すぎるものを貰っちゃったなって思って、それを返せないことに、今、ちょっと困ってるよ」

 

私は、ふう、と息を吐いて、湯船に浮かぶ大きなお腹をなでてみる。

その手に反応するように、お腹がぐにゃりと形を変える。

私は、2か月後には産まれてくるであろう第2子に、

「今の聞いてた?」

と尋ねてみる。

そして、どうしたら、おじいちゃんが教えてくれたようなものを、この子に伝えられるだろう? と思案する。

膨らんだお腹の右上に、ポコリと小さな凹凸が浮かぶ。

私の満たされた気持ちに呼応するかのように、凹凸は、ポコ、ポコと浮かんでは消える。

私は、お腹の皮下にいる命の動きを追いながら囁く。

「君が生まれてきたらさ、おじいちゃんが私に見せてくれたような眼差しで君を見るよ。毎日、毎日できるかは分からないけどさ。君に会えて嬉しいよ。君と一緒にいられて、本当に嬉しいよ。そんな想いを持って君と過ごせるようにするよ。それができれば、ちょっとだけおじいちゃんに貰ったものを返せると思うからさ」

と。

 

***
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2016-05-12 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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