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女系の呪い


記事:龍 (ライティングゼミ)

「おばあちゃん、もう、逝っていいよ」眠っている祖母にそう話しかけると、「なに縁起でもないこと言ってんの!」と顔色を変えた母が声を上げる。それは、祖母が亡くなる3日前の出来事。この数年は孫娘の私のことも認識できないくらい意識が朦朧としていて、老人ホームにお見舞いに出かけても、眠っている姿を確認するだけのことが続いていた。

たとえ祖母が目を覚ましていたところで、私の言葉が理解できたかどうかわからない。それでも、私のこの一言によって、祖母はあの世に旅立ったと思っている。そのことについては、私は罪悪感を感じていない。あの言葉、祖母の女系の呪いを解くための呪文、を聞いたから、祖母は安心して生涯を終えることができたのだと信じているから。

私のペンネームの龍は、母方の祖母の名前を取っている。小さい頃は、おばあちゃんの名前は龍子だ、と言われていたが、戸籍上は龍が正しい名前であることを、大人になってから知った。なぜ孫に龍子と呼ばせていたのかは不明である。私はお料理が上手くていつも背筋をピンと伸ばしている龍子おばあちゃんが大好きだった。だが、普通のおばあちゃんだと思っていた祖母には普通ではない過去があった。

小さい頃、祖父母はよく旅行に出かけており、旅先での写真を見せてくれた。私の両親は仲が悪かったので、祖父母は仲が良くて羨ましい、と思っていた。が、祖父はともかく、祖母は祖父を毛嫌いしていたらしい。家族の前では完全に演技をしていたのだ。そして、80歳を過ぎた頃に、ヘソクリを元手にバブルの時期にひそかに殖やしたお金で、「もう、これ以上アンタと一緒に住むのはイヤだから」という捨てゼリフを祖父に残し、独りでさっさと老人ホームに入ってしまった。

これも大人になってから知ったことだが、祖母はバツイチ、祖父とは2度目の結婚だった。祖母の最初の結婚の相手は、由緒正しいお花の家元の家系の男性。幼少期に兄弟の中で自分だけが養子に出され、養子先の両親から辛い仕打ちにあった祖母は命を絶とうとしたのだが、そのときに助けてくれた年上の男性だった。1人の男の子に恵まれ、祖母は愛する人との家庭を築いた。祖母の人生のなかでは一番幸せな時期だったに違いない。

しかし、幸せな時間も長く続かなかった。愛する夫が病気で死んでしまう。独身に戻り生活のために病院の付添の仕事をしていた時に、入院患者として祖母の前に現れたのが、私の祖父である。祖父は祖母に一目惚れし、退院後自宅で療養するので身の周りの世話をしに来てほしいと、祖母を雇って家に連れて来た。

「で、私が帰れないように、帯を隠されたのよ」と、自分の娘、つまり私の母が席を外したすきに、祖母は思い出すのもおぞましいといった顔で、大学生の私に言った。「帯なしで外に出たらなんと言われるか分からない時代だからね。それで結婚するしかなかったのよ」そして、私の目を見つめながら、呪いの言葉をそっと囁いたのである。「男はケダモノだから、信じたら駄目だからね」

祖母の、男性を信じてはダメという「呪い」は、娘である私の母に受け継がれた。母親に甘えたいさかりの小学生の頃、母は当時別居していた祖母に一人で会いに行ったという。そこで祖母はどんな話を幼い母にしたのだろうか。自分の家に愛着を感じられなかった母は、学校を出てすぐ、父にプロポーズされて結婚した。が、実は1年の婚約期間中に、何度も婚約破棄を考えていたのだという。私が小学生の頃父は事業を始め、軌道に乗らずに夫婦喧嘩がひどくなった。お金にも苦労し、母は4人の子供を食べさせるために外に働きに出るようになり、父を頼らなくなった。

祖母は自分の結婚にまつわる話を、4人兄弟の長女の私にだけに話した。弟たちに「男はケダモノ」と話さなかったのは当然だと思うが、女性として「ケダモノ」を注意すべき妹にも話をしなかった。両親が喧嘩をした時、私はいつも母の味方だった。一日中外で働いている母を見て、父を軽蔑し、疎んだ。妹は特にこだわらず、父も母も同じように愛し、そして愛された。なので、祖母からの「呪い」は妹ではなく、私に引き継がれたのも当然かもしれない。妹は早くに幸せな結婚をしたが、私は女が一人でも生きていけるよう、キャリアを積んで男性と互角に競う道を選んだ。恋愛も人並みに経験したが、心の底では相手を信じることができず、長続きすることがなかった。結婚はキャリアの邪魔になるもの、と全く興味が持てなかった。私は、夫を信じなくても自らの道を切り開いていた祖母と母を尊敬し、自分の将来を重ねていた。

そんな私が、ひとつの恋愛によって大きく変わった。なんてことはない、一言で言えば私がメチャ惚れだっただけである。惚れた弱みで、いい年をした女が相手の言うままになり、相手の色に染まった。幸運だったのは、離婚経験者の相手が自分の失敗例を踏まえて、どのようにすれば男女がうまくいくかを、男性の立場から本音を包み隠さず話してくれたことだった。男性の孤独、プライド。弱くて見せたくないような男性の一面を知り、亡き祖父や父の姿を違う視点で見れるようになった。同時に、父から愛されたことのないと思いこんでいた幼少期の想い出に、確かに父から愛情を受けたという記憶がどんどん蘇ってきた。前のかごに弟、後ろの荷台に私を乗せて、自転車で一生懸命走っていた父の背中。お腹が痛くなった私を、中学校まで車で迎えにきてくれた父の笑顔。

そんな時に、母の昔のアルバムを見ることがあった。白黒写真の中の新婚旅行での父と母。ふっくらとしたほっぺの母は、眩しいくらい明るい笑顔でこちらに向かって手を振っていた。ああ、母も、今では父をあんなに嫌っているけど、ほんの一時期でも父を愛していた時はあったに違いない、その笑顔を見て確信した。そして、私はその愛の結晶なのだ。夫婦の性格の不一致は、どちらかが全面的に悪いわけではない。確かに父は、金銭的に母に苦労をかけたかもしれないけど、母も妻としてやり方がほかにあったのではないか。パートナーを愛し、信じること。本当に慎ましやかで賢い女性ができること。

次第に私にかけられた女系の呪いが解けていく。同じ頃に祖母の記憶もあやふやになりはじめ、常に話していた祖父の悪口を口にしなくなってきた。顔つきもすっかり穏やかになってくる。おばあちゃんを苦しめていた記憶が消えていってるんだ。記憶がなくなれば、過去だってなかったことになる。「おばあちゃん、もう、逝っていいよ」、つい言葉が出てしまった。その言葉が、祖母を、私を、呪いから解き放ったと思っている。3日後のお葬式での祖母の顔は、安らかでとても綺麗だった。

祖母がわずかの時間でしか味わえなかった、女性としての幸せな生き方。私がそんな生き方をすることで、祖母も報われるはずだ。龍の名前を受け継ぎ、私はこれから祖母の人生を上書きして生きていく。


2016-05-12 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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