メディアグランプリ

フライデーナイト修行


naonoさま
記事:Sofia(ライティング・ゼミ)

 

金曜夜の終電。東京。

それは阿鼻叫喚の地獄絵図。 酩酊、疲労、ストレス、そんなものが一気に爆発しているとともに、週末ならではの気分の高揚感も相まった一色即発のデンジャラスゾーンです。 一緒に誰かがいてくれたときの気分の軽さは言うまでもありません。「本当にあなたがいてくれてよかった」と、トレンディドラマ並のセリフが普通に飛び出します。耐え難い時間の中、話し相手がいてくれるって素晴らしすぎる。 が、しかし。ひとりでそのぎゅうぎゅう地獄に飛び込んでいったならば、もう心を無にせざるを得ない。 座ってバッグを抱え込んだまま石仏になっている方もいれば、立って目を瞑ったまま握りしめた吊革と足の裏を支点としてグルグル回っている猛者もいます。

その中をただ無になって耐える。そう、これは修行。 自分の家の最寄駅が遠ければ遠いほど、涅槃に近づいていきます。 週末だからって調子に乗ってこんな夜遅くまではしゃいじゃった罰か? しかしそれは罪か? 1週間がんばったんだからそれくらい許してくれたっていいじゃんか。 そんな言い訳は鉄道会社には通じない。いや、むしろ待っててくれてるくらい優しい。電車に間に合っただけ良しとしろ。駅員さん、本当に毎日ありがとうございます。 そんな金曜のとある終電です。 私はひとりで乗り込んでしまったため、たくさんの行者にもみくちゃにされながら経伝(スマホ)をいじるフリをして、無の扉を開こうとしていました。しかし、その修行には横槍が入ります。そう、それは駅での停車。自分の降りる駅が近づいてくる終盤に特にそれは起こります。「え? ここどこ? もう着いた? 着いてないよね? ホームの駅名が見えない! あ、大丈夫だった。よかったー」

そんなことをほぼ毎回やってしまいます。無になればなるほど乗り越す危険大。まだまだ修行が足りません。行を積んだ者だけが、自分の駅に着いた途端に反射的にパッと気づく、あるいは目を覚ますことができるのです。

お酒が飲めない私でこれなのだから、アルコールを注入しての修行は過酷さを増します。私としてはそんな勇者からはできれば離れておきたい。修行を行っている最中に体内の余計な邪気を口から噴出する可能性を秘めているからです。

 

そんなこんなで「超絶満員電車」が「そこそこ混んでいる電車」に落ち着いてきたころ、一人の男が倒れ込むように乗り込んできました。閉まる電車のドアにすがりつくようにしながらその体は床へと落ちていきます。そんな男をドアの外側にいる別の男が困った笑顔で窓の部分をたたき、別れの合図をしていました。この電車に男をいざなった者なのでしょうか。

 

電車に乗った男は、そのままジャパニーズ土下座スタイル。もはや礼拝に近い。

「身体が柔らかい!」私はそう思いました。

おのずと彼を取り囲むように出来上がるスペース。ワイシャツにスラックス、ネクタイはポケットにつっこまれておりました。上着はどこに置いてきたんだろう? 年の頃は20代後半から30代前半。通常ヴァージョンなら普通にモテそう。頭には少し埃がのっかっており、肩には黒いこすれたような汚れ、よく見ると背中には塵が無数に付着しています。ここにたどり着くまでにも七転八倒してきたのですね。よくぞここまで辿り着きましたな。

……しかし、大丈夫かよ?

 

周りに高まる緊張感。このまま放置しておいていいのか? 下手したら命に関わったりとかしない?

そんなとき次の駅に到着。プシューッと開くドアとともに男は前に倒れました。そんな男の右肩をドアの脇に立っていた聖女がつかみ、引き起こしました。男は命を救われたのです。そしてドアが閉まり、男はまた礼拝を始めます。

 

聖女の隣に立っていた私がハラハラしながら次はどうなってしまうのだ? という気持ちでいると、そこに白髪の素敵な鶯色のジャケットを着た伝道師が現れました。血色がよくエネルギッシュな伝道師が、男の両肩をバッシバシ叩きながら、「おにいちゃん! ここ危ないぞ! 次で降りような。それにしても飲んじゃったなー。俺も酔っぱらってるけど(てへぺろ)」みたいな感じで話しかけました。男は礼拝中なので何も言葉を発しません。しかし、伝道師により車内(というか、私たちの周り)の空気はいっきにほんわかムードへ。罵声の飛び交う殺伐とした空気になること間違いなしだった環境が一変しました。伝道師が初対面の中年サラリーマンに「こりゃ次の駅で降ろして、駅員さんに任せよう」と言っていた矢先、次の駅に着きました。

 

伝道師が男を軽めに説得するものの降りる気配なし。それもそうだ。命がけでなんとか乗った終電。どうせなら家まで帰りたい。「俺、乗れてるじゃん!」って思いたいのもわかる。っていうか、そこまで意識があるか思考が働いてるかもわからない。(たぶん働いてない)

そしてその間も聖女は肩を支えているのです。これ、ロマンスの始まりだったりするんじゃないの? とかそんな無責任なことを考えていました。

 

そうこうしているうちに、再び閉じるドア。そして男はまた礼拝。

伝道師は「もうしょうがねえから、俺が降りるまでは見とくよ」と。なにそれ、神様?

私の後ろには先ほど伝道師と話していた中年サラリーマンがいたので、「もう少し中に入れてあげたほうがいいですかね?」と笑いながら問いかけてみたところ、サラリーマンも「いやあ、中で吐いちゃうと本人も周りもあれだからねえ、あはは」と、これまで経験してきたであろう余裕さで答えてくれました。

 

そうこうしている内に、私が降りる駅に到着しました。

ドアを半分塞いでいる男は確かに邪魔ですが、耐えるしかない満員電車に笑いをもたらしてくれたこともあり、「もうしょうがないなー」くらいな気持ちでよけて無事に降車。

しかし電車を降りた途端、一人のおじさんがホーム側から「おら! 降りろ! 邪魔なんだよ!」と詰め寄り、彼の腕を無理やり引っ張ったのです。一気に張り詰める空気。急な出来事に立ち上がることのできない男は、ホームに両膝を打ちつけてしまいました。

 

まあドアの前に座り込んでるのは確かにね、危ないしね。そのおじさんの言ってることは間違ってないとも思う。でもやり方がさあ、せっかくいい雰囲気だったのに……と、お門違いかもしれませんが、今までの和やかムードとは真逆の事態に私の気持ちは少し沈んでしまったのです。

 

男はそのときばかりは立ち上がり、無心で電車に戻っていきました。そしてそれを迎える伝道師たち。

わたしは走り去る電車を振り返り、「無事に帰るんだよ」と生暖かい目で見送ったのです。

 

これと比べていいものかわかりませんが、ベビーカーの問題然り、誰かとぶつかったとき然り、当人同士や周りにいる人たちの少しの気配りや些細な一言で、本当に状況は変わるものです。

周りの雰囲気がピリピリイガイガしているときほど、こういう柔軟な対応のできる人間になりたい。そんな風に思いました。

 

その後私は「珍しいこともあるもんだなー」と眠い頭でふらふらと帰宅し、なんとか滝行をして身を清め、ベッドという名の極楽浄土へ身を任せましたとさ。あー極楽極楽。

おしまい。
***
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2016-05-19 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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