メディアグランプリ

6代目天狼院秘本を読んで


6代目

 

記事:フルカワカイさま(ライティング・ラボ)

「俺の手にかかる以上、売れない本はない———」
その狼はそう言って、先ほど仕留めたばかりのうさぎの肉を貪り、口から血を滴らせながら、ニヤリと笑った。そうして骨まで食い尽くすと、ペッと残骸を吐き出し、足で泥を蹴散らし、森の奥へと消えていった。

狼が去った後、恐る恐る残骸を見るとそこには一冊の本があった。
食い散らかした跡が散乱する中でなぜかそこだけが血しぶきも泥も付着しておらず、黒々とその姿をさらしていた。血と泥に分断された空間は、まるでどこかこの本がこの場所とは別に実体があって、太陽に照らされたシルエットがその場に映し出されているように感じるほど平穏な空気を際立たせていた。

狼が去るまで木陰に隠れていた私は、恐る恐る木から離れ、その本に近づいて手に取った。

まず手にした瞬間、これは影ではなく、実の本だということに安堵した。ズシリとした感触が手の平から脳に伝わる。横にしてみると、いつも読んでいる本よりやや厚く感じた。見た目だけでいうと恐らく400ページ以上はありそうだ。

なぜ、この本がここにあるのだろうか。そしてなぜ、この本だけが汚れてなかったのだろうか。

あまりにも綺麗な包装に、私はこの本は狼が一番大切にしているものなのではないだろうかと直感した。ということは、これを取り戻しにこの場所に再度、狼が戻ってくる可能性がある。どうしよう、その時は絶対にやつに食いちぎられるに違いない。でも、狼がこれほどまでに大切にしている本とは一体どんなものなのだろう。そういえば狼は去り際に「309の衝撃」とか言っていた様な気がする。その言葉の謎がここに載っているのなら、ぜひそれを見てみたい。そうだ、パンドラの箱とわかっていても、どうせ食べられてしまうのならば、この好奇心を満たしてからならばまだ悔いが残らないだろう。よし、この本を読んでみよう。
生臭い匂いが立ち込める中で、私は本を開いた。その瞬間、頭上でトンビがピイと声高に鳴いたのをかろうじて耳の端っこでとらえた。そうしてそれを合図に私は、無意識の世界へと旅立った。

思えば、狼と出会ったのは半年前だった。
その日は真冬のまっただ中で、私は寒さに震えながら森に入っていくと、そこには月明かりに照らされた狼が立っていた。恐怖に怯える私と反して、狼はいたく冷静な面持ちでこちらを見つめていた。すでに食事を済ませた後なのだろうか、今思うととても穏やかで、先ほど見た光景とは違い優しい眼差しで見ていたように記憶している。

私は警戒しながらもその凛とした立ち姿に思わず自分の名前と、その時に抱いていた本音を口にした。
「ねぇ、本ってさ、本当に本を必要としている人に読まれてないと思わない?」
そうつぶやくと狼はじっと私のことをとらえた。今度は目に光があった。そして、その場をぐるぐると旋回したのちに月に向かい、吠え始めた。
ただ一匹、月を見ながら。
そして慟哭のようなその声は、森の闇を、深くした。

そこから季節は移ろい、コートを着なくては出かけられないほどの寒さは終わり、暖かな春がやってきた。桜は例年よりも早く来て、多くの市民を喜ばせた。

しかし来る日も来る日も、狼の遠吠えは続いた。
途中で子どもを産んだのか、一匹だけでなく小さい声で何匹か鳴く声も聞こえてきた。
それは何かを探し求めているのに見つからない、まるで出口が分からなくなってさまよっているかのような、救いを求める声にも聞こえた。

そうして桜は散り、ハナミズキが咲き、衣替えの季節に差し掛かった時期だ。
その声が、狼のなく遠吠えの声質が、明らかに変わったのだった。

最初に聴いた虚しい声とはまた違う、子供たちと嘆きのアンサブルを唄っていた声とまた違う、それは決断に満ちた、堂々とした野太い声だった。
そしてその声を合図かのように、私はその森に再度、足を踏み入れたのだった。

黒いカバーに包まれた本をめくる。
タイトルと著者を確認して、少し驚いた。自分の知っている著者の名前がそこにあったからだ。おそらく過去に二、三冊は読んだ。この本を狼はなぜ、大切にしていたのだろうか。無意識の中で「?」が浮かぶ。

しかし、最初の「?」は序章に過ぎなかった。
ページをめくる。読み進めるたびに「?」が浮かぶ。
なぜならばそこに特別な言葉は何もないからだ。まるで記録のような描写が進んでいくのみ。特段際立った場面設定でもなく、淡々と物語だけが進んでいく。
「これで、これで本当にいいの?」
そんな不安に駆られながら読み進めていく。が、いくら読んでも期待通りの「!」が出てこない。さらに読み進めるたびに、心の奥底にざらりとした気色悪い何かが溜まっていくのを感じていた。淡々としているのに肝心なことには一切触れていない。確信犯とわかっていてもその平坦な物語の進め方の徹底的さ加減は、読んでいて不満と不安と焦りを覚えた。どこにも物語の結末がなければ、すべてが結末に見えた。知りたいのに分からない、ざらりとした感情を払拭したくて、とにかく読み進めた。

「そういえば309の衝撃って言ってたっけ……」
無意識の中で狼の言葉を思い出す。確か、それはページ数だとつぶやいていたような気がした。
手元にある本のページを確認する。
———306ページ。
あるのはこれまでと何ら変わらない物語だ。積もりに積もったざらりとした感情がさらに積みあがっていく。
———307ページ。
相変わらず淡々としている。あと2ページで本当に変わるのだろうか。私は心のどこかで嘘つき狼の話を思い出していた。
———308ページ。
物語は変化せず。ただ、309ページまであと1ページともなると、少し緊張してきた。
この次のページを見ると何かがわかる。まるでそこはゴールのようだが、何だか終焉のような気もして、一気に複雑な気分に覆われた。このまま読もうか、読むまいか。もちろん、結論は決まっている。どんな感情になっても受け入れよう。そうして私は次のページに目を配った。

———309ページ。

……あっ……

 

ふわりと体が浮かんだのがわかった。血流のポンプが上下して熱を作っているのがわかる。ざらりとした感情はそのポンプの栄養剤と化し、「?」と「!」にどんどんと変えていた。そこからはドキドキが止まらなかった。そこにある文字すべてに興奮した。快感を本能的に貪っていく読み人。そしてそれにしっかりと答えていく文字の羅列。ポンプは止まらない。結局、その物語はどこまでも熱を与え続けた。そして出てくるアドレナリンがピークに達した頃、その物語はゆっくりと着陸態勢に入った。そうして、現実世界に戻るしかけのおかげで私の意識は自然と、先ほどからずっといた、森に還った。

すべてを読み終わり、私はそっと本を閉じた。
冷たい風が頬を撫でる。
あ。そうだここは森だった。
辺りを見るとすっかり日が暮れて、月がぽっかりと頭上に浮かんでいる。
同じ景色のはずなのに、意識が戻ったあとの光景は先ほど見ていたはずの景色と全く違って、静けさだけがそこにあった。

私は物語とともに、先ほどの自分の行動を思い返して笑った。あれだけページ数を見つめていたにもかかわらず、読み終えるまでページを一度として見ることはなかった。そんな自分本意な行為がとても人間らしくて、私は少し自分のことを好きになった。

「さて帰ろう」
私は本をカバンの中に入れ、ゆっくりと森の出口へと体をむけた。水筒に入れていたアイスコーヒーはもう空になっていた。足元にあったはずの残骸もなぜかもう、そこには落ちてなかった。きっとトンビが気がつかないうちに咥えて持って行ってしまったのだろう。

その時、遠く方から狼の柔らかな遠吠えが耳に聞こえてきた。
「これだから読書はやめられないだろう?」

そうだね。
そうか、こういう本ならきっと本を読まない人も読んでくれるようになるんだね。
ありがとう狼、じゃあ、また。

 

私は清々しい気持ちに包まれながら、森を後にした。
背後の月に映し出された自分のシルエットはとても長く、伸びやかで、その影の先の見えない明日をもつかめそうな気がした。

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※これは事実に基づいたフィクションです。実際の森は天狼院書店、狼はもちろん三浦さんで、狼が食べていたものは、三浦さんがこよなく愛するそば屋のザルそばとはめんつゆの出前をイメージして演出したものです。6代目秘本、面白かったです。7代目も期待しています!

 

 

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2016-05-25 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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