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【最初で最後の、私のヒーロー】エースナンバーをまだ、追いかけずにはいられない《こじなつのラブレター》


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憧れの気持ちにまで、自己顕示欲がこびりついているのだと気づいたから、もうレイナちゃんのことなど忘れようと思った。

 

マイナスの感情だけならともかく、きれいで尊いように見える憧れの感情までもが自分の汚いところから端を発しているのだとしたら、私はもう誰にも憧れることなく、こんなふうになりたいと願うことも許しちゃだめだと思った。

 

レイナちゃんのことや、自分がまだ選手だった頃のことを思い出してしまうと、なんだか自分は本当はまだまだできる奴なのだという気がして、少し頑張れば、もう少し手を伸ばせば私はあの場所に行けたのかもしれない、認められる存在になれたかもしれないなんていう負け惜しみが頭をもたげてくる。

 

だから、バレーボールの試合のテレビ中継をやっていても、自分でチャンネルを合わせたりすることはなかったし、バレー部をやめた高校1年の時以来、選手としてプレーを再開することもなかった。小学校3年のときから7年間ともに生きてきたバレーボールだったけど、辞めたあとは日常に介入してくる余地はほぼなかった。

 

 

別に自分から進んでやりたいなんて言ったわけでもなくて、せっかく背が高いんだからバレーかバスケをやってみなさいと言われ、しぶしぶ選んだバレーボールだった。

 

別に楽しくもなんともなかったし、腕が痛くなるし、周りは知らない人だらけで毎日緊張していて、こんなことなら家にいたいなあと思ったことはしょっちゅうだったけど、やめたいと大騒ぎして波風を立てるほどわがままにもなれなくて、そうしているうちに1年が過ぎて小学4年生になった。

 

1年も続けていればプレーもある程度板についてくるから、練習試合にも出れるようになって、そうして初めて帯同した練習試合で、レイナちゃんのことを見た。

隣の強豪クラブの選手だったレイナちゃんは、6年生だらけのチームのなかでただ一人の5年生で、エースだった。

 

びっくりした。一番下級生のレイナちゃんが一番点を取って、一番走ってボールを拾って、ピンチの時は上級生がみんな、「レイナ頼む」と叫ぶ。そうやって体育館の天井いっぱいにあがったトスを、閃光のように相手のコートに叩きつけて、一番明るい笑顔でこぶしを振り上げるのはレイナちゃんだった。まぎれもないエースだった。その片腕だけで、劣勢を覆しチームを救い、見るものの心を動かした。ひときわ大きな歓声の中には、エースナンバーの4をつけた彼女がいた。

 

かっこよかった。体が震えてのどの奥がぎゅうっとつまって、鼻の奥が熱くなった。涙が出てくるのを我慢しながら、その試合をずっと見ていた。

 

私は二軍だったから対戦できる機会はなかったけれど、彼女の姿は帰りの車の中でも、家に帰った後も忘れられなくて、気付いたらボールを持って外に出て、壁打ちをしないではいられない自分がいた。

 

 

 

5年生になると、私は身長の高さを買われて一軍で試合に出られるようになった。ポジションはライト。トスが右側から飛んでくるから、右利きの選手はレフトのほうがスパイクが打ちやすい。右利きの私はライトではポンコツ攻撃しかできなかったけど、チームのエースはレフトに位置している場合がほとんどなので、相手のエースに相対するポジションで、高身長をもってブロックするという役回りがあった。

 

実力をつけつつあった私たちのチームは、強豪だったレイナちゃんのチームにも練習試合を堂々と申し込めるようになっていて、合同練習や練習試合をする回数はかなり多くなってきていた。

 

レイナちゃんは左利きのエースだったからライトでプレーをしていて、私と同じポジションだった。合同練習ではポジションごとにペアを組んで練習をするのが通例で、どっからどう見ても月とスッポンなのに、私はレイナちゃんと毎回パス練習をしては、ボールを訳のわからないところにすっとばしてレイナちゃんを走り回らせていていた。穴がなくても地面にめり込んでしまいたい気持ちでいっぱいで、いやレイナちゃんと一対一で練習できるなんてこんなうれしいことはないんだけども、自分の下手さをあんまりさらしたくないから早く終わってほしくて、いやそれでもやっぱりもっと練習見てもらいたい……と錯乱しているうちにいつのまにかパス練終了の笛が鳴っていた。そういうときはやっぱり、少し名残惜しい気持が残った。

 

月に2回は合同練習で顔を合わせているうちにチームぐるみでの仲も深まり、昼食休憩にはみんなで輪になってごはんを食べたり、おしゃべりをするような間柄になって、レイナちゃんも私のことを覚えてくれたらしく、会うたびに調子はどうかと声をかけてくれるようになった。自分から声をかけて質問攻めにするほどの勇気がどうしても出なかった私にはそれがうれしくて、少しでもいろんな話をしたいと思ってレイナちゃんの近くに座ったりとか、視界に入るところにいようとか、恋する乙女顔負けの地道な努力を繰り返していた。レイナちゃんが試合をしていれば休憩時間でも絶対に観に行ったし、レイナちゃんのチームとの試合の時はいつもの3割増で気合が入った。

 

私はチームで一番守備ができない選手だったので、相手の攻撃陣に狙われることが多かった。レイナちゃんもご多分に漏れず、私にサーブとスパイクの集中砲火を浴びせてくることもあった。

そういう試合の後はむしゃくしゃして、レイナちゃんと目も合わせず挨拶もせず、黙って帰ることもあったけれど、やっぱりその次の合同練習の時はレイナちゃんにまとわりついていた。

 

 

レイナちゃんは一足先に小学校を卒業してしまって、その1年後、私はレイナちゃんの通う学校の、隣の中学校に進学した。レイナちゃんはやっぱり、バレー部にいた。小学生のとき赤いユニホームを着ていた彼女は、中学校の舞台では青のユニホームとハチマキを身に着けてコートに立っていて、相変わらずエースナンバーの4を背負っていた。

 

小学生のころと違って、中学生になると先輩後輩関係が厳しくなる。ちょっとなれなれしい態度をとっただけで非常識なやつと思われてしまうから、「レイナちゃん」なんて呼ぶことも許されなくなって、公式戦で久しぶりに会えたというのに自分から声をかけることもできなかった。レイナちゃんも、話しかけてはくれなかった。

 

私の身長が急激に伸びたせいか、ネットが高くなったせいかわからない。前はあれだけ大きく見えたレイナちゃんの背中が妙に小さく見えた。あの左腕から繰り出されるスパイクも、前ほどのキレはなくなっているようだった。キレのあるスパイクを撃てるというだけなら、もうレイナちゃんより背が高くなっていた私に軍配が上がってもおかしくないほど。

 

それでもレイナちゃんは、やっぱりうまかった。身長では勝てない分だけ、ブロックのワンタッチを狙ったりフェイントを織り交ぜてきたり、空いているコースを即座に見抜きそこを確実について点を量産していった。相変わらず守備も人一倍できて、攻撃要員なのに一番ボールを拾っていた。そしてキャプテンとして一番大きな声を張り上げ、チームの士気を盛り上げた。やっぱりレイナちゃんは、私にないものを全部持っている、チームの救世主。私の憧れのエース。ヒーローだと思った。

 

 

チームの戦力としては、互角かもしくは、私たちのほうが上だった。レイナちゃん以外の選手を狙って攻撃すれば、あまり負けることはなかった。

それでも、そんなのは関係なくて、やっぱり私の憧れはレイナちゃんだったから、相変わらずレイナちゃんの出ている試合は観に行ったし、試合のときは、スパイクもサーブも全部レイナちゃんに勝負を挑んだ。レイナちゃんも、私が守備をできないのを分かっていて、私ばっかり狙っていた。試合になると必ず、私たちは打ち合っていた。

 

レイナちゃんはどう思っていたか、わからない。勝つために、一番の穴である私を狙っていただけだと思うし、私だって一応チームのエースという責任ある立場だったから、一番うまいレイナちゃんばっかり狙って点を取ろうとしないことで監督に怒鳴り散らされていた。

 

それでも、私は、最高に楽しかった。ようやく、ようやく、同じ土俵で勝負ができるようになって、曲がりなりにもライバルだと思ってもらえるようなところまで来れたのだ。私は力でねじ伏せるアタッカーだったし、レイナちゃんは技術で点を取るエースでプレイスタイルが全く違ったから、私が圧勝するときもあれば、レイナちゃんにしてやられる時もあった。

 

レイナちゃんに勝てるのももちろん、うれしかった。私のスパイクに触ることも出来なくて悔しがってるレイナちゃんを見れるなんて、今まで一度もなかったことだったから。

 

でも、やられた時のほうが、もっとうれしかったのだ。これだけ背の高い私がブロックについているのに、まんまとワンタッチさせられて点を取られたり、いったんスパイクを打つフォームに入ってからのフェイントで点を取られたり、はたまた私の全力のスパイクを拾われた。監督はベンチで、何やってんだと怒鳴っていたけど、それでもなんだか笑うのを我慢できなかった。

 

やっぱりレイナちゃんは、こうじゃなくちゃいけない。そうやって私にないものを、もっともっと見せてほしかった。そしてずっと、私はその背中を追いかけていられれば、こんなに楽しくて幸せなことなんてほかにない。そう思った。

 

誰かに憧れるということは……こんなにも力が湧いてきて、もう眠る時間すらもったいなくなって、練習したくてたまらなくなって、毎日がただただ楽しい。あの人のようになれると思えば、ひたすら反復練習ばかりでも全く苦にならない。家でのんびりしているときも背番号4を背負った背中がふと脳裏をよぎって、駆り立てられるようにランニングに出る夜もあった。あの歓声の中心に、私も立ちたい。誰かの心を動かす最強のエースになるためなら、なんでもできると本気で思った。

 

 

でも、舞い上がっていただけだったのかもしれない。

 

 

中学校のバレー部に所属した2年と半年、コツコツ練習し続けたけれど、やっぱり身長はあっても才能には恵まれなかったのか、どうにもレイナちゃんのような器用な選手になれることはなくて、納得のいかない形で中学校のバレー生活は終わった。

 

と、本当はそう言いたい。

 

でも正確には、終わらせないという選択もあった。もっと技術を磨ける環境に身を置くこともできた。県選抜に内定していたし、進学先として強豪バレー部のある高校からも声がかかっていた。チャンスはあったのだ。もっと質の高い環境で練習ができ、レイナちゃんのようなエースになれるチャンスは、目の前に転がっていた。

 

それでも、行きたい高校があるからといってすべて断り続けて、いったんバレーボールから離れたのは、そういう環境で自分が折れずにやっていけるとはとても思えなくて、高校受験というちょうどいい逃道があったからに他ならない。

 

別に、行きたい高校なんてなかった。自分は身長だけで技術を全く持ち合わせてない選手だということは知っていたから、陰口をたたかれるのは嫌だった。そういう誘いを頂くには、私はあまりにも下手すぎた。あいつはでかいだけで何もできない、努力もしてないのに身長だけでのさばりやがってと言われるよりも、高校受験を口実にすることを無意識のうちに選んでいた。

 

スポーツで学校を選ぶということは、ケガをしたりしてプレイができなくなった時のことを考えると危険だと周りの大人は言っていた。バレーボールのために、進路を危うくすることなんてないと言ってくれた人もいた。だから、9割方、これでいいんだと思っていた。

 

でも、ふとした時に、考えることがあった。これで私は、レイナちゃんのような選手になれることはなくなったのかもしれないと。うまくなるために厳しい環境に身を置く貪欲さは、自分にはどうも欠けているのかもしれないと。レイナちゃんのようになりたいと言い続けてきたけど、本当は自分のプライドのほうが大事な人間なのかもしれないと。

 

でもやっぱり、スポーツを勉強より優先させるのはあんまりよくない、みんなもそう言ってた。

 

だから、これで、よかったのだ。

 

 

いざ高校に進学してみると、やっぱりバレーボール以外のことをやるという選択肢は考えられなかった。

 

そんな私を待っていたのは、今まで所属した中で最強のチームだった。5人いる3年生の先輩たちは、全員がケタ違いにうまかった。そんな先輩たちに囲まれてやるバレーボールは今までで一番楽しくて、先輩たちが部活を引退するまでの4か月はあっというまに過ぎた。

 

3年生の先輩たちが引退すると、2人の2年生の先輩と、私を含めた1年生5人が残った。その中で、バレーボール暦が一番長かったのは自分。相対的に自分が一番うまい選手になってしまい、チームの戦力は大幅に下がった。

 

チームの誰が悪いわけでもなくて、むしろみんな、毎日必死に練習をしていた。責めるなら自分を責めるべきで、本当にバレーボールに打ち込みたかったのなら別の進路を選ぶべきだった。そういう道は、自分には確かに用意されていたのだから。

 

それでも、勝手なことに、許せなかった。今までなら負けるはずがなかった相手に、あっさり負ける。負け続ける。放課後の練習でだって、自分のレベルにあった練習ができなかった。そもそも守備が機能しないから攻撃にすら繋がらない、やっと上がったトスはろくな場所に飛んでこない、そのイライラを我慢しきれなかった。一生懸命練習に打ち込むチームメイトに怒鳴る日々が続いて、チームの雰囲気を最悪なものにしてしまい、結局私は1年で部活をやめることになった。

 

3年の先輩たちが引退した7月からは、毎日やめたいと思いながら部活に行っていたから、やめられて本当にほっとした。あんな場所では、私はうまくなれるはずもなかったんだから、バレーボールなんて意味がない。私はあの場所では、最強のエースではありえなかった。なれる可能性も、無いに等しかった。もう、レイナちゃんのようには、人の心を動かすエースには、なれない。だから、これでよかったのだと。

 

 

そのころ、レイナちゃんもバレーボールをやめてしまったらしいと知った。市外の高校に進学したレイナちゃんとは、公式戦では会えずじまいだったから、噂で聞いた。高校でもやっぱりずば抜けてうまかったレイナちゃんは、先輩たちの反感を買ってしまったらしいと。

 

そうか、もう、あのときのレイナちゃんには、会えないのか。初めて会った時の、チーム全員の期待を一身に浴びて、だれよりもダイナミックなフォームでスパイクを打つレイナちゃんはいなくなってしまったのか。エースナンバーを背負って、大歓声のど真ん中でガッツポーズをするレイナちゃんはもう……

 

いや、でも、これで、よかったのだ。私はもう、バレーボールをやめたんだから。

 

 

あれでよかったはずはなかったと、ようやく認められるようになったのは、大学2年も半ばを過ぎてからだった。

 

私は大学に進学して、ウインドサーフィン部に入った。先輩たちには入部の理由を、本気で何かに打ち込みたかったからとか、先輩たちがかっこよかったからと説明していた。私も、自分がそういうふうに思っているのだと、疑っていなかった。

 

 

ウインドサーフィンをやるための資金が底をついて、これまた1年で部活をやめることになったあと、やることもなくて私は無為な日々を過ごしていた。授業とバイトと、せいぜい教習所に行くくらいで、あとはひたすら本を読むだけの生活のなかで、ようやくわかってきたことがあった。

 

ウインドをやめたのも、バレーボールをやめたのも、すべて自分のせいではないと思っていた。でもそうではなかった。結局は、ウインドにもバレーボールにも、まっすぐな思いで向き合っているわけではない自分がいたから、向こうから突き放されたのだ。

 

全部、私にとっては、アクセサリーみたいなものだったのだということ。憧れだの尊敬だの、なんと言いつくろっても、ウインドサーフィンもバレーボールも、結局はただの道具に過ぎなかった。

 

私が、ウインドサーフィンなんていうちょっと珍しくてかっこよさげなスポーツに挑戦しようとしたのは、バレーボールをやめてから自分のアイデンティティがなくなってしまったという劣等感を克服するため。本当は、なんでもよかった。中学生の時までは同級生に対して常に抱いていた優越感、自分は勉強も部活もできる優等生なのだという優越感を、一切持つことができない高校生活だった。だから、その仕返しができればなんでもよかった。誰も私に何もしていないのに、私はひたすら、自分に対する聞こえない罵詈雑言と、見えない敵を憎んでいた。

 

高校のとき、同級生たちが勉強に部活に毎日忙しそうに過ごすなかで、部活をやめてしまった自分に対して言外に、お前はクズだと蔑んでいるような被害妄想に悩まされた。誰もそんなことは一言も言っていない、むしろ部活をやめた私を心配して、先生たちは新しい部活動に誘ってくれたし、クラスの友達も私を気遣ってくれていた。それなのに授業にも行けなくなって、抑うつと診断された。家族の支えがあって、半年くらいで学校には通えるようになったけれど、バレーボールをやめてしまってから自分に何一つ誇れるものがなくなったという劣等感だけは、ずっと消えることはなかった。

 

逆に言えば私は、バレーボールを続けてさえいれば、優越感を感じることができていたということだ。バレーボールがあれば、他人の価値観において、自分を上位に位置づけることができた。それはつまり、この能力の高い私という存在と、その個人を比較させるということ、そしてその人に、自責の念を抱かせることができるということ。私がいれば、その人に、なんて自分はダメなんだと思わせることができる。昔から、私はずっと、心の中で他人をけなしまくって、お前はクズなんだと言い続けてきた。それが快感で仕方ないと、確かに思っていた。

 

あれだけ毎日練習のために海に通って、先輩を巻き込んで家族に迷惑をかけて続けたウインドも、あれだけレイナちゃんのようになりたいと言い続けて7年続けたバレーボールも、結局は自尊心を満たすためだけの道具。どうやったら自分は誰にもバカにされない、誰からも認められる人間になれるか、そういうことしか考えてこなかった。

 

誰かのことを見下して安心できる世界にしか、私は身を置いてきていない。私はあの時、県選抜に行かなかった。自分が最下位にいなければならないような世界では、私は生きていけないのだ。

 

それでいて、もっとたくさんの人のことを簡単に見下せる可能性には、喜んで賭けた。そのためなら、伝手も何もないウインドサーフィンのサークルに1人で乗り込んで、毎日練習することも厭わなかった。

 

だから、結局私が飛びつくのは、誰からも認められる人間になれる可能性、それでしかなかったのだ。そのもの自体に魅力を感じたというわけでは、決してない。私がまたデキル奴に戻れそうな場所、ああなれば私は認めてもらえるという存在、私はそういうものにしか惹かれない。そういうやつなのだ。そういう自分がクズなのだ。

 

だからもう、目標なんか持つのはやめた。

何かを目指す限り、私はまた自滅する。生まれ持ったものに頼り切って温室の中で生きてきた私は、今まで自分を鍛えようともしなかったがため、何ともみじめな大人になった。それでいてまだ私は、本当は可能性を秘めてるんじゃないかという希望を捨てきれないでいる。その自分に対する期待が、もっと人を見下したいという気持ちと裏表になってしまう。

 

そうして私は、一番最初に憧れたレイナちゃんのことを思い出す。レイナちゃんに会うまでは、あそこまで強烈に心を動かされた記憶はない。

 

でも、憧れでさえも、私にかかれば汚らしいものになる。レイナちゃんの姿を初めて見たときの私は、ああいう存在になれば、私はこのチームでだれにもバカにされないで済むと幼心に感じたのだ。あんなに強いエースになれば、私はどこに行っても褒めてもらえるし、下手なやつだと陰口をたたかれたりすることもないと。レイナちゃんのようになれれば、私は逆に、みんなをバカにすることができると。

 

あんなに、レイナちゃんのようになりたいと言っておいて。あんなに、尊敬してやまないようなふりをして。あんなに、レイナちゃんのプレーが大好きだったのに。

 

結局は、私の今までの人生なんてこんなもんだったのだ。

私の原動力になっていると信じていた人に対してさえ、この体たらくだ。

 

私は本当に、何のために生きてるんだろう。自尊心のために生きてるのか。それがいかにくだらないことか、頭ではわかっている。でも、やめられない。もうどうしたらいいか、わからない。

ごめん、レイナちゃん。いいように使って、ごめん。

 

 

だからもう、レイナちゃんのことは、忘れた。

 

 

 

はずだった。

 

 

最近リオオリンピックの女子バレーボール予選をテレビで放送していて、家に帰るとそのチャンネルがつけっぱなしになっていた。私の両親は、私に気を遣ってか、私がいるときはバレーボールを観ようとしないのに、本当にそのときはたまたまついていた。画面の中では、ある選手がスパイクを決めたところだった。

 

長岡望悠選手という名前だった。サウスポーで髪が短くて、チーム最高得点をマークしていた。

 

長岡選手はあまり大柄ではないのに、もうそれはそれは、左からも後ろからもサーブでもブロックでも点をとりまくった。ラリーが長く続いてチーム全員が必死に拾ったボールを長岡選手につなげば、彼女は全部決めた。正真正銘のエースだ。そう思った。左手一本でチームを救える。体育館中を、歓喜の渦に巻き込める。歓声の真ん中で、長岡選手は笑顔でガッツポーズをする。

 

 

何やってんだろうと思いながら、テレビを見続けた。もう私には、バレーボールをやるという選択肢は残っていない。もう、コートに立てることはなくて、最強のエースになれる可能性なんかない。今となってはもう遅い。だから、もうバレーボールになんて興味を持てるはずがなかった。こんなもの観たって、時間の無駄なはずだった。私は、今更こんなものに憧れたって、誰かを見下すことはできない。

 

それなのに泣いていた。

泣きながら試合終了まで観続けた。

かっこよかった。最強のエースだと思った。憧れだと思った。

 

そうそう、私は本当に、心底、こういうエースになりたかったんだよ。こういうふうに、チームのみんなが、必死な思いでボールをつなぐに値するエース。あいつならやってくれるはずだからと、信じてもらえるエース。鋭角に打ち込むスパイクで士気を上げ、ときにはフェイントで出し抜いて、強烈なバックアタックもぶちかませて、サービスエース取りまくって、後衛でも守備に大活躍できてさ。チームになくてはならない存在で、笑顔が印象的で……

そして、観ている人間の心を、揺さぶってやまない。初めて会った時の、レイナちゃんみたいに。

 

レイナちゃんのようになりたいと思ったのは、確かに、レイナちゃんほどの選手になれればこれ以上誰にもバカにされなくて済むはずだと思ったからだ。あんなに堂々としていられるレイナちゃんが、うらやましかった。あまりチームに上手に溶け込めず、練習試合に行けば背が高いからとじろじろ眺められ、人一倍注目される代わりに、良いプレイができないと人一倍恥ずかしかった。そんなときに、私にないものを全部持ったレイナちゃんに会って、確かに私は、この人のようになれば、もうこれ以上こんな思いしなくていいのだと思った。誰かにバカにされないためなら、誰かをバカにできる存在であらねばと思って、頑張った。

 

でもそれだけじゃなかったんだと、少しは思ってもいいんだろうか。

 

そういう汚い思いを自覚して分析できるようになって、それを丁寧にひとつひとつ取り除いていったあとに、何も残らなかったわけじゃない。レイナちゃんを初めて見たとき、早くバレーボールがしたくて仕方なくなって、その日の練習試合はコツをつかむために試行錯誤しながらやったからとても楽しかった。帰ってからもボールを手放せなかったし、寝るときも明日はどんな練習をしようかと考えた。レイナちゃんに憧れるようになってから、毎日楽しくてしょうがなくなった。

 

今はもう、私にバレーボールをやる選択肢はない。中途半端にやるくらいなら、もうやらない。レイナちゃんの姿は忘れていなくても、もう私は、背番号4を背負った最強のエースにはなれない。

 

それでも、別にいいと思えた。

 

大事なのはそこじゃない。レイナちゃんへの気持ちをちゃんと分解して精製して、そこに残ったのは、私の心を動かしたプレーを見せてくれたことに対する感謝だった。私がレイナちゃんのことを大好きだったのは、彼女が私のほしいものを全部持っていたからというばかりではない。ただ私を感動させてくれたってことに、ものすごく大きな意味があったと思うのだ。レイナちゃんに会えて、バレーボールがすごく楽しくなった。本当に、誰かに憧れるということは、魔法にかけられるみたいなもの。憧れの存在ができて、あんなにバレーボールに打ち込めて、私は本当に幸せだった。

 

 

だから、私は、これからもレイナちゃんへの感謝を忘れない。お礼というわけじゃないけど、もうバレーボールでは叶わないけど、私も誰かの心を動かせる人になりたい。

そういう目標を扱うのが、私はとんでもなく下手だ。またいつか、何をしでかすか自分でもわからなくて本当に怖い。また大失敗をして周りに迷惑をかける可能性のほうが大きいなあと思ってる。

ねえ、私はみっともない大人になっちゃったよ。あの時も、攻撃だけで守備が全くできなくてみっともなかったけど、今はそれ以上だよ。きっと、私が一番調子こいてた時のことを知ってる人が今の私を見たら、笑うよ。爆笑される。

 

私は、何か大きなことをやってのける器がある人間ではなかったのに、そうとは信じられなかった。だから自分の環境に文句をつけては、責任転嫁をして嘆いていた。そうしていつもいつも新しい場所を探しては、大コケして逃げ出すことを繰り返してきた。でも、もうこれ以上、自分のいる場所をえり好みしたりしないようにちゃんと気を付ける。どこにいても何をしていても関係なく、ずっと自分の目標を見据えてさえいれば、絶対に、いつかのあなたのようになれるはずだと思っている。大勢の人の心を動かすことは無理でも、目の前の一人、いつか会うはずのたった一人なら、私の手に負えないなんてことはさすがにないんじゃないかなと思う。というか、そう信じたい。

 

今私は就職活動をしてて、もううまくいかないことだらけだよ。もっと大変なのは、これからなんだろうなって思うけど。今まで実家でのうのうと暮らしてたけど、これからは自分で食い扶持を稼がないといけなくなる。もう、夢がとか目標がとか、言ってる場合じゃないよね。現実見ろや!!って話だよね。これからどうなるのか、全く見えなくて心配だよ。生きていくのに必死になって、なりふりかまってる場合じゃない時も、たくさん訪れるようになるのかもしれない。大人になるって、本当に大変なことなんだね。

 

 

でもね、レイナちゃん。

私はたぶんこれからも、あなたへの憧れを捨てられはしないよ。

レイナちゃんからもらった二段トスを、まだ私はしっかりと打てていない気がするんだよ。

 

今でも、お互いにバレーボールをなくしても、私はまだあなたの背中を追いかけているみたいだ。

 

諦めの悪いことにね、昔あなたにもらったものを、誰か1人にだけでもいいから、どんな形だって構わないから、ちゃんと送り届けてつないでいきたいと、まだ本気で思ってるんだよ。

 

レイナちゃんがいなければ、多分今の私はない。本当に感謝しています。

 

 

万が一、万万が一これを見たら、池袋まで遊びに来てくれるとうれしいな!!

いや、でも、読まれたら読まれたで、相当恥ずかしい。

 

 

大好きなレイナちゃんへ

市内で1番でかくて、レシーブができなくて、ずっと背番号4をつけたかった夏海より

 
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2016-05-25 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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