自分が植物であると実感した瞬間。——僕は「ユキノシタ」だ。
記事:黒須 遊(ライティングゼミ)
「従姉妹のご祝儀っていくら包めばいいの?」
「あんた二万出しなさいよ。わたしが一万出すから」
母のどこか投げやりな態度同じく、僕の頬も引きつっていた。
高い。正直、出したくない。
そう思う程に、父方の従姉妹(三姉妹)との関係は希薄だった。
親戚らしい付き合いもあるにはあった。
とは言っても正月に祖母の家で顔を合わせるくらいで、一緒に遊んだ記憶はない。かしましい三姉妹が発するリア充オーラに、僕は最後まで馴染むことが出来なかった。
上の二人はもう結婚して子供もいる。そして今回二人の姉を追って結婚するのは、僕より一つ年下の末っ子だ。
親戚の贔屓目を考慮しても美人な三姉妹だった。
特に末の妹は活発で、イメージ的にはチアリーダーのセンター、もしくはテニス部のレギュラーがぴったりだ。やたら露出の多い衣装を完璧に着こなしそうなイメージの女の子。親戚でなかったらきっと話しかけることにも躊躇しただろう。
式の会場でどう声をかけたっけ? まったく思い出せない。
実感しがたい「親戚」という名札を貼りつけて、お互いに距離を測りながら口にする言葉に感情が込もるはずもない。
感情が伴わない会話を人は記憶に留め置くことが出来ない。
いっそのこと、赤の他人であった方が素直に祝えていたんじゃないかと思う。
僕が彼女に感じていたのはきっと嫉妬だ。
少し離れた席に座っている学友と思しき若者たち。高校の仲良しグループをそのまま連れてきたような賑やかな集団は、その誰もが心から祝福の拍手を送っていた。
華やかな学校生活、仲の良い友達、心から想い合う恋人。どれも僕には手が届かなかったものだ。
だからこそ、それらを手にした彼女は青春の権化のように見えた。眩しくて直視することが出来なかった。
クリスチャンでもないくせに教会で結婚式なんて。
分かってる。
そう思うのは僕の単なるひがみだ。意地の悪い当てつけだ。
心から好きになった人が隣にいたら、きっと僕も式を挙げる。友人を招く。神妙な顔で義父母への手紙を読み上げる。
彼女は何一つ間違ってなんかいない。ただその在り方が、ひどく遠いものに思えただけのこと。
式場で新郎紹介のアナウンスを聞いていた時だ。ふと、気になる単語が耳をかすめた。
「2008年、埼玉県立◯◯高等学校を卒業し……」
僕と同じ年だ。
同じ学校だ。
まさか、と思った。
新郎の顔をもう一度よく見てみる。名前を確認する。先ほど横目で眺めた、仲良しグループに目を凝らす。
予感は確信に変わり、同時に得も言われぬ感情が胃の中で「ぞわり」と蠢いた。
新郎は、高校の元クラスメイトだった。
見覚えがあるのも当然だ。新郎の学生時代の友人だろうと見当をつけていた集団は、僕の元クラスメイトでもあったのだから。
何という偶然だろう。
それにしても、式の当日まで気づかないとは!
自分の蚊帳の外さ加減に、自嘲の笑みを抑えることが出来なかった。
高校生活に思い出なんてない。友情も恋愛も、挫折も後悔も、情熱や成長も、なにもない。思い返せばあっという間だった3年間は灰色一緒に塗りたくられていて、細部を思い出そうとしても輪郭が掴めないのだ。
中学時代は楽しかった。仲の良い友人に囲まれて、掃除の時間さえ充実していた。
それに引き換え、なぜ高校では友人一人まともに作ることが出来なかったのか? 今も明確な理由は分からない。
空気が合わなかったといえばそれまでなのだろう。確かに、生徒の自主自立を重んじる他にはない校風の学校だった。
けれど、おそらく環境のせいじゃない。何となくではあるけれど、僕個人の資質のせいだと思っている。
では、高校生活3年間で得たものは何もないのか?
そんなことはない。
僕が手に入れたのは掛け替えのないものだ。それを知ることが出来ただけで、あの高校に入学した意味があると思っている。
それは「孤独の価値」だ。
静寂の愛おしさを。
季節の匂いを。
本の素晴らしさを。
空想の楽しさを。
物語を書く喜びを。
僕は全て、高校生活の中で知ることが出来た。
だから一人は怖くない。
たとえ世の中から見て日陰に位置する場所であったとしても、ここでしか得られない大切なものを僕は知っているから。
それでも、ふと隣の日向を見て羨ましくなることがある。
太陽の下に出ていきたくなる時がある。
でもダメなんだ。
太陽の下でぐんぐん成長する花は日陰に注意を向けない。
それと同じで、日陰でしか生きられない花は太陽に顔を向けることはあっても、
決して日の光の下に歩み出ることはない。
なぜなら、そこが自分の住むべき世界ではないと知っているから。
そう。僕は日陰にひっそりと咲くユキノシタだ。
多くの人の注目を集めることはないけれど、地にしっかりと根を下ろし、持ち前のしぶとさで花を咲かせる姿に足を止めてくれる人もきっといる。
日陰の心地よさを共有出来る人をこそ、僕は大切にしたい。
日向で咲き誇るばかりが花の美しさではないはずだ。道端にひっそりと咲く孤高の花にだって、しっかりと名前はあるのだから。
満面の笑みで咲き誇る大輪の花を眺めながら、僕はそんなことを思った。
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