お見合いで相手は釣れるのか?
記事:ミュウ(ライティング・ゼミ)
「釣書書きなさい」
24歳のある日、母がお見合い話を持ってきた。
「嫌だよ」と即答した私は、ふと頭に浮かんだ事を母に訊いたのだ。
「……ねぇ、釣書って相手を釣るから釣書って言うの?」
真面目な顔で聞いた私に母は大笑いしながら両家で交わす身上書の事だと教えてくれた。
そんな事くらい私だって知っている。でも、その頃しょっちゅう早く結婚しろ! と言われちょっとウンザリしていてそんな変な質問がつい口をついて出てしまったのであった。
でも考えてみれば、そういう意味もありそうじゃないか、と、ふと思え、
自分で言っておきながらその言葉にウケて、釣られるオトコとオンナの図を想像してしまったりしてリビングのソファで一人で笑い転げていた。
一通り想像し終えて落ち着いたものの、一度笑い出したら止まらなくなる私は、
呆れた顔をして見ている母を残してケラケラ笑ながら、とりあえず自分の部屋に戻ったのである。
「ちゃんと書きなさいよー!」と母の大きな声が聞こえてくる。
釣書か。身上書って言ったって、何を書けばいいんだろう。
履歴書みたいなものだとすると、
履歴書は会社の求人に応募する時に自分を選んで貰えるように書く書類だから……
ここで詰まってしまった。
そもそも私は今のところ結婚願望がない。結婚の意志が無いのである。
イヤイヤイヤイヤ……
無理だ。まるで無理。結婚願望も意思もない私が、真面目に結婚を望んでいる男性に対して自分のアピール文を書くなんて、そんな事はできない。
10分もしないうちに再び母のいるリビングに戻り、今はまだ結婚の意志がないから釣書
は書けないという正直な自分の気持ちを伝えた。
わかってくれるかと思いきや、声をかけてくれた人がお世話になった方で断れないから形だけでもいいからお見合いをして欲しいと今度は頼み込まれてしまったのである。
そういう事情なら仕方がない。どうしても書かなければならないなら、と、私は釣書に取り組む事にした。その頃の私の頭の中にあったお見合いで相手に好まれるであろう女性像は大人しく従順でお淑やか、という、いったいいつの時代の話なんだよ、とまたしても自分でツッコミをいれてしまうようなステレオタイプなものでしかなかった。でも自分は真逆といってもいいようなタイプ。取り組むと言っても、失礼のないように気を配りはしたものの、一般的に薦められるであろう相手方への印象をより良くするような内容や言い回しはせず、お淑やかとは程遠い活動的な自分をそのまま書くことにしたのである。
釣書を先方に渡す為の作業に私は労力を使った。
結婚願望が無いと言っている割には釣書に入れる為のスナップ写真に力を入れてみたり、万が一実際に会う事ができたとして、その人が予め自分の性分を了承した上で会ってくれるのであれば、そしてうまくいけばそれはそれでラッキーなのではないか? などと思ったりして、いったいコイツは結婚したいのかしたくないのかどっちなんだ! と自分でツッコミを入れてしまうほどの迷走っぷりであった。
私はようやく身上書にスナップ写真を添えた釣書を完成させ、封書に入れて母に渡した。
渡したことですっかりこの件は終了していたように忘れていた私にある日、なんと、釣書を見て会いたいと言っている人がいるという話がやってきたのだ。
まず、あの釣書の内容で会おうと言ってくる人がいたことに驚いた。
大人しくも従順でもお淑やかでも無い性質の私を気に入ってくれた人がいたのか? もしかして? と、一瞬舞い上がる。素の自分でもOKな人もいるんだ! と。
しかし、それと同時に、別の声がする。そんな訳がないじゃない。だいたい釣書見たってそんな事わかりっこないでしょう? わかるのは文字と数字で表現できる基本情報だけなんだから。ただ24歳という年齢がかろうじてまだそれだけで結婚相手として目を引く存在になりえただけの事なのよ、と。
この時私の心の中では、天真爛漫で勘違いも含めて極めてポジティブなキャラと意地悪で残酷な事を平気で直球で言ってしまうキャラがこんな会話をしていたのである。
そして、頼むから1度だけは会ってくれと再び頼まれ、それだけの理由で2人の男性と会うことになったのであった。
相変わらず結婚する気は無かったのだが、すると決めたら積極的にするという性分の私は、まるで仕事を引き受けたノリでお見合いに臨むことにしたのである。それに何事も経験である。面白い体験ができるかもしれないではないか、と。約束の日を目前にする頃にはちょっと楽しみにさえなってきていたのであった。
期待どおり、お見合いワールドには未知の世界が広がっていた。
待ち合わせはホテルのロビーであった。そこで両家(といっても本人と母親)の顔合わせが仲介役の人によって行われる。15分もしないうちにドラマやなんかで見るようなお決まりの「それじゃ、後はお若い方達でね」というセリフが発せられ、それを合図として当人達はその場からデートに出されるのである。デートから帰ったら断るかまたお会いしたいかという返事を仲介者に電話してお互いの返事が先方に伝えられる、という手筈になっていたのだった。レストランや料亭で、とかいうもっと格式ばった話も聞いたことがあったから、おそらくこれは非常にカジュアルな簡易バージョンである。
お相手との話はザックリいうとこんな感じである。
きっと良い人なのだろうが残念な事に話がいちいち上から目線で嫌味ったらしいのがどうにも受け入れがたくすぐに断りを入れた一人目の方には、俺は付き合ってもいいなと思ったんだけどね、と、これまた超上から目線なコメントを返されて終わり、挨拶をしても目も合わさず一言も発しなかったもう一人の方には、その場でこりゃ参ったなぁと思いつつもヨーシヤッテヤルと良くわからない闘志と決意を燃やしてしまい、2時間をキチンとこなしたが為にその後猛烈にアプローチを受けることになり、この時に私は時間限定のヤル気が時に仇になるという事を学んだのであった。
いや、二人目の方をこんな風に書いてはいけない。
時間限定のヤル気ではあったが、それはひどく人見知りなその方の人となりを十分に引き出すことになり、第一印象は残念だったものの、その内容はその方が立派なお仕事をされていて非常に優しくて誠実で正義感があり多くの方から信頼も厚いであろうことが想像できるものであった。それでも私の結婚願望の無さが崩れ去る事はなくお断りをさせていただいたというのが本当のところであった。
その後も何件かお見合いの話はいただいたが、共通していたのは男性が消極的であり主導は母親が行うという事であった。お見合いで相手を探しているという場合、もしかすると探しているのは本人ではなく親なのかもしれない。私に結婚願望がなかったように男性も母親にウルサク言われ続けて仕方なく時間を作って出かけてきたのかもしれず、結婚願望がそれ程無いことも考えられる。母親が気に入った女性と結婚するのを第一とする男性もいるだろう。
お見合いをしてみて結婚に至るならそれはそれでラッキーだが、見つからなかったとしてももともと結婚する気がない子ども達からすれば、親の納得いくイベントを一つこなせば結婚しろ攻勢も少しは和らぎ、平穏な日々を送ることができるというものである。
とにもかくにも、親が求める婚活イベントをこなし、約束を果たした私はひとまず無罪放免となったのであった。
ふと、この時の事を思い出すことがある。
結婚願望が無いだとか結婚する意志は無いだとか言ってはいたけれど、お見合い一連の体験は楽しいものだった。お見合いをして良かったということを。
恋愛とは違って、お見合いは短期で明確な結婚という地点に着地する為に本人達以外の関係者も共に動く。もしかして結婚するかも? といきなりそれが現実になるかもしれないお見合いの一連の期間はちょっとドキドキワクワクしていたのを覚えている。今まで知らなかった男性やその一族と家族になるかもしれなくて、おそらく自分の人生が大きく変わっていくということだから。
きっと、結婚する意志があってちゃんと取り組んだ人には良い縁がやってくるのだろうと思うのだ。
お見合いで相手は釣れるか?
なんてふざけた事を言うのだろうか? とも思うけれど、書いてみて思ったのだ。
当たり前だがお見合いや結婚は釣るだとか釣られるだとかいう話ではない。
だが、敢えてこう表現するとしたならば、
お見合いで相手が釣れるか釣れないかは、わからない。
でもきっと、間違いなく釣れるのは……
相手、じゃなくて、自分だ。
お見合いをすることで初めて知った自分の中の感性や感覚、
この時初めて真剣に考えた人生や結婚に対する価値観……
そんなこと。
だからきっと、自分が釣れる。
……とはいえ、
その時に感じた事も後で違ったと気づいたり歳とともに変化していったりしたから
これが正しいということではないと思うのだが、少なくとも、その時の私にとってはそうだったのだ、とだけ言ってこの話をお開きにしたいと思う。
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