いつもそこにいる、雲の上の人へのラブレター
記事:おはな(ライティング・ゼミ)
恋こがれるほど、くるおしいほどに、すきなわけではない。
でも、ときどき思い出しては、
「あぁ、やっぱり好きだなぁ」と、しみじみ思う人がいる。
こどもの頃、お母さんにつれていってもらうのが楽しみだった場所。
そこに貼っていたことば、「おいしい生活」をかんがえた糸井さん。
タモリさんと一緒にピンクのライトをあびて、
鼻のあな全開で大笑いしている糸井さん。
いまはやっぱり、「ほぼ日」の糸井さん。
わたしに「東京天狼院書店」をおしえてくれた、糸井さん。
ふりかえってみても、気付くとどこかに糸井さんはいた。
かといって、熱狂的に追いかけたことはない。
代表的な作品名も言えないし、さして語れることもない。
「好き」と言ってしまうのが、はずかしすぎるくらい、何もしらない。
だから、去年はじめて目の前に糸井さんがいて、握手をしてもらった時も、
みんなは「あれを読んでました」とか「あの頃から好きです」とか、
あふれんばかりの思いを伝えていたけど、
わたしは、なにもいうことがなかった。
「あぁ、いてくれてよかったなぁ」と、ただじんわり思うだけだった。
それは、春に咲くタンポポを眺めるような気持ち。
目の前に広がっていても、特にさわいだりはしない。
だけど、「あぁ、やっぱりいいな」って思う。
この風景、すきだなって思う。
それでも、あそぶことがいっぱいの夏や、
おいしいものだらけの秋に恋しくなるかといえば、そんなことはない。
ただ、冬もおわって、雪がとけて、アスファルトや土が見え始めて、
すこしずつ緑がひろがってきたときに、ふとひさしぶりの黄色が、目にとびこんでくる。
あぁ、そうだ。タンポポの季節だ。
「あぁ、やっぱりいいなぁ」としみじみ思う。
いままで忘れていたことすら忘れて「やっぱりすきだなぁ」とゆるんだ目元で眺めてしまう。
わたしにとって糸井さんは、
糸井さんのことばは、そんな存在だ。
2016年6月6日。
糸井さんが、「ほぼ毎日」と言いながら、
1日も休まずに続けてきた「ほぼ日刊イトイ新聞」が18周年をむかえた。
その「18周年をむかえて」という糸井さんの挨拶を読んで、思った。
あぁ、やっぱりわたしはこの人がすきだ。
この人が綴ることばがすきだ。
うん、それを読んでいる時間がすきなんだな、と。
糸井さんみたいなことばが書けたら、どんなにしあわせだろうと思う。
糸井さんのことばは、ゆる〜っと楽で、なのに、ずしっと重みがある。
わたしが書くことはいつも、融通が利かなくて、暗くて、重苦しい。
糸井さんの書く「いのち」は、あったかくてじーんとする。
わたしが書く「命」は、凍りついて、ズキズキする。
なにがちがうんだろう。
帰り道、満員電車の中で、そんなことを考えていた。
低気圧のせいだろうか。
耳の奥が、つまったようにキーンとして、頭がにぶく重くなる。
その瞬間、いろんな人の顔が、右から左に過ぎていった。
? !
タコのキーホルダーをくれたむっちゃん。
お人形さんみたいにかわいかったそんちゃん。
うーちゃんも、もえちゃんも、あーちゃんも、ちーちゃんも。
みーんな、いなくなった。
なぜだかしらないけど、
こどものころに仲良くなった子は、引っ越しや転校でいなくなってしまった。
ふたりだけの秘密をもった子は、みーんないなくなってしまった。
夜になると帰ってきて、お休みの日にはいつもいるのがあたりまえだったお父さんは、
小学生の途中で、ひとり仕事のために遠くに行った。
11歳のときには、世界中でいちばんだいすきな、
この世で唯一のわたしの味方だと思っていたおじいちゃんが、死んだ。
どうせわたしは、ひとりだ。
ほんとうにわかってくれるひとは、もういない。
みんなとおくへいってしまった。
こどものころ、そんな風におもっていたことを、突然思い出した。
もう少し大きくなってすきな人ができても、やっぱりみんなとおくに行ってしまう。
付き合った人数と、遠距離恋愛の回数は、ほとんど変わらない。
すきな人は、いつもそばにいない。
いつからかはわからないが、人との距離のとりかたが、よくわからなくなった。
失うのがこわいから、最初からちかづこうとしない。
近くにいたひとが離れていきそうな予感がすると、
こわくなって「いなくなってしまえ!」と、遠ざける。
それでまた誰もいなくなって、またこわくなって、近くにいる人にしがみつく。
だれといても、なにをしていても、「いつかは終わる」という不安を拭いきれなかった。
そうしているうちに、人との距離のとりかたがわからなくなった。
ふと目が合うと、ふくらはぎめがけて突進してくる猫のように、近付きかたがわからない。
大抵びっくりされて逃げられるか、
あははって笑ってくれる人には、照れくさくって、シャー! って威嚇して、自分から逃げてしまう。
「あぁ、そうだ。
わたしがすきになる人は、みんないなくなる。
わたしがほんとうにすきな人は、もういない。
だから、ほんとのしあわせはなくてあたりまえなんだって、そう思ってたなぁ」
そんなことを思い出した。
孤独なのは仕方がない。
しあわせになれないのも、しょうがない。
だって、みんないなくなったから。
そうやって、環境やひとのせいにして、
目の前にいるひとたちや、今この瞬間を、大事にしてこなかっただけなのに。
だから、わたしのことばは、トゲトゲしていて、胸がくるしくなって、痛くなる。
いつか終わってしまうと思い込んでいるから、
今日が過ぎ去るのが怖くて、昨日にしがみついて叫んでる。
でも、糸井さんのことばは、ちがう。
いつか終わりがくるってわかっているから、
今を大切にして、明日をワクワク楽しみに待っている。
満員電車の中、目の前のおじさんが新宿で降りた。
席に座って、いなくなってしまった一人ずつの顔を思い出すと同時に、
何かが1枚ずつはがれ落ちていくかんじがした。
あぁ、そうか。わたしは武装していたんだ。
じぶんを守っていないと不安だから、傷つくのがこわいから、
ことばを武器にしたかった。
外国のことばをたくさん覚えたのも、
ことばにまつわる仕事をしたのも、
そして、書く力がほしいと思ったのも、
武器を手にして、じぶんをまもりたかったんだ。
大学を出てすぐに、就職もせずにフィリピンに行った。
約2年間、ただこどもたちのそばにいた。
どんなに努力をしても、涙をのんでも、夢は夢のまま、ちかづいてこない。
それでもみんなでふざけって、笑い合って生きている。
そんなみんなのために、わたしができることは、なにもなかった。
「いままでありがとう。
あなたのように強くなると、約束します」
フィリピンを離れるとき、いつも一緒にいた子から手紙と一緒にもらったのは、
武器のレプリカがたくさんならんだ壁飾りだった。
「どんな困難にも、ぜったい負けないからね」
日本に帰ってきてからも、その手紙を読む度に涙が止まらなかった。
どうして、そんなことしか残せなかったんだろう。
武器は誰かを傷付けてしまうし、
落としてしまったら、結局じぶんを守ることもできない。
それはほんとうの強さじゃない。
結局あの子はこの先も、傷ついてしまう。
そんなとき、わたしはもう、そばにいることすらできないのに。
だけど、わたしがそんな生き方をしていたからだ。
わたしのことばが、そんなだったからだ。
わたしのことばは、殺人事件や戦争映画みたいに、
その悲惨さを見せつけて、命や何気ない暮らしがどれだけ大切かを伝えようとする。
それは、ときには大事なことかもしれない。
でも、見ている人は傷ついて、今のままじゃいけないんだと、苦しみながら前を向く。
糸井さんのことばは、ちがう。
おなかがぽっこり出たおじさんが、パンツ一丁で、縁側でくつろいでいる。
サングラスをして、浮き輪をして、缶ビールを飲んでいる。
見ている人は思わず笑ってしまう。
あぁ、なんてくだらなくて、平和でしあわせなんだ。
生きてるって最高だなって、思わず思ってしまう。
それでふと気づく。
そうか、そんなくだらないと思っていた毎日ほど、大切にしなくちゃいけないんだ、って。
そんなことを考えていたら、
満員電車は「荷物挟まり」が原因で、4分遅れで最寄駅に到着した。
家に帰ったら、今思っていることを、書いてみよう。
きっとそうすれば、ひとつずつ武器をおろして、鎧をはずすことができるかもしれない。
身軽になれば、会いたい人にも会いに行けるし、
ハグをすれば、肌をかんじることができる。
やわらかさや、あたたかさを伝えることが、できるかもしれない。
素っ裸の人間に、ナイフを向けてくるひとは、そうそういない。
武装しているから周りが戦場に思えてきて、
じぶんを守ることに必死になる。
わたしはただ、思い込みにケンカを売り続けているだけだったんだ。
無防備でいることほど、最強なものは、ないのかもしれない。
ただ目の前にいる人と、ただ笑っていられれば、こわいことなんて、なにもなかったんだ。
あぁ、わたしはやっぱり糸井さんがすきだ。
やわらかいそのことばを読んでいるだけで、こころがふわっと軽くなって、あったかくなって、
そして大切なことを、目の前にもってきてくれる。
きっとわたしのことだから、またうっかり時間がたって、
糸井さんのことばから離れて、同じ失敗を繰り返すかもしれない。
それでも「ほぼ毎日」、糸井さんのことばは、そこで待っていてくれるはずだ。
思わず笑いながら、大切な何かを教えてくれる。
そんな場所がいつでもあるとわかっているだけで、安心できる。
糸井さんのことを、ほんとうにすきな人たちには、怒られるかもしれない。
だけど、わたしはこの糸井さんとのほどよい距離感が、ここちよくて、
たまらなくだいすきなんだ。
いよいよ関東も梅雨入り。雨粒が落ちてはこないものの、どんよりと曇っている。
電車を降りても、変わらず耳はキーンと詰まっている。
今日はなにか、美味しいものをたべよっと。
***
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