ざるそばの中に紛れ込んだそうめんの罪
記事:黒須 遊さま(ライティングゼミ)
あ、白髪がある。
初めてそう気付いたのはいつだっただろう?
社会人になってから……ではない気がする。きっと大学生の頃だ。
僕は髪の毛が多い。月に一度は美容院に行かないと、頭が重くなって思考が働かなくなるほどに。
目の前にある山盛りのざるそば。その中に、一本だけ混ざっているそうめんの白はとてもよく目立つ。
そばの山に埋もれているうちはいいのだ。しかしひとたびそうめんを見つけようものなら、「他にもあるんじゃないか」という思いに捉われるようになる。
そうしてそばの山をかき分ける作業に、貴重な朝の時間を割くハメに陥るのだ。
ピンセットを片手に鏡に向き合う。上目使いで髪を撫で回す自分の間抜け面はとても他人には見せられない。
ぶちっ。
ああ、違う。これじゃない! ピンセットでつまんで引き抜いたのはまだ黒々と光る数本の毛だ。メインターゲットの白はその隣で悠々と自己主張を続けている。
今度こそ。
あ、
途中で切れた。しかも毛にかかった牽引力で残り数センチの本体がぜんまいよろしく丸まってしまったではないか。
もういいや。面倒臭い。
そうため息をついて途中で戦いを放棄するのが常だった。
一番厄介なのは後頭部である。
なんせ鏡で見えない。故に「きっとこの山の中にはそうめんはない」と自分を納得させるしかない。
鏡を見るたびに気にしていたのは、ほんの数ヶ月だった。
気がつけば、「いや僕はそばの方が好きだけど、そうめんだって食べるんだよ」と開き直っている自分がいた。
そもそも、誰も僕の頭の毛なんか気にしていないだろう。自分に関わりのない他人の昼食が、そばだろうがそうめんだろうがどうだっていいのと同じ。
結局のところ、他人にどう見られているか気にし過ぎなのだろう。そう自覚はしていても改めるのは結構難しい。
50歳、60歳になった自分を想像してみる。
きっとその頃には、そばとそうめん、どっちがメインの料理だったのか分からなくなっているはずだ。
問題はそれよりも前、黒の中で白が少数である時代だ。
いいことを思いついた。
数本しかない白を探すのが面倒臭いなら、すべて違う色で塗り替えてしまえばいい。
そうめん混じりのざるそばの山に、イカスミをぶっかけてしまえばいいのだ。
そう気付いたのは社会人になってからだった。
それは同時に、細かいことにうるさい職場の上司が茶髪にしている理由が分かった瞬間でもあった。
僕も染めてみようか。
社会人になって2年目の冬、初めて薄い茶髪に染めた。同僚には驚かれ、合気道の師範には無言の叱責をされ、家族は気が付きもしなかった。
しばらくは忘れていた白髪が再び顔を現し始めたのはそれから数ヶ月が経った頃のこと。
もう一度染めるべきかどうかの選択を迫られた。
鏡を前にして毛づくろいをしながら、はたと思い至る。少数派だからと引き抜かれ、違う色に染められる白髪はいったいどんな気持ちなんだろう?
学校のクラスメイトや職場の同僚たち。もともとマイペースで単独行動派の僕はいつも周囲の輪から離れた場所にいた。
そうだ。
僕はそばの山に紛れ込んだそうめんだった。
ピンセットを持つ手が止まる。黒い髪の中に埋もれている白髪が、以前とは全く違う色彩を放っているように見える。
そうか。
お前は僕と同じだったのか。
周りがそうしているからと自分の意見を曲げて他者に迎合するのは、僕が一番嫌いなことだったはず。
白なら白でいいじゃないか。それを無理やり黒に染める理由がいったいどこにあるというのか。
誇りを持って見せつけてやればいい。
きっと数年も経てば、オセロのように優位が逆転する日がきっと来る。少数派が多数派を上回る瞬間は見ていて気持ちがいい。
たとえ、僕自身が少数派のままだとしても。
僕の頭の上では違う結果が露わになっていることだろう。
その時、きっと無数のそーめん達はこう思っているはずだ。
「ざまあみろ。俺たちの勝ちだ」
って。
***
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