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12才の夏休みの前日、トイレで出会った化け物の話

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13435481_809024472532100_8937908095199215706_n (1)記事:安達美和さま(ライティング・ゼミ)

トイレの個室で、一瞬息が止まった。
即座に「ごめんなさい」と思った。

悪いことを考えていたからバチが当たったんだ。

恐怖で言うことをきかない足を無理に動かして個室を出た。
洗面台に手を付き、ふと顔を上げた時、鏡の中に女がいるのが見えた。

わたしは12才で夏休みが始まる前日のことだった。

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男の子のことを「くん」付けで呼べるようになったのはいつからだろう。
少なくとも、わたしは中学校に入ってからだ。

小学校卒業まで、「○○くん」は使ったことがない。13才くらいまでは、男子と女子は対立する関係になることの方が多い気がする。大きな傾向としては「しっかり者で大人びた女子」と「奔放で子供っぽい男子」の対立構造ができやすい。
「男子、ちゃんと掃除してよ!」は何度も聞いたことがあるが、「女子、ちゃんと掃除やれよ!」はあまり聞いたことがない。

わたしは特にしっかり者でも大人びてもいなかったが、それでも苦手な男子は存在した。
苦手というか、もはや嫌いだった。そして何より嫉妬の対象だった。
小学生時代の自分の言葉そのままに呼び捨てにすると、彼は「S」といった。

Sはクラスでも非常に目立つ、人気のある男子だった。小学生男子の人気のポイントはいくつもあって、それは例えば容姿が優れているとか勉強ができるとか運動ができるとか性格が良いとか大人の世界と変わりないが、Sの人気の理由はその面白さだった。Sとは別にもうひとり抜群にユニークでユーモアのある男子がいて、Sはいつもこの男子とつるんでいた。

Sは背も低く、特別かっこいいわけでもない。大人になってから、知人から福岡土産に「にわかせんべい」をもらったことがあるが、あの独特な垂れ目と下がり眉のデザインが焼き付けられたおせんべいを一目見て、はて、どこかで見たことがあると思ったら、Sの目そのままだった。にわかせんべいによく似たSは、男子からも女子からも人気が高かった。

一方、当時のわたしはクラスでは無口だったが、家に帰ればユーモアのある少女だった。なぜクラスメイトの前では面白くて気さくな自分でいられないのだろうとよく悩んだ。そうして悩んでいる様子がまた悶々としているものだから、クラスでは「いつも暗いくせにたまに面白いことを口走る妙な奴」というポジションをキープしていた。

そんなわたしにとって、Sは憎たらしくうらやましく、自分の欲しい評価を一身に受けている存在だった。その上、彼はわたしの苦手な算数が非常によくできて、わたしの得意だった図工はわたしよりもはるかによくできた。そのことも、わたしのこころをちくちくと刺激した。
Sは、ユーモアのある人間特有の洞察力をもって、絶妙な心理攻撃をしてきた。

いまでも忘れない。小学5年生のできごとだ。

その年の写生会は、大きな池と緑が美しい広い公園で行われた。クラスメイトが数人ずつのグループを作り、どこで描こうかあっちの方へ行ってみようとキャッキャしている中、わたしは迷わずある場所を目指した。

広い池に一面の緑が映る様が美しい絶好の写生ポイント。

一年前、父親と連れ立って同じ場所でスケッチをしたが、水面に映る木々や林をちゃんとそれらしく描くにはわたしは幼く、結局、池の手前に生えた草ばかりごちゃごちゃと描くしかなかった。
そういう悔しさもあり、前々からここしかないと密かに心に決めていた。難しいかもしれないけど、ちゃんと描ければ絶対に素敵な絵になる。

結局、その時描いた絵は県の美術展へ出してもらえることになり、内心小躍りも甚だしかった。一方、Sは金賞は取れたもののそこまでだった。

Sに勝った……! 
やっとSに勝てた……! 

ニヤニヤが止まらなかった。

すると、いつものように多くのクラスメイトに囲まれた真ん中で、だるそうに椅子に腰かけたSがこう言った。

「安達よりオレの方が絶対うまいよなぁ」

なに言ってんだよ、負け惜しみか、S。そう思いつつも、胸がイヤな感じにザワザワするのが分かった。予感があった。

次にこいつは真実を言う。確実にわたしを傷つける真実を。

Sは例のにわかせんべいの目をこちらへ向けて言い放った。

「良いのって構図だけじゃん」

その一言を聞いた途端、今まで喜んでいた自分を殺したくなった。怒りと悲しいのが全部混ざった感情で、その場に座って息をしていることさえ恥に感じた。Sを取り囲むクラスメイトのうち、一部の男子は、そうだよなあとSに同調し、数人の女子が気の毒そうな眼をわたしに向けた。一瞬だけ。

わたしだって知っていた。単純に絵のうまさだけで言えば、今回だってSの方が格段に上ということを。わたしの絵はSの言うとおり、構図による部分が大きいということを、本当は知っていた。

だけど、なんだよ、だけど、なんてイヤな奴なんだ。

その時だったと思う。
Sに復讐してやろうと考えるようになったのは。

五年生から六年生へ学年が上がっても、クラス替えはない。
わたしはそのままSと同じクラスになった。
Sは相変わらず人気者で、絵もうまければ頭も良くて面白かった。
それにずんぐりむっくりだったのに、変に背が伸びてきた。

Sだけでなく、クラスメイトの中には声が低くなる男子や、体つきが明らかに曲線になってきている女子が増えてきた。わたしもその中のひとりだった。
今ではどうだか知らないが、女子生徒だけが集められて「そろそろみんなブラジャーをしなさい」との指導を受ける会があったりして、女になってゆく自分の身体を自覚させられた。

Sへの復讐の方法を思いついたのは、そんな時だった。

復讐の決行日は夏休みの前日に決めた。
もし失敗したり、Sから逆襲されるとしても、次の日から長い夏休みが始まってしまえば、なんということもない。時間がうやむやにしてくれる。弱腰の復讐だった。

一学期の成績表を片手にワ―キャーキラキラしているクラスメイトに混じって、わたしはじっとチャンスをうかがった。Sがひとりになる時を。
ひとり帰り、ふたり帰り、教室に残る生徒もまばらになってきた。
Sは数名の男子を相手に、また得意の話術で笑いを取っていた。

一度気を落ち着けようと、トイレへ向かった。

自分がやろうとしていることは本当はとても悪いことだと思った。
でも、Sを動転させ、怯えさせ、自分が優位に立つ感覚に浸りたい気持ちが強かった。
それに、何も暴力を振るうわけじゃない。別にこれは暴力じゃない。

個室へ入り下着をおろした時、一瞬呼吸が止まった。

下着が赤黒く汚れていた。
しばらく動けなかった。

だって、こんなの保健の授業で聞いたのと違う。
普通はただ赤なんじゃないの。
だって。こんなの。

怖くて急いで個室を出た。
洗面台へ向かい、息を大きく吐いて、目の前の鏡を見た。
鏡に映ったいつもの自分の顔を知らない人間のもののように、まじまじと見つめた。

女だ、と思った。
とうとう、わたしも女になってしまった。
ものすごく悲しかった。
胸がふくらんできたのだって困ったのに、とうとう戻れない所まで女になってしまった。
ショックの後のぼんやりする頭でそう思った。

わたしが考えた復讐はこれだった。
ふくらみ出した自分の胸を、Sに無理やりつかませること。

当時のわたしは、順調に形を変えていく自分の身体が心底怖かった。わたし自身は何も許していないのに、自分勝手に女に近づいていく。得体の知れない生き物に変わっていってしまう。

わたしの感じているその怖さを、Sにそのままぶつけてやろうと思ったのだ。

しかし、トイレを出た時、気づいた。
本当に怖いのは変わっていく自分の身体じゃない。
女に近づく自分の身体を武器にして、相手を傷つけようとした思考そのものだ。
わたしはこんな恐ろしいことを考える人間じゃなかったはずだ。
女だからだろうか。こんなことを考えるようになってしまったのは。

復讐の気も失せて教室へ戻った時、まだSは複数の男子と無邪気に笑っていた。
彼らの後ろを通り過ぎようとした時、Sが笑いすぎてのけぞり、ぶつかってきた。

ハッとした時にはSの背中と自分の胸が強く当たっていた。
驚いてSが振り向いた。
堅い芯の残る胸がわずかに震えて痛かった。

これはチャンスと不敵に笑いたかったが、助けを求めるような情けない顔を不器用に歪めるしかできなかった。

あれからずいぶんと時間が経ち、女である自分との付き合いもだいぶ長い。
あの夏休みの前日、望んでもないのに決定的に女にさせられたわたしは、とりあえず今日も女だ。心底嫌いで、怖かった女という生き物だったが、一番自分のことを女だと強く感じたのはあの日だけで、それ以降、わたしはついでのように女である。普段、自分が女ということを思い出すことはあまりない。それは、ちょっと残念なことかもしれない。

先日、ふと思いついて普段の自分では絶対に使わないような真っ赤な口紅をひとつ買った。理由は、よく分からない。でも少しだけ思う。

今度は望んで女になりたいと。ムリにではなく、喜んで。

 

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2016-06-14 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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