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新年、東京の雑踏で一本のヘアゴムを探す


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:大江 沙知子(ライティング・ゼミ2月コース)
 
 
2022年1月2日のことだった。
 
私は、東京の某所で俯いて歩いていた。ただ一心不乱に道端を凝視し、まるでワイパーのように右へ、左へと視線を動かすことに集中しているせいで、何度か人にぶつかりそうになった。見るからに不審者だったはずだ。
 
時刻は夕方4時半ごろ。私は探していたのだ。この道のどこかに落ちているはずの、たった一本のヘアゴムを。
 
 
さかのぼること6時間前。私と夫、そして3歳の娘は、出かける支度をしていた。
 
小さな子どもがいる家庭にとって、年末年始の6日間の休日は正直キツい。子どものあり余る体力を発散させる先が、近所の公園くらいしかないからだ。しかし、東京の公園なんて大抵はおなじみの遊具がぽつぽつと置いてあるだけだから、子どもは飽き飽きしている。
 
そんなわけで、休日5日目のわが家は、バスに乗って大きな公園に出かけようとしていた。わが家から駅までは徒歩10分ほど。3歳児の足では3倍近くの時間を要するので、自転車に乗せていくことにした。
 
しかし、娘は渋った。自転車に乗ることを全力で拒否した。
 
「乗らない、乗らない、乗らないよぉぉぉー!」
 
泣きじゃくる娘の頭上で、2つに結った髪の毛がピコピコと揺れる。まるでウサギのようなおてんばな髪型が、娘のトレードマークだ。使うのはピンク色のゴムにプラスチックの花がついたヘアゴムと決まっていた。
 
『君が退屈してしかたないから、わざわざ遠くの公園に連れ出そうというのに……』
 
呆れた夫と私は、娘を背後に残してスタスタと歩き出す。わが家の裏には小さな公園があり、そこを通過して駅に向かうのが常だ。
 
泣きじゃくって後を追いかけてくる娘。
 
あ、コケた。
 
娘の喚き声が響き渡る。さすがにこれじゃ近所迷惑だろう。私たちは、娘をなだめすかし、自転車に縛りつけ、駅に向かった。
 
 
さて、最寄り駅の駐輪場で娘のヘルメットを外すと、ウサギの耳が一本取れていた。どこかでヘアゴムを落としてしまったらしく、自慢のウサギヘアの右側がぺしゃんこになっている。娘のダウンコートを漁っても、自転車の周囲を確かめても見つからない。ここまでの道中で落としてしまったに違いない。
 
娘はまたべそをかきはじめた。しかし、バスの時間が迫っている。
 
「帰りに探そうね」
「きっと見つかるよ」
 
夫とともに、慌ただしく声をかけて出発した。
 
 
この日、娘は広々とした芝生の公園で心ゆくまで遊んだ。落としてしまったヘアゴムのことなど、これっぽっちも気にしていない様子だ。むしろ、ピコピコと揺れる髪が片方しかないのを見て、私の方がチクリと胸が痛んだくらいだ。
 
 
というのも、あのヘアゴムは、私の実母が買ってくれたものだ。遠方に住む母は、目に入れても痛くないほど孫を可愛がっている。彼女は年に数回孫に会うたびに『欲しがるものは何でも買ってあげたい』という衝動に駆られつつ、私に遠慮して我慢してくれていた。
 
そんな中で唯一、娘に与えられたのがあのヘアゴムである。スーパーで私が商品を選ぶ間、母と店内を見て回っていた娘が握りしめて離さなくなったのだという。母は『どうしようもないの。ごめんね』と私に目くばせしつつ、娘に聞いた。
 
「娘ちゃん、大事にしてくれるよね」
「うんっ」
「なくさないでね」
 
こくり、と頷く娘。娘はヘアゴムを手に入れた。
 
 
そんなエピソードつきのヘアゴムで、娘も約束通り大事にしていたはずだった。しかし帰宅後に尋ねると、案の定、娘はヘアゴムのことなどすっかり忘れていた。それどころか、夫も娘も「なくなったものはしょうがない」「また買ったらいいじゃないか」というスタンスだ。
 
私は許せなかった。
 
ヘアゴムたった一本に何を大げさな、と思われるかもしれないが、娘が約束を守れなかったことに腹を立て、ひとりで家を出た。
 
 
どうせ娘が転んだ公園に落ちているだろうと甘く見ていたのだが、あいにく見当たらないので、今朝と全く同じルートで駅に向かう。
 
東京は汚い。足元を注視していて目につくのはタバコや、レシートや、ビニール袋や、コンビニ弁当の殻など……それから、時に吐瀉物も。普段、地面ばかり見て歩くことなどほとんどないから、私が住んでいるのはこんなに汚い場所だったのかと、おののくほどだった。
 
『このどこかに、娘のヘアゴムが落ちているなんて』
 
もしかしたら、このゴミのどれかに紛れてしまったのかもしれない。誰かに踏まれたり、排水溝に入り込んだり……と嫌な光景を想像する。娘が髪につけていたものが、そんな扱いを受けていると思うとゾッとして、ヘアゴムを見つけてしまう瞬間が怖くなってきた。
 
 
『あれを握ってるのを見た時、小さなあの子だってオシャレしたいんだなぁ、女の子だなぁって、感心したんだよね』
 
歩きながら、ふと思う。ヘアゴムも娘も、この都会に比べてあまりに小さくて、しかしこの汚い世界にとってはもったいないほど、純粋で美しい。娘がその目で見つめ、小さな足で踏みしめる道はこんなにも汚かったのかと、娘に申し訳ない気がした。
 
『だから、見つけたいんだ』
 
決意を新たにし、私は駅の駐輪場で折り返した。あのヘアゴムをきっと、見つけてあげよう。行きとは反対側の歩道を通って家に向かう。
 
 
しかし……ヘアゴムはとうとう見つからなかった。
 
私は、家の裏の公園で立ち尽くした。もしかしたら、誰かが掃除でもして、捨ててしまったのかもしれない。あるいは、娘のような小さな女の子が、拾って持ち帰ったのかも。
 
『どうか、その子が大事にしてくれますように』
 
しょんぼりして、そう思い込もうとしたその時。
 
「あ……あれ?」
 
目の端にちらりとかすめたピンク色。小さなプラスチックのお花。
 
「―――あった!」
 
思わず声に出していた。まさに今朝娘が転んだその場所の、目の前にある縁石の上にヘアゴムが置いてあった。誰かが見つけてくれたに違いない。「落ちていた」というより「置いてあった」という方がしっくりきたから。
 
しかし、不思議なものだ。この場所は何度も見たはずなのに……ずっと地面ばかり見ていたせいで、逆に気がつかなかったのだろうか。
 
 
私はスキップしたい気分で家に帰り、ちょうどおやつを食べ終えた娘に話しかけた。
 
「ただいま! ねえ、何を見つけたと思う?」
「お花のキラキラ? 見つかったの?」
 
パッと目を輝かせる娘。
 
「うん。誰か親切な人が、見つけてくれたんだよ」
「そうなの?」
 
待ちきれないように差し出された小さな手を握り、私は続けた。
 
「ひとつ約束してくれるかな。もうなくさないって」
「うんっ」
「大事にしてくれるね?」
 
こくり、と頷く娘。ヘアゴムを渡すと、花のように笑顔が広がった。
 
 
東京は汚い。だけど、雑踏の中にも、小さな花が咲くものだな―――。
正月2日目、冷えた身体に、ほんのりとあたたかい灯がともった気がした。
 
 
 
 
***
 
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2022-03-02 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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