通り過ぎているだけで、本当はきっとよくある話
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:園田玲花(ライティングゼミ・2月コース)
秋の葉が落ちるころ、仕事帰りの父親と小さな男の子が
街のはずれにある小さな居酒屋さんに訪れました。
ガラガラガラ……
入口の扉を開けると、スタッフの大きな声が飛び交っています。
「ありがとうございます!」「お願いします!」
50席ほどある店内はサラリーマンや女性客で賑わっています。
その店内を見て父親は、
子どもを連れてきてしまったと少し申し訳ない気持ちになりました。
(入ってきたことに気が付いてくれるかな……。)
何も言い出せずにいた親子でしたが、入口を開けて2秒後には
1人のスタッフが小走りで駆け寄り
「こんばんは! いらっしゃいませ」
「ええと、お子様とおふたりですね! 今日は肌寒い中、ご来店ありがとうございます!」
「そうしたら、このお席がいいかな……。どうぞ!」
「今、おしぼりを持ってきますね。 少しだけお待ちください!」
決して丁寧とはいえないけれど、気持ちの良い空気。
あまりの爽やかさに少し戸惑いながら、ふたりは席に着きました。
「はい、こちらおしぼりです! 熱いから気をつけてね」
さっきのスタッフが少し早口に笑っています。
「こちらは当店おすすめの盛り合わせです。うちの美味しいものが一皿で食べられちゃう一品で、大人の方はもちろん、お子様にも大人気ですよ」
「……あっ! ねえ、僕! あっちの水槽でお魚さんが泳いでいるんだけど、一緒に捕まえに行かない?」
嬉しそうに、でも恥ずかしそうにうつむく男の子。
「お父さん! うちの名物で活け造りがあるんですけど、ご注文いただいちゃってもいいですか?」
ゆっくり頷いた父親を横目に男の子の手を取り、走っていくスタッフ。
「お父さん! あのね、おおきな水槽におさかなさんがいっぱいいたの! 僕、一番おっきいの取ってきたよ!」
無邪気な男の子の笑顔がお店に連鎖していきます。
最初は少し照れながら温かく笑っていた父親の顔が、ふと、涙で歪みました。
スタッフはテーブルへ駆け寄り
「どうされました? 店内でなにかございましたか?」
「……。いえ。こんなことを店員さんに話すのもどうかと思うんだけどね。実は妻が病気で入院しているんだ。平日は仕事が終わると息子を迎えに行って、妻がいる病院に行って、土日も家事をして。自分でいっぱいいっぱいになってしまっていて、もうずっと息子の満面の笑顔を見ていなかったんだ。こんなにも喜んでいる顔を見られるなんて思ってなかったからびっくりしちゃって」
「そうだったんですね……。息子さんの笑顔に逢えて私もとっても嬉しいです! 活け造りはいつもお客様から美味しいと評判ですが、料理長にいつもより頑張って作ってください! ってプレッシャーかけておきますね(笑)」
そういって、スタッフは仕事に戻っていきました。
「失礼いたします! 僕! さっきつかまえてくれたお魚、お刺身にしてきたよー!」
「こちらはお刺身の背中の部分なのでコリコリした歯ごたえを、お腹の部分は脂がのっているぷりぷりした食感です! 骨の部分は食べ終わる頃にから揚げにしてお持ちするので、最後までゆっくり召し上がってくださいね!」
子どもと、父親のためにスタッフは丁寧に説明をし、テーブルを離れていきます。
「ねえ、お姉ちゃん! また、一緒にお魚さん捕まえようね!」
手を繋ぎ、手を振りながら、ふたりは帰っていきました。
「今日は本当にありがとう。今度は、3人で来ます」
そう約束をして……。
実は、この日のそのスタッフは親子の接客をする前に「料理が出てくるのが遅い」
とお客様からクレームをもらっていました。
酔っ払ったお客様は容赦なく、鋭い言葉を浴びせています。
謝罪をし、無事にお料理を出し終えたころ、ふたりの入店があったんです。
ガラガラガラ……
桜の花びらが舞う頃、ご家族がご来店されました。
仕事帰りの父親と、小さな男の子、にっこりと笑う優しそうな母親が手を繋いで。
「お姉ちゃん、久しぶり! お魚さん捕まえたくて、お父さんとお母さんにお願いしてここに来たの! まだお魚さん泳いでるかな?」
「いらっしゃいませ! あ、久しぶり! 覚えててくれて嬉しいなあ。まだ泳いでるよ! じゃあ一緒にいこっか!」
男の子の手をとり、水槽に駆け寄ります。
今度はスタッフが涙を浮かべています。
「お姉ちゃん! どうしたの?」
「ううん、ちょっと海のお水が目に入っちゃって痛くなっちゃったの! 大丈夫だよ」
元気のない誰かを元気にすることが出来る。
明日も頑張ろうねと、背中を押すことが出来る。
お客様にも、スタッフにも起こりうる出来事。
毎日の当たり前や、仕事の一部が自分の価値観を変えてくれる一瞬になる。
それが、飲食業の無限の可能性です。
***
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