メディアグランプリ

あの時を境にわたしの悩みはどこかに吸引されてしまった……



記事: 辰巳葉子(ライティング・ゼミ)

 

その頃、私の住むマンションの前に、新築のマンションの建築工事が始まった。

基礎工事から始まって、日曜日以外はトントンカンカン、作業員の人たちが入って足場を組んだり、棟上げ式まで急ピッチですすみ、あっという間に5階建てマンションの骨組みが組みあがった。

 

へんな噂は、その建物の骨組みが建ったころから始まった。

 

その場所は、もともとは何代も続く開業医のお宅で、ご主人が亡くなったので、お子様たちに相続するべく由緒ある日本家屋やお庭を取り壊して、1階は診療院と2階より上はマンションという今風の工事だと思っていた。

 

その噂は、夕方になるとキューキューという生き物の鳴き声みたいな音が聞こえてくる、とか、誰もいないはずの建築中の建物に小学校6年生くらいの女の子の姿があった、というのが私のきいた噂話。

 

まぁ、特に怖い話でもないから、全然気にもしていなかったし、神経質になると何でもないことが、変な音にきこえたり、人の姿に見えることがあるよねって程度だった。

 

 

でも、あれっ? ちょっと変かな? って思いはじめるような事がおこった。

 

 

私の部屋は9階のフロアで見晴らしが良い。

風通しのよい部屋なので、ベランダ側の窓を開けっぱなしにして、外出から戻った時のことである。

 

玄関のドアを開けた途端に、ものすごい風が吹き込み、部屋の中の扉たちはバタバタ騒ぎだした。

同時に部屋の中にあった書類やティシュペーパー、タオルなどが、いっせいに玄関に立っている私のところまで吹っ飛んできた。

 

こんなのポルターガイストじゃんかっ!!

 

昔、映画でみたポルターガイストさながら、家の中のものが吹っ飛んでくるなんて、なんてこった!! とひとり言をいいつつ……。

 

心なしか留守番をしていた愛犬もおびえている。

 

新しくマンションが建ったから強烈に引き込むビル風が発生したんだね、とおどろいている愛犬の頭を撫でて、これから気をつけるからねと謝った。

 

私に余裕があったのはここまでだった。

 

その日の夜、遠くの方でシューーーーッ! と空気がもれるような音が聞こえてくる。

 

いや、気のせいかな……とやり過ごしてみたものの、その音はだんだん確かな音となって聞こえてきて、シューーーーーーーーッ! とさっきよりも長く、私の部屋のどこからか聞こえてくる。

 

どこだ?! (というほど部屋は広くないが)

可能性としたら風呂場か洗面所かトイレだ。

 

今は夜だし、できることなら原因を突き止めたくない。

明日にしてほしい。せめて明るくなってから……。

得体のしれないものに立ち向かうのに夜は避けたい。

うす気味がわるい。

いっそその音を無視して寝てしまおうか?!

いや寝てしまうにしても、その前にトイレにはいくだろうから、出会ってしまうかもしれない。

 

そうだ! ちょっとお酒を飲んで気分をリラックスさせよう……。

そのうちへんな音は治まるかもしれないし、今は時をかせごう。

 

わたしは現実から目をそらして、音が静まってくれるのを願いつつ、甘めのワインを飲んだ。

音が気にならないように、リビングで大好きなマドレデウスの音楽を聴いた。

マドレデウスに出会ったのはポルトガルをひとり旅したころ。

ポルトガルの演歌みたいなファドはたくましくて、それでいてちょっと悲しげなボーカルに勇気づけられる。アコースティックギターとアコーディオンの音楽を聴くと、リスボンの風景がよみがえってくる。

 

 

できることならこのまま朝を迎えたい。

朝になれば冷静にいろんなことを受け止める自信はあるんだ。

うす気味の悪い奇妙な音も受け止める自信はある。朝ならばだ。

 

ふと、甘めのワインで気分が大きくなってしまった私は、自然の摂理にカラダが動いてトイレのドアを開けてしまった。

 

ごく自然に、もしかしたらの出会いのことはすっかり今は忘れて……。

 

 

そして、とうとう見てしまった。

 

 

これはなんだ?!

 

 

 

洋式のトイレはシュァァァァァァァァァァ―――――――――ッ!! と、ものすごい勢いで吸い込まれている。

 

水は流れっぱなしで、しかも螺旋を描くように吸い込まれ続けている。

 

ポルターガイストじゃんかっ!!!

 

そう、飛行機や新幹線に乗ったことがある人はわかると思うが、あのトイレのジャッッ!! という吸引力がまさに今、目の前で起こっている。

 

それも終わりのない吸引力で爆音を立てて吸い込まれ続けているバキュームだ。

 

 

あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~っっっっ!!!

もぅ、なんなの~~~~!! だ。

 

自動洗浄のトイレだから、電源を切ったら止まるか? と思ったけど、止まらない。

 

バケツに水をくんで大量に流し込んでも、ジュバッッ!! と一瞬で水は呑みこまれて消えた……。

 

ひぃぃぃぃぃ~~~っ!!! やめてくれ~~~っ!!!

 

 

どうもおひとりさまだと極限まで気持ちのアクセルを踏みこんでしまう。

 

トイレに立てこもり、爆音を何とかしてなだめようと試みる。

なでたり、なだめたり、念じても、便器はシュァァァァァァァァァァ―――――――――ッ!! とバキューム音は止まる気配がない。

 

疲れた。やれることはやった。

 

ふと、これはポルターガイストなのか?! と声に出してみた。

 

いや、もしそうじゃなかったらなんだ?

 

ただの故障か?

ただの故障だったら修理か?

 

トイレのトラブル、クラシアンシン、○○○アンか?

電話してちょうだい……とかいってたし、夜中でも電話していいのかな? と躊躇したのが夜中12:30。

 

その日はトイレのトラブルが多くて、修理に到着できるのは、推定午前3:30だという。

このバキュームの爆音を今からまた3時間以上ガマンしなくてはいけないのか?!

 

バキューム音が響くトイレで、ほとんど声が聞きとれない中、修理業者の人にその場しのぎの対処法を教えてもらった。

 

完全なる断水。

家の外に出て電気メーターやガスメーターが入っているドアを開けて、水道の元栓を90度回転させる。そうすると、バキューム音はヒュ~~っと小さくなり、1分たたないうちに音はやんだ。

 

鏡に映った自分は、なぜか髪の毛はボサボサになり、うっすらと目の下にクマが出ている。

 

なんだか悪いものを全部吸いとって去っていった感じだ。

わたしの中の小さな恐怖感や不安や悩みは、かくのごとく吸引されこの部屋から出ていったのだった。

もはやなにも残っていない。

なにを悩んでいたのかも、はっきり思い出せないくらい遠い昔に感じる。

 

 

平常心が戻ってくると、午前3:30の修理のほうが異常に思えた。

修理は延期。たった1本のネジがさびていたらしい。

 

トイレはレバーを押したらゆっくり流れていく。

こんな当たり前のことが私の心の平穏を保ってくれている。

 

 

***
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2016-07-20 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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