世界一明るい留年のススメ ~回り道にしか咲いてない花だってあるんだよ編~
記事:斧田 唄雨(ライティング・ゼミ)
「つまり、君は1年生ってことだな!」
ん? どういうことですか?
そのとき私は責め立てられていた。
研究室の壁には一面に本が敷き詰められていて、元々さほど大きくない部屋が余計に狭く感じられる。
私より若いような、私よりだいぶ年上にも見える男の人が何人も並んで私を観察している。
名前、出身、得意教科。オーソドックスな質問もこうも矢継ぎ早に投げつけられると立派な凶器になると思う。
「で、残り何単位で卒業なの?」
「……おそらく、40くらいではないかと」
「就活してる? 内定は?」
「就活は一応……。内定はありません」
「麻雀打てる?」
「麻雀? 触ったことないです」
右から二番目の眼鏡をかけた男の人にふうん、と感情の見えない目で見つめられて、ますます私は困惑する。
あ、これはもしかして、新手の面接なのか?
人気の教授の中にはゼミに入るのに面接を課す人もいるらしい。ここにいる面接官のような男たちももしかしたらゼミ生で、ここでやる気を見せなければ落とされてしまうかもしれない。スカートの裾をぐっと握りしめる。
「あ、あの、私、今はこんなダメダメですけど、がんばって勉強して、絶対卒業しますから、その、よろしくお願いします!」
「ダメダメ? なんで?」
一番左のまたも眼鏡をかけた男の人(ちなみに、5人いる面接官のうち4人が眼鏡だ。わかりづらい)が、首をかしげた。
「え、だって私、留年したんですよ」
そうだ、私は大学を留年した。
弁護士になると壮大な夢をもって入ったはずの、憧れの大学。しかし一瞬で法学に挫折した私は、編集局でのアルバイトと小説の執筆に夢中になっていた。出席日数もテストの点数もボロボロ。必修の単位を落としまくっていた。
落ちこぼれ法学部生。呆気なく留年。
そんな私をダメダメと呼ばず、何と呼ぶ?
唯一眼鏡をかけていない男はそんなことかと笑い飛ばす。
「俺、今年8年生」
!?
「お前何年生だったっけ?」
「俺は7年生です」
「俺は6年生~。あ、途中半年休学してるから5.5年生かな、正確には」
「み、皆さん留年されてるんですね……?」
度肝を抜かれてははは、と力なく笑う私。部屋の片隅で煙草をふかしていた教授が椅子をくるりと回して、こちらに向き直った。
単位が足りなくて留年が決まったとき、学生課に呼び出されてこの先生にお世話になりなさいと案内された教授だ。名前は、江本。1年生のときから名前だけは知っていた。だって、見た目にインパクトがあるんだもん。目が大きくていつもにこにこしていて、白髪の長髪をひとつにまとめ、モッズコートを着た、年齢不詳の外見。風変わりな先生だと有名だった。
「そうそう。ここでは5年生なんて1年生みたいなもんだから」
「は、はぁ……」
「だから、1年生になったと思って気長にやんなさい」
「え、えぇ……でも……」
1年生になったと思って、なんて言われても4年の失敗や挫折は消えない。
5年生は5年生で、留年は留年だ。
言い淀む私を置き去りにして、江本先生のお言葉に先輩方はいきり立つ。
「そうだ! 4年で卒業するなんて勿体ない!」
「5年と言わず、あと4年大学生活を楽しもう!」
「大丈夫、麻雀のルールは一から教えてやる!」
仲の良かった同期の卒業を見送り、涙を飲んだ春のこと。
取り損ねた単位をかき集めるために心機一転、4月から新しくゼミに入った私を待ち受けていたのは埃っぽい研究室と風変わりなゼミ生だった。
ここに染まってはいけない。インスピレーションに近い危機感に襲われ、私は心に決めた。
絶対、絶対、絶っっっ対、私は5年で卒業しますからね!
***
寂しくなったら研究室においで。ここは保健室みたいなもんだから。先生のお言葉に甘えて私は昼ごはんを研究室で食べるようになった。
確かに、保健室登校みたいだなとおかしくなる。大学生にもなって、はたちもとうに越えているのに、やってることは中学生みたいだ。
ドアをノックして部屋に入ると、大抵誰かがいた。
先生は煙草を吸いながら仕事をしていて、同じくお弁当を広げている先輩とは話したり話さなかったりする。
そうするうちに暇を持て余した3年生、4年生の正規のゼミ生がやって来て、研究室はいつもにぎやかだった。
江本ゼミにはバカしかいなかった。
ネットの平和を守りすぎて留年したネトゲ廃人、一日10時間以上働くバイト戦士、2時間の飲み会のためだけに埼玉からわざわざバイクで帰ってくるライダー、最終面接前に徹マンして内定をとる就活生、隔週で東京のイベントに飛ぶオタクなどなど……。
“もしかして……私のキャラ、薄すぎ!?”
と、不安になるほど、濃いメンツ。
かつ、みんな不思議と明るい。
誰も留年を気にしていない。たまに留年をネタにしてからっと笑い飛ばしているくらいだ。
私はどうしても笑えなかった。
留年した自分が恥ずかしかったし、情けなくて。
笑い飛ばしている先輩や後輩たちの気持ちがわからなかった。
火曜日のゼミが終わった後、先輩の部屋に直行し、みんなでてっぺん越えるまで麻雀を打つのが恒例になっていた。
麻雀のルールはイマイチわからないので、私は人が打っているのを見ているだけだった。
「そういえば、ミナミさんって9月で卒業するらしいですね」
じゃらじゃらと牌を混ぜる後輩が口火を切った。麻雀は高度なコミュニケーションが必要な頭脳戦だと先輩たちは言う。こういう雑談も勝負の一つらしい。
最年長のミナミさん。今年8年生と言っていた、江本ゼミで珍しい眼鏡をかけていない男の人だ。
「あ、単位揃ったんだ。良かったねー」
「ミナミさんの卒業なら盛大に追い出ししなきゃ」
「うちのゼミのヌシみたいな存在でしたもんね」
「ソウさんが次のヌシですよ」
「俺は来年の3月まで居座るからな」
麻雀会場の家主でもあるソウさんはえらそうに胸を張った。
ミナミさんはいつも研究室で、自分で握ったおにぎりを食べていた。面接のときはテンション高かったけれど、普段の口数は多い方ではなくて、不器用なタイプだ。漫画の、「ジョジョの奇妙な物語」が好き。おにぎりの具はいつも鮭。
言葉を交わした回数は少ない。付き合いも短い。
けれど、なんとなく寂しさを感じる。
「ミナミさん、就職決まってるの?」
「営業やるって言ってたよ」
「えっ、ミナミさんが。想像できないなぁ」
よれたTシャツで無言でおにぎりを食べるミナミさんと、営業マンの姿がどうしても重ならない。
「ミナミさん、営業できるのかなぁ……」
不用意に口に出した言葉。じゃらじゃらとうるさい音が止まった。
言ってはいけない言葉だ、と気づいたときには遅い。
「す、すみません」
留年は社会的には失敗で挫折だ。
いくらゼミの間でネタになろうが、笑い話になろうが、余程のことがない限り卒業が容易な日本では「留年した」というだけで何か問題を抱えていると見なされる。それに、一番負い目を感じているのはたぶん留年した当人だ。
私も、ここにいる留年を経験した先輩たちも、きっと、ミナミさんも。
「できるさ」
ソウさんの一言の後、何事もなかったかのように麻雀は再開された。
根拠を明示されないまま放たれたその言葉には、なぜか不思議と説得力があった。麻雀のネタでケラケラと笑うゼミ生の中で、私は何も言えなかった。
***
9月。
無事に卒業式を迎え、ミナミさんは巣立っていった。
最後の最後まであまりうまく話せなかった。ミナミさんは照れ屋だから、私がおめでとうございますと言うと「大学にはもう飽きたからね」とかなんとか、憎まれ口を叩いていた。
4年で卒業するのは勿体ないなんて、言ってたくせに。
「先生、留年って失敗じゃないんですか?」
一旦自宅に帰ると言うミナミさんが研究室から出て行き、私は先生と二人残された。もうすぐソウさんたちが追い出しコンパの準備を終えて帰ってくるだろう。
江本先生は煙草をふかす。いつもの風景だ。
「なんでそう思うの?」
「だって、4年で卒業するのが普通なのに、ある意味人の道外れてるみたいなもんじゃないですか。なんでみんな笑ってられるんですか?」
「その答え、もうわかってるんじゃないの?」
江本先生は薄く笑う。
さすが、何人もの問題児を送り出してきた先生。何もかもお見通しなのだ。
「はたち越えて、毎日バカやって遊んで、恥ずかしいって思ってました。でも、これって必要なことだったのかも、って今は思います。だからミナミさんも卒業していったんですね」
「未練を残さず、ってやつだよ」
「もう、死ぬみたいな言い方、縁起でもないです!」
回り道にしか咲いてない花だってあるんだよ、何かの漫画でそこぬけに明るいキャラクターがそんなことを言っていた。
たぶんミナミさんはそれを見つけて卒業していったんだろう。
ソウさんや、他の先輩たちもそれを見つけている最中だから「ミナミさんならできる」ってはっきり口にできたに違いない。
私は、どうだろう。
まだ留年したこと、後悔してる。
けれど、ミナミさんみたいにやりきって卒業できたらいいなと思った。
世界一明るい留年のススメがこのゼミにはある。
何も見つけられず4年で卒業するなんて、勿体ないから。
「追い出しコンパの店、予約したよ~!」
ソウさんは予約を終え、意気揚々と戻ってきた。
そうだな、まずはわからずにいた麻雀のルールを教えてもらおう。
この若輩者に、高度なコミュニケーションとやらを教えて下さいよ、先輩。
1年生に戻ったつもりで教えを乞おうと思う。
ソウさんはびっくりするだろうか。それとも、笑うだろうか。
『大丈夫、卒業まであと3年半もある!』
なんて言って。
***
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