私を嫌っていた彼女が、私にくれた最高の自信
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記事:山本亜矢(ライティング・ゼミ4月コース)
歩道橋の上に私は一人立っていた。フロントライトの眩しい光と、赤く光るテールランプを冷たい目で眺めていた。このまま車の渦の中に飛び込んでしまおう。それで私は楽になれる。
右手には、事故報告書を握っていた。もうこれで何度目だろう?
このままここから飛び降りれば、私に『死ね!』と言った看護師長は、自分を責めたりするのだろうか?
『あなたが殺したも同然よ!』ミスの多い私にその言葉を浴びせた教育係の先輩は、自分が追い詰めてしまったと苦しんでくれるだろうか?
いや、違う。
私は、自分でいることが嫌になったのだ。
一生懸命頑張っても、何もかもうまくいかない。これまでの楽しかった人生とは180度変わってしまった。看護師1年目とはそういうものなのだろうか? もちろん、同期の看護師も苦しみながら頑張っている。けれども、明らかに私だけができない。上司が私に言っている言葉は、私が自分に言いたい言葉なのだ。
もう、こんな自分が嫌だ!!
もう、自分を辞めたい……
行き交う車を、固まった心で眺めていた。
ふと、田舎の両親の顔が浮かぶ……
一気に目の前の光がオレンジ色になり、滲んではぼやけていく。
抑えていた感情の蓋が外れて、嗚咽と共に溢れ出た。
両親を悲しませられない!!
その気持ちだけで私は前を向くと決めた。
それからの私は、とにかくなんでもやった。失敗から学び、学んでは失敗し、寝る間も惜しんで勉強した。少しずつ失敗の回数も減っていった。苦しくても前を向いた。すると、だんだん周りの態度も変わっていった。
2年目になり新人看護師が入ってきたときには、辛い気持ちに寄り添える余裕もでてきた。3年目になって教育係になった私は、新人を褒めて認めることに全力を注いだ。5年も経つと、あの教育係だった先輩とも仲良く飲みに行ける仲になっていた。
そんな頃だった彼女の担当になったのは……。
彼女は患者さんだった。
入退院を繰り返している彼女の再入院、今回の担当は私だと発表された。
「今回担当させていただきます」
大部屋のカーテンを開けて、挨拶に行くと
「コナイデ、アッチイッテ」
外国籍の美しいその女性は、たどたどしい日本語で私にそう叫んだ。
次の日も、その次の日も、
「アナタ、クサイ」
「アナタ、イヤダ」
こんなに拒絶されたのは初めてだった。
何日かすると拒絶の言葉は無くなった。無愛想に差し出された体温計を受け取りながら、彼女の感じていることを探っていた。
今回が最後の入院になるだろう。私は、主治医からそう聞いていた。
案の定、病状はどんどん悪化し、ついに個室へ移動となった。
もうベッドから動くことができない彼女からのナースコールで、私は彼女の枕元に跪いた。
「どうされました?」
彼女は、オムツを指差していた。
「失礼しますね」
そう言って、オムツを開けると大量の黒い下血だった。
気丈な彼女を不安にさせないよう、私は冷静を装い、血圧のチェックを始めた。
「ワタシのクニでは、キタナイものをだしたらシネルノ」
彼女の言葉に、私は血圧を測る手を止めた。
その時、彼女が見ているもの、感じていることを全身で一緒に感じようとした。
彼女は凛とした表情で、天井よりももっと遠くを見ていた。
「怖いですね」
どうして私からその言葉が出たのかは分からない。彼女が感じていることから目を背けずに、一緒にみようと決意した瞬間、咄嗟に出てしまっていた。
「うぅっ……」
彼女は両手で顔を覆い、声を詰まらせながら泣いていた。
自然に私も涙が溢れていた。
彼女の心の蓋が開いたような気がした。
この日以来、彼女は私に自分の気持ちを打ち明けてくれるようになった。
「コワイノ」
「オネエさんにアイタイ」
私は時間の許す限り彼女の側にいた。
彼女の想いを否定することなく、ただひたすら聴き続けた。
彼女が不安に押しつぶされそうになる度に
「いつも側にいます」
もはや、それしか言えなかった。
彼女が急変した時は、夜中でも電話してください。私は主治医にそう伝えていた。『いつも側にいる』それが彼女との約束だった……
休み明け、早朝の主治医からの電話で、私は急いで病院に向かった。
病室のドアを開けた瞬間、目の前に彼女に良く似た女性が立っていた。
私はその女性に会釈をして、彼女の枕元に向かった。
ずっと私が彼女の話を聴いていたいつもの場所だった。
彼女の意識はもう無かった。
私は涙を堪えながら彼女に言った。
「一緒にいれなくて、ごめんなさい。お姉さんに会えたんですね」
「ケーオさん?」
彼女と同じ呼び方で、私の名前を呼ばれた。
驚いて振り向くと、大粒の涙を流しながらお姉さんが、私を見つめていた。
「アナタね、アナタなのね」
お姉さんは私の腕をとって、泣いていた。私の堪えていた涙もドッと溢れ出た。
初めて会った人なのに、ずっと前から知っているようなそんな感覚だった。
「ずっと、オネエさんに会いたいと言われていました」
日本語が通じるか分からなかったが、私はそう彼女のお姉さんに伝えた。
何度も、何度もお姉さんは大きく頷き、カタコトの日本語で、
妹からアナタの名前は聞いている。そばにいてくれてありがとう。
そう、私に伝えてくれた。
彼女はその日の夜、帰らぬ人となった。
彼女が発した最後の言葉は
「ケーオさんをよんで」
だったと、主治医から聞いた。
それからの私は『寄り添う』という大きな自信を持って生きている。
それは、彼女が私に教えてくれた『最高の宝物』だった。
***
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