シン・ゴジラが教えてくれた『世界最高に地味な俺たちのカッコよさ』について
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記事:染宮愛子(ライティング・ゼミ)
シン・ゴジラ、見てきました。 帰ってくるなり感想を探しまくり読み漁り、その日が終わりました。しかし熱は冷めない。一夜限りの恋があるならきっとこんな熱さ。探してみれば同じ症状に見舞われ、放射熱のごとく感想を噴射する人数知れず。 元々映画はあまり見ない上、見た後語り合う習慣もない私。その奇跡的確率を問答無用で撃ち抜いてきた、まさに『語りたくなる映画』シン・ゴジラ。ゴジラシリーズ未視聴、エヴァをまったく知らなくてもまったく全然これっぽっちも問題なし。最近話題が無くて困ってるカップルは一緒に見に行けばその後デート3回ぐらいはネタに困らないと思います。真夏のディズニーの地獄の待機列でも退屈しません。ただし意見が合わないときの喧嘩と熱く語りすぎた結果の熱中症のフォローは致しかねますのでよろしく。
なるべくネタバレを避けて語ろうと思いますが
この映画の何が素晴らしかったって
地味なところ。
もうね、最高に地味。
人間のやることなすことがもうとにかく地味・地味・地味。
ゴジラはそりゃあもう派手にやらかします。だってゴジラだもん。それに対し、人間側はとにかく地味。ひたすら地味。ヒーローとか出ない。ガンダム出ない。ウルトラマン出ない。究極兵器とか出ない。金髪ねーちゃんも露出度高いロリもいない。メインにはイケメンがちらほら配置されているものの、「ああ日本って高齢化社会なのね」ってため息つきたくなるほどのオッサ……ロマンスグレーパレード。ド派手演出とロリと露出度と蛍光カラーが売りのクールジャパンはどこ行った。
映画では会議シーンが出てきますが、ここも地味。ハリウッド映画でよく見る黒×蛍光グリーンの大スクリーンなし。思わせぶりな暗がりなし。ネオン一歩手前の灯りとか長い長い螺旋階段や地下行きエレベーターや秘密基地なし。作戦を練るのは普通の会議室。安物オフィスチェアに会議室机。まさかのベージュのコピー機。情報分析をするノートパソコンも野暮ったい。時々出てくるMacがめちゃくちゃスタイリッシュに見える。そのへんの1時間1,000円の会議室借りて再現映像作れるレベルの地味さ。
怪獣映画という、派手さに全てを賭けても文句言われないだろう題材で、とことんまで地味にこだわり抜いている。ド派手なバトルを期待していったら肩すかし食らうことうけあい。
だから面白い。
シン・ゴジラのテーマは『現実(ニッポン)VS虚構(ゴジラ)』。虚構を倒すのに、虚構はいらない。
シン・ゴジラの世界においては『派手なものは全部非日常』『地味なものが日常』という線引きがされている。ゴジラの大破壊祭りや内閣総辞職ビーム、米軍の爆撃機あたりは派手で見栄えがする。アメリカからやってきた石原さとみは派手なファッションではないのに、髪の毛にパーマ当たってるだけで浮きまくる。
対する日本の皆さんはみんな地味。スーツをパリッと着こなしてた気がするのは最初の5分ぐらいで、あとはもうみんなどんどん肩が丸くなっていく。服装も防災着になってお洒落って何でしたっけモード。女性キャラがまず少ない上、メイクもヘアスタイルも超絶地味。しまいにはイケメン主人公が髪ボサで「臭いんでシャワー浴びてください」と言い放たれる。最終決戦の防護服はだぼだぼで、ガスマスクはB級映画に出てきそうなレベル。
泣きたくなるほどに地味。泣いてるのに頬が緩みまくるほどに地味。
それは、彼らの『地味さ』が私たちそのものだから。気取ることも飾ることもできない地味ーズ日本メンバーは、正しく『私たちの代表者』だから。
私たちは、心のどこかで気づいている。派手な演出、過激なヒーロー、わけのわからんテクノロジーで作られた最新兵器、そんなものは『私たちの現実』にはないのだと。怪獣映画は、ヒーローものは、そんな『非日常生物に非日常存在が挑む』、頭っからしっぽまで憧れの権化、ハッキリ言ってしまえば『日々を生きる私たちには無関係』なんだと。だからこそ安心して楽しめる。どうせ私たちには関係ない世界の話だから、どれだけ破壊されてもエンターテイメントとして楽しめる。そうやって異世界に逃げ込んで、ストレスを発散した気になって、映画館を出るなり現実の光景にげんなりするのだ。
けれど『シン・ゴジラ』は違った。ゴジラが現れた場所も、破壊していったところも、ゴジラが近くに来てるのに写メってる大バカ者も、死ぬ気で会議し続ける役人たちも、ノンストップで悪化していく状況も、どれを取っても、どうしようもないほど『日常』だった。もたついてる間に後手後手に回り、上手くいくかと思ったら大惨事。首相も大臣も彼らなりに一生懸命頑張ったのに、その大半は報われる気配すらなくあっさり終わる。
その理不尽に、観客はただただ呆然とする。ゴジラという虚構に、現実が太刀打ちできないことに打ちのめされる。
しかし、この作品のテーマは『現実VS虚構』。
虚構を倒すのは、やっぱり現実だ。
私は他のゴジラシリーズを見ていないので、今までのゴジラが何でどう倒されたのかは小耳に挟む程度にしか知らない。それでもはっきり分かるのは、ここまで『今、私たちの目の前にある現実』を使ってゴジラをなんとかしたケースはないだろうということだ。
明らかにセットなマッドサイテンティスト施設ではなく、現実にある化学工場を。ハイパードライバーと設計ミスばりの速度が出るスーパーカーではなく、日常使われている運送トラックを。最終作戦のカギを握るのは工事現場でよく見るクレーン。最後の足止めに使われるのは関東民の足。笑ってしまうほどに『私たちがよく知っている日常』がゴジラに挑み、辛くも勝利する。
もはや、夢も希望もロマンも感じられなくなっていた地味な日常が、地味な人たちの地味で必死な努力が、日本を救う。
言わせてほしい。
こんなカッコイイ地味があってたまるか!
『シン・ゴジラ』は日本賛歌ではなく、地味賛歌であり、現実賛歌だ。ロボットアニメという日本が誇るファンタジーでヒットを飛ばした庵野監督は、特撮の場で極限まで『地味な日常』にこだわった。日本だって捨てたもんじゃない、ではなく、現実だって捨てたもんじゃない、毎日乗ってるあれだって、毎日見かけるコレだって、毎日通り過ぎるあそこだって、ちゃんと意味があるんだよと訴えかけてきた。
『シン・ゴジラ』を見た後に電車に乗った人は、電車に「ありがとう」と言わずにはいられない。建設ラッシュ、書き入れ時のクレーン車に「あんたたちのおかげだ」と言わずにはいられない。非日常を、ファンタジーを、どこにもいない怪獣ゴジラとの戦いを楽しんだ私たちは、気付けば日常が愛しくなっている。
現実が虚構に勝った作品、シン・ゴジラ。その勝利は、なんでもないこの日本を、なんでもない景色を、ひたすら地味な私たちの日々を、そこに眠る熱を、内側から照らし出してくれた。
そう――まるで、内側から赤く輝き、活動を開始するゴジラのように。
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