高校時代の手紙を読んだら、忘れていた自分を思い出しました。
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記事:櫻井 るみ(ライティング・ゼミ)
「ちょっと一回帰ってきてくれない??」
1ヶ月ほど前に母親からかかってきた電話で、夏休みに1日だけ帰省を決めた。
こちらはこちらで用事があるし、顔を見せたい孫がいるわけでもないし、そもそも休みがそんなに多くはない……ということで、ここ何年かはお盆の時には帰省をしなかった。
そもそも実家はあまり好きではない。
だがしょうがない。理由が理由だ。
一度、帰ろう。
それで、一回で終わらせる。
そう決めて、私は実家に帰った。
私があまり好きではない実家に帰ることを決めたのは、冒頭の母親からの電話だ。
その電話で、実家を建て替えることを知った。
母親の言いたいことは要は、「あんたの荷物邪魔だからどうにかしてくれない?」ということだ。
家を出て20年以上経つ。
その間一度も必要と思わなかったものが、これから必要になるとも思えない。
全部捨ててくれて構わないのに……、と思いかけた私ははたと思いとどまった。
いやいやいやいや……、元彼の写真とか読まれてマズイ手紙とかどうしたっけ……。
!!
机の中に見られたくないものがまだあるかもしれない……、その恐怖に私は帰ることを決意した。
高校を卒業した私は「大学進学」という名のもとに、実家を出た。
ずっと家を出たかったので、1週間や1ヶ月という期間限定で戻ることはあっても、もう実家で「生活」をすることはなかった。
そして、そのうちに大学を卒業し、同棲して、結婚してしまった。
私の部屋は母親が使っていたようだが、机の中身や本棚等は整理されることなく、そのままになっていた。
そして、その机の中に私の「どうにかしなきゃいけない歴史」は眠っていた。
出てくる出てくる。
当時の写真、サイン帳、まわし手紙……。
今更見られたり、読まれたりして困るわけではない。
私はもういい大人なわけだし、手紙の中に出てくる彼氏とは違う人と結婚している。
別れた時に捨てたのか、元彼の写真も思ったより少なかった。
それでもやっぱり……、
これは大切な私の記憶なのだ。
もっと言っちゃえば、私の純粋で真っ白だった心。
だからやっぱり、ここは手付かずにしておいてもらって良かったと思う。
やっぱり、自分で処分したい。
そして、片付けの定番。
「昔の日記や手紙に見入る」という行為に走った私。
特に手紙は、差出人を見るだけで、まわし手紙でも内容を見るだけで、その当時に何があったのかが一瞬で思い起こされる。
当時、誰が好きで誰と誰がどうなっていたのかとか、これは内容的に何年生の時のこの時期だったな……とか。
読めば読むほど、当時の私達は恋愛のことしか考えてなかった。
読んだ手紙のほとんどが自分の好きな人のことか、うまくいってない友達の好きな人の話。
しかも1日2日で事態が好転も進展もするわけないのに、延々とそのことについて話している。
驚くべきことに1日の間に10通もやりとりしていたこともあった。
どんだけ「授業中ヒマやで学生」だったのか。
勉強しなさいよ、勉強を。
20年以上前の自分に苦笑する。
だけれども、苦笑する一方でちゃんと知っている。
当時の私たちには、なぜしなきゃならないのかわからない勉強よりも、先の見えない将来よりも、今そこにいる「好きな人」の方が重大だったのだ。
だからこそ、その溢れんばかりの想いを手紙にしたためてぶつけた。
本人ではなく、友達に。
そしてその友達も本人ではなく、私に。
大人になって考えれば不毛なやりとりだけど、当時は真剣だったし、そして楽しくもあった。
自分の想いを文字にするという行為そのものが、すでに楽しかったのだと思う。
そう。
私の、ライティングへの道はすでにここから始まっていたのだ。
当時の私はただひたすらに書いていた。
「手紙」という形で。
友達、先輩、後輩……いろいろな人に。
今のようにLINEやメール・メッセンジャーといった便利なツールは何一つない20余年前は「手書きの手紙」でしか、思いを伝える術がなかったのだ。
そして、LINEやメッセンジャーのように、書けばすぐに相手からの反応があるわけではない。
だから、待たされた分、伝えたい情報量が増える。
必然的に枚数も増える。
やりとりも増える。
結果、1日に10通のやりとりになる。
当時と今と、私は何一つ変わらない。
いや、20年以上の時を経て、それなりに知識や経験はついた。
こうすれば上手くいく、こうすると失敗する、という自分なりの法則みたいなものも理解しつつある。
だけれども、本質的には何も変わっていない。
誰かを好きになって、その想いを文章にしたためているという本質。
誰かに何かを言いたくて、文章にしているという本質。
むしろ、当時の方がより純粋。
だって、「書く」ことにあれだけの時間を割いていたのだもの。
それだけ、言いたいことや伝えたいことがあった。
今はどうだろう??
日々の生活や仕事に「書く」ことが削られている毎日。
言いたいことが浮かんでも、すぐに書かないから忘れてしまうタイミングの悪さ。
そうそう。
あの頃は何かあるとすぐに「ちょっと聞いてよー!!」とルーズリーフを取り出した。
それくらい「言いたいことを書く」ということにライブ感があったのだ。
当時は「書く」なんて、なんの意識もしていない。
だけれども、「書く」ことに対して動きが軽かった。
何かというと「書いて」いた。
ああ、この感覚、忘れていたな……、とちょっと反省。
あの頃と同じようにフットワーク軽く、「書いて」いこう。
大丈夫。
きっとできる。
だって私は本質的には何も変わっていないのだから。
***
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