メディアグランプリ

人生が恐怖の館でも、少しだけ気楽にする方法がある。


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記事:てらっち(ライティングゼミ)

町はずれにある寮の薄暗く狭い4畳半の部屋の中、今日も少女は恐怖に怯えていた。

 

32年も前の話である。

寮と言っても学校の寮ではなく、母子家庭のみが入れる母子寮。

読んで字のごとく、母子家庭しか入ることのできない寮で、収入の少ない母親にとっては家賃が格安のためありがたい施設であった。その寮に少女は母と一緒にはるばる東京からこちらの寮へと住むことになったのだが……まるでホラー映画のような、恐ろしい日々がそこから始まったのだった。

 

サンダルの音が聞こえる。

ズルッズルッとサンダルをひきずって歩く音が聞こえると少女は自分の家であるのに、部屋の中で小さくなって震えていた。

ドアの横の窓が少し開いていると、少女は縮こまってそちらを見る。窓からちらりと見える、サンダルの主のその顔は浅黒く、その顔を覆うパンチパーマがゆれる。細い眼はいつもこちらを睨みつけて少女を怯えさせていた。

 

これが隣の部屋のおばさんである。

彼女が恐怖の館の主人であった。

 

そのおばさんはたまに言いがかりをつけてドアを蹴飛ばしていく。

 

「なまいきなんだよてめえ」

 

とかなんとか怒鳴りながらドアを壊れるんじゃないかってくらい蹴飛ばす。

一度はドアが大きくばーんと開かれて、となりのおばさんが立っていた。そして何事か怒鳴りながらゴミ箱を放り込んでいったことがある。一体何が気に食わなくてそんなことをしたのか少女はいまだにわからない。

 

ある日、少女が部屋を出たときのことである。おばさんが隣のドアの前で、何かを見下ろして仁王立ちに立っていた。

よく見ると隣のおばさん前に、彼女の娘がコンクリの廊下に座らされているのだ。

何か怒られているのだろうが、その姿は尋常じゃない。おばさんは手に包丁を握って娘に向けている。

娘はちらりとこちらを見た。

生気のない目は助けを求める気もない、諦めの目。

 

少女は驚きすぎて、そっとその方を見ないように抜き足差し足でその場を急いで立ち去ったのだが、後ろから何事か自分に向かって怒鳴り声が聞こえたのを覚えている。

 

「ああ、こんな生活イヤだ!」

 

少女は本気であのおばさんの上に突然鉄骨が落ちてきて下敷きになって死ぬとか、宇宙人にさらわれて地球上からいなくなることを神に祈りつづけた。神さまならなんでもよかった。神さま仏さま、アラーの神さまから寮の共同トイレの神さままで、助けてくれそうな神さまならなんでもよかった。この恐ろしい生活をなんとかしてほしかった。

 

母を見ると、何も気にしていない、ように見える。それが少女には不思議で仕方なかった。少女の母はおっとりとして、隣のおばさんが怒鳴り込んでも顔を亀のようにひっこめて小さくなっているだけ。少女ははがゆく思っていたが、母はおばさんが何をしてもただ黙っていた。

 

ある日、またおばさんがドアを叩きつづけた。

 

ドンドン。ドンドン。

 

その単調な音と時折きこえる怒鳴り声。少女が母にしがみつくと、母はぎゅっと少女を抱きしめてくれた。

「そうだ、こう考えたらどう?」

「何?」

「隣のおばさん、ドリフのいかりや長介だと思えばいいのよ」

何を言っているのだ、この人は。

「ほら、あの雷さまにそっくり」

母は緊迫した中でとんでもないことを言いだした。

たしかに、あのちりちりパーマ、細い顔、角はなくてもついているようなものだし、たしかにドリフのちょーさんの雷さまだ。

そう思うと急に笑いが込み上げてきた。

「今笑っちゃだめよ。聞こえたら余計怒られる」

 

それから少し恐い、と思う心が減ってきた。

 

ドリフのちょーさんだと思うと顔がほころんでくる。たしかに怖いのだが、緑色のパーマの雷さまだと思えば、ドアを叩かれたり蹴られたりしても、「あー、また雷落ちてるなー」なんてちょっとだけ気楽に思うようにできるようになった。

 

ほんのちょっとのことだった。

ほんのちょっとで、あの人生終わりだと思うほどの恐怖が、楽になったのである。

 

ある日、またドンドンとドアをたたく音がした。

なぜかまた開いてしまうドア。なんでこのドアは開くのだろう。

そこへいかりや長介……いや、おばさんが立っていた。

「なんですか?」

少女が聞くと、

「あんたのお母さんに言っといて」

「……は、はい」

少女は怒鳴られることを覚悟して亀のように首をすくめて目をつぶっておいた。

「ありがとうよ」

「は?」

「あんたの服をもらったんだよ。おさがりをね。お礼言ってくれ」

おばさんはそれだけ言うと、その日は静かにドアが閉まった。そんな日は初めてだった。

少女は腰がぬけて部屋に座り込んでしまった。

 

それからしばらく。

なんと、隣のおばさんはいなくなったのである。

少女の熱い祈りが共同トイレの神さまに通じたのだろうか?

ただ風のウワサで、隣のおばさんは精神病院に入ったという話しが聴こえてきた、本当のところはわからない。

 

ただ、娘が一人残された。

 

娘は施設へと入ることになったらしく、どこかの男性が娘を引き取りにきていた。

少女と母がそっとドアを開けて様子をみると、隣の娘は少女のおさがりの服を着ていた。

 

娘の目がこちらをちらりと見る。

とつぜん隣の娘はスカートをめくってみせた。

そこには少女の母の曲がった字で、「がんばれ」と言う言葉と、かわいいオニのイラストとともに書いてあった。

娘は初めて口元で笑ってみせ、そして男性に連れられて行った。

ドアからタテに並んでいた二つの顔は、娘が車に乗って出ていく魔でじっと見ていた。

 

「あの子の新しい人生が始まるんだね」

母はぽつりとつぶやいた。

***
この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
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2016-08-19 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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