パラレルワールド・県営バス
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記事:永尾 文(ライティング・ゼミ)
一度閉まったドアが、再び、開いた。
不機嫌そうな独特の機械音を立てて、赤い車体の県営バスは渋々私を迎え入れてくれる。バスを追いかけたせいで荒くなった息をおさえながら、右側の二人掛けの席に座った。
よかった、間一髪間に合った。何しろ、実家の最寄りに着くバスは一時間に一本しか走っていないのだ。この夏一番の猛暑日に炎天下で一時間バスを待つ勇気はない。
腰を落ち着けたとたん、吹き出す汗。
『ドアが、閉まります――』
アナウンスのあと、勿体ぶるように、緩慢な動作でバスは走り出す。
かぶっていた麦わら帽子を膝の上に落とし、窓ガラスに汗ばんだからだを預けて、私は少しだけ目を閉じた。
田んぼと山の緑を切り開いて作られた、コンクリートの道のりを、バスはゆるゆると走っていく。
少しだけ目を閉じて休むつもりが、どうやら眠ってしまっていたらしい。最寄りのバス停まであと10分ほどのところまで来ていた。
正月ぶりの故郷は、一見変わったようで何も変わっていない。小学校の近くの文房具屋さん、懐かしいな。今日はお盆休みのようだ。シャッターが降りている。
車内を見渡すと私が乗ったときよりも人が少し増えていた。日焼けした小学生、痩せたおじいさん、太ったおばさん。
そして、左隣の二人掛けの席には、赤ちゃんを抱いた若い女性と老婦人が座っていた。花柄のブラウスを来て、薄桃色の日傘を携えている。
見覚えのある横顔。
――ええと、確か、裕子ちゃん?
寝ている子供を抱いた母親は、真っ直ぐに前を向いて座っている。横にいる老婦人はおそらく、裕子ちゃんのお母さんだろう。遊びにいくといつも優しく迎えてくれたから覚えている。私は何度か彼女の横顔を盗み見た。色白で、頬がふっくらしていて、顔にいくつかほくろがある。たぶん、裕子ちゃんだ。
近所に住む裕子ちゃんとは、小学生のときよく遊んでいた。家に遊びに行って人形遊びをし、小さな沢のある竹林で水遊びをしたものだ。懐かしい。
――こっちを向かないかな?
気づいてほしくて、何度も視線をやった。しかし、彼女は真っ直ぐ前を向いたままだった。
車内には抑揚のないアナウンスと騒々しいエンジン音の他、何も聞こえない。
「ねぇ、裕子ちゃん、だよね?」
懐かしさが、車内の静寂を破らせる。
近所に同い年の子供は少なかった。だから小学生の頃、数少ない近所の子供である裕子ちゃんとはよく一緒に遊んでいたのに、中学で疎遠になってしまった。クラスが違ったから、部活が違ったから、お互いに別の友達と仲良くなったから、理由はいくらでも思いつく。
疎遠になった中学以降、裕子ちゃんのことを気にかけたことはなかった。高校さえ、どこに進学したのか知らない。しかし同じ行き先のバスに乗っているということは、彼女は今もあの家に住んでいるということなのだろう。
子供を抱えて。
疎遠になった旧友に対する気安さとぎこちなさが入り交じり、妙に明るい声が出た。
「久しぶり。覚えてる? 私、小学生のときよく一緒に遊んだ――」
彼女の視線が、こちらに向く。
その瞬間、ぞく、と背筋が冷えた。
なぜだろう、子供を抱く裕子ちゃんの白い顔が、私の顔そっくりに見えたのだ。にこりと笑う彼女に、もう一度、
「裕子ちゃん、だよね」
「違うよ」
色味のない唇がはっきり否定する。
嘘だ。私はそんなベージュの口紅、塗らない。もっと強い紅しか引かない。
花柄のブラウスじゃなくて、白いTシャツの方が楽だし、日傘なんて邪魔になるだけだ。
子供もいない。
そうだ、田舎を嫌い、夢を追いかけて故郷を飛び出した私が、ここで幸せそうに家族と暮らしているはずがない。
それなのに、彼女は言う。
「私は、あなただよ――」
『お降りの方、いらっしゃいませんか?』
アナウンスの声に、目を開けた。
バスは降りるべきバス停の一つ前まで来ていた。左隣の席に座っていた女性が、子供を抱き、老婦人を支えながらバスを降りていく。
あのふっくらした頬はやっぱり裕子ちゃんだと思うのだけど、さっきまでの出来事は一体どこからどこまでが夢だったのか、定かでない。
裕子ちゃんと疎遠になった一番の理由は、おそらく性格の違いだった。委員を率先してやりたがる自己主張の強い私とは反対に、裕子ちゃんはおとなしい女の子だった。年齢を重ね、行動範囲が広がる中で私は私に似た子、裕子ちゃんは裕子ちゃんに似た子と仲良くなっていった。そしてお互いに自分のポジションのようなものを確立していたのだと思う。
最後に裕子ちゃんのお母さんに会ったとき、彼女は私に優等生ね、と言った。裕子は人見知りでおとなしいから、見習わせなきゃね、と。
そんな自分が誇らしかった。裕子ちゃんより優れていると思った。だから、自信を持って故郷を出た。
だけど今、私は一瞬裕子ちゃんに憧れた。
携帯電話のバイブが鳴った。母からのメールだ。
「バスに乗った? 早く帰っておいで」
にこりと笑う絵文字のついた他意のないメッセージに、胸がキリキリ痛んだ。バスは焦れったいほどゆっくり進む。あともう少しで最寄りのバス停なのに、最後の最後で信号に引っ掛かる。
左側の二人掛けの席にはもう誰も座っていない。
子供を抱いて幸せそうに微笑むパラレルワールドの私を、早く振り払わせて。勢いよく「止まります」のボタンを押して、麦わら帽子をかぶった。
「もうすぐ着くよ」
と短く返して、整理券を握りしめる。
がんばるって決めたんだから、後悔しない。
バスを降りたら振り返らないと決めて、停車したバスのステップをリズムよく駆け下りた。
蒸し焼きになりそうな暑さがからだに戻ってくる。
バス停に迎えに来る、母の姿が見えた。
***
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