【公務員の娘の「安定」脱出記】夢追うアーティストと結婚する娘の行く先は…
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記事:クロキエイコ(ライティング・ゼミ)
「今日のところはお帰りください」
実家に初めて恋人を連れて行った日。
それまでの両親の作り笑いも、「結婚」の一言が出た途端、完全に凍りついた。
無理もない。
当時の彼は、アルバイトをしながらバンド活動をしている人だった。
夢追うアーティスト。世間的には「フリーター」。
父親は公務員、専業主婦の母親も元々は学校の先生だ。
一人娘が、音楽活動中のフリーターと付き合うどころか、結婚だなんて。
そんな者のために、私立の中高一貫校に行かせ、いい大学に入学させたわけではない。
それまで娘の前に築き上げてきた「安定」という道が、音を立ててガラガラと崩れ落ちる……。
あの日の両親は、そんな感覚を覚えたに違いない。
その日の夕飯は「ほっかほか弁当」で買ってきたお弁当。
大げさではなく、これは前代未聞の大事件だった。
母は、よっぽどの理由がない限り、外で買ってきた食べ物を食卓に並べるようなことなど、ほとんどなかったのだ。
暗く、寂しい、悲しい食卓。
静けさの中に、両親の心の泣き声が、おーんおーんと鳴り響いているようだった……。
頭のおカタイ両親への、ちょっとした反抗心だったのかもしれない。
もちろん、彼と家族になりたいという思いがあったのは大前提として、だ。
私は、無意識のうちに、親に敷かれたレールの上を歩き続けてきた。
周りの友達が受験勉強を始めたから、なんとなく中学受験。
それなりの私立の中高一貫校に入学。
高校進学と同時に、当たり前のように大学受験に向けて塾通いの日々。
おそらく両親の思惑通り、世の中的に「いい」とされる大学に合格。
何の疑問も持たなかった。
「だって、友達もやってるし、それが当たり前でしょ?」とばかりに。
でも、大学受験が終わり、親の子育てがある程度ゴールに近づいた途端、何かが違うと感じ始めてしまった。
親戚や知人に「娘が◯◯大学に合格しまして……」と嬉しそうに報告する両親。
大学名の何がすごい……? そんなところが、私の自慢できるところか……?
誇らしいどころか、みじめな気持ちになった。
入学すれば、「オレ◯◯大学だから」と鼻高々に話す同じ大学の人たち。
就職活動が始まれば「◯◯会社に内定もらいました!」と誇らしげに話す友人たち。
それを聞いて「◯◯会社!? すごいね!」と声をかける先輩たち。
その肩書きの、何が素晴らしい……?
なぜ、何の疑問もなく、同じような真っ黒いスーツに身を包んでいられるのだ。
個性も何もない服で、自分をどう出して生きていけばいいというのだ。
就職活動に馴染めない。
そんな自分がおかしいのだろうか……。
就職先の決まらない自分には焦っていた。
でも、今まで「安定」に向かって用意されてきた道を歩いてきたのだ。
その道を脱する勇気もなければ、知恵も湧かなかった。
私の生き方は、間違っていたのだろうか……。
そんな私の前に現れたのが、ミュージシャンの彼だった。
結局、就職活動をやめた私は、大学在学中にアルバイトをしていたIT系のベンチャー企業に正社員として登用された。そこにアルバイトに来ていたのが彼だ。大好きな音楽と向き合って生きていた。いい年して、お金には少し困っているようだったけれど、貧乏臭さはまるでないのは、音楽と同じくらい美味しいものを食べることが好きで、本当に食べたいもののための消費にはケチケチしないせいだったのだろうか。
風貌も見るからに変わっていたから「変な人」と思いながらも、私は彼の口から飛び出す知らない世界の話を面白がって聞いた。極貧時代に納豆さえ食べていれば健康だろうと食べまくっていたら、納豆嫌いになってしまった話。イタリアンレストランで修行を始めたものの、やっぱり音楽を続けたくてオーナーと大喧嘩して、当月分の給料ももらわずに飛び出してきた話。その他、あらゆる場所での仕事の話や音楽活動の話を聞かせてくれた。
そんな生き方があったのか……!
「安定」とは真逆の生き方に、なんだか妙にワクワクしたのを覚えている。
彼と無事に結婚した私は、それから少しずつ親の用意してきた「安定」に向かう道を外れてきた。
会社員という生き方は辞め、自分の名前で生きて行く道を試行錯誤している。
20年以上も体に染み付いた「安定」という考え方が、邪魔をしてくることも多々あるのだが……。
これが正しいかなんてわからないけれど、この生き方はなかなか好きだ。
そして、彼はあれから8年経った今でも、夢追うアーティストだ。
ただ、音楽ではなく、以前から得意としてきたイラストや映像制作を商売道具にしている。
彼がミュージシャンからイラストレーターに転向すると決めた時、私の前で「そういうのを器用貧乏っていうのよ」と言い放った母も、今では彼の活躍ぶりを見て「すごいわね」と言ってくれる。
それでも「安定」の考えが邪魔するのか、どこか彼のことを心から受け入れられない様子があるのが、ずっと悲しかった。「娘が幸せに暮らしているのが、親にとっての幸せよ」と、知人は慰めてくれるけれど、そんなに甘くないようだ。
両親に、大好きな人を認めてもらいたい。
あぁそうか。だからか。
ここ最近、彼がアーティストとしてより羽ばたくためには、どうしたらいいのか……ということをずっと考えていた。
その理由には、彼を応援する気持ちだけでなく、両親に認めてもらいたい思いがあるからなのだと、書いていて気が付いた。
残念ながら「安定」は諦めていただかなければならなさそうだけれど、彼が立派な「肩書き」を持ったアーティストとして活躍する姿を見たら、心から認めてくれるようになるかもしれない。
肩書きに踊らされるのは大嫌いだったのに、自分のこんな発想に笑ってしまう。
でも、こんな発想に至ったのも、ちょっぴりおカタイ頭を持った両親の元で育ったおかげだし、そもそも自由に夢追う彼に惹かれることなどなかったと思う。
彼らの元に生まれた運命を恨んだ時もあったけれど……今はありがとうと言いたい!
心から彼のことを「すごいね!」と言いたくなってしまう日が来るまで、もう少し待っていてね。お父さん、お母さん。
***
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