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緊急入院をして30代の私が学んだこと


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記事:迫 真由美(ライティング・ゼミ)

気付いたらそこは知らない天井だった。
なんて何かの物語みたいだけど、実際そうだった。

週末に出張と諸々の仕事を終えて一息ついたら、体に力が入らなくなっていた。
「ヤバイな、疲れが取れない」
と、思ったか思わなかったかそんな折、家で立ち上がることが出来なくなった。手足の震えと鼻血が止まらない。
家族に連れられ近所のかかりつけの病院に行ったら
「紹介状書くね」
と言われ、街の大きな総合病院に向かったら即入院だった。

すぐに車椅子に乗せられ検査室をたらい回しにされた。
超音波、次はエコー、次はCTと移動している間に、意識がだんだんと遠のいていくのがわかった。腕を上げさせられたり、服を着替えさせられたりまな板の上の鯉状態。最後の検査を終える頃にはもうどうにでもしてくれと自暴自棄な気持ちさえ生まれていた。

部屋に戻ると、やっとベットで寝ることを許された。検査で疲労困憊な体はもう腕すらも上がらないほどで、ベットに体が沈んだ瞬間幸せすぎてため息が出た。
「寝たい。とにかくぐっすり」
そう思ったのもつかの間、若い看護師が
「点滴打ちますね」
と部屋のカーテンを開けた。もうどうにでもしてくれという気分だったので、お願いしますと一声かけ、目をつぶった。すぐに睡魔が襲ってきたのだが、腕の激痛ですぐに目がさめる。
「あ、すいません……どうしよう」
若い看護師は私の左手に2箇所点滴の針を刺して、入らず困っていた。右手はすでに刺せるところがないようだ。
ふと看護師の名札をみたら若葉マークが付いていた。新人の看護師はあたふたとし、他の看護師を呼びに行った。
2人で戻ってきた看護師も若葉マークが付いており、私は不安がぬぐい去れなかった。二人でああでもないこうでもないと私の腕を叩きながら血管を捜す。もう叩きすぎて腕が赤くなってきた頃に
「あんたらなんしてんの?」
と先輩看護師が現れると救世主でも見つけたかのように2人の看護師は先輩に点滴の針を渡した。助けてほしいのはこちらの方だ。
その後30分ほど、先輩も格闘しようやく点滴が付いた頃には、私の腕には右腕3箇所、左腕1箇所の点滴ミス絆創膏が付いていた。
あーもうなんでもいいから寝かせてくれ。

その後、泥のように寝た。久しぶりにじっくり寝て、体がだいぶ軽くなって頭もスッキリすると、いろんなことが心配になった。家のこと、家族のこと、終わっていない仕事のこと、返事をすると言って連絡してない友達、約束していたのに行けなかった飲み会のこと。
不安が3週ぐらいリフレインした時、家族が見舞いにやってきて2日間ずっと寝ていたことを教えてくれた。
全然起きないこと、白くなる一方の顔色、包帯だらけの腕(これは不可抗力だが)、関係各所に連絡し謝り倒してくれたこと、そして本当に本当に心配をかけた。
「まあ、顔色もよくなったし、ゆっくり休むしかないわな」
ひとしきり自分の体を大切にしないことへの苦言を受け入れた。体の動かない自分よりそれを見ている家族の方がなおのこと辛かっただろうと察すると本当に申し訳ない。自分の身体と生活を改めなければと反省した。
家族には悪いが、今はゆったりと過ごすしかない。
私は病院生活を規律正しく務めることにした。それがひとまず健康への第一歩だからだ。

病院の朝は、太陽の光で目覚める。大きな窓にかけられたカーテンがじわじわと朝日に染められて、部屋はオレンジ色に染まる。だんだんと日が昇ると太陽の温かみを感じる。今までも日の出を見ることがあったがそれは夜との地続きの日の出。太陽が新しい日の始まりを告げる晴れやかさを初めて感じた。

点滴生活も早3日目。
同室の入院患者が、一人また一人と退院して行った。
どの部屋も入院患者の入れ替わりが激しい。
病棟の食堂には多くの高齢の患者がおり、やれ何々の数値が下がらないだの
検査結果がどうだったかだの、自分の病状自慢に花を咲かせていた。
この階はあまり病状の重い患者はいないようだった。

そんな食堂の賑わいをよそに、私はここにきて3日間絶食生活だった。
常に点滴に繋がれ、お腹がすくという感覚ももうなくなってはいたが、
賑やかな食堂の様子に入院後初めての食事が何よりも楽しみになっていた。
なので、今日の昼から食事が開始されると聞いて前日眠れなかった。
そんな私の最初のご飯は、柔らかく炊いた粥と薄いあんかけのかかった揚げ豆腐だった。
ビジュアル的にはちっとも華はないが、出汁の匂いに喉がなる。そっと口に入れると、粥の中に少し残ったご飯の甘みがふわっと口の中に広がった。
「あー日本人万歳! 健康最高」
勝ち取ったような誇らしい気持ちになった。
間違いない。この米が血となり肉となり体に染み渡り私は絶対元気になる。そう確信した。

おかゆをかき込む私の隣で入院患者が「マズイ」と大声をあげた。
その声にびくっと体を揺らしたのに気付いたのか、さっとカーテンを開けて顔を出した女の子は、悪びれる様子もなくニコリと笑った。
「声でかくてすいません。あ、だいぶ良くなったみたいですね。顔色よくなってる」

始めは敬語だったが、そのあとはマシンガンのように話し始めた。
私が入院してきた時、あまりにもぐったりしていたので心配していたが、点滴の騒動が始まって笑いをこらえるのに必死だったこと。
「だって、看護士さんあせりまくって私のベットにばんばんケツ当たってたからね。地震かと思ったもん」
そのあとも自分がお腹の病気で入院していること、初めて受けた大腸カメラでお尻にカメラをいれられるのがいかに恥ずかしかったか、話は尽きない。
聞くと少し男勝りでバレーが大好きな女子高生は、入院して1ヶ月らしい。
同年代の患者もおらず、本を読むことにも飽きて
お菓子の紙で鶴を折ったりと、暇を持て余していたみたいだった。

その日から、隣の女子高生が入院生活の心得を色々と教えてくれた。
お風呂はどの時間に予約するといいか、どの看護師が一番点滴がうまいか、何よりも朝はカーテンを開けて1日太陽の光を浴びて過ごすことの大切さを教えてくれた。
日の光を浴びて1日過ごすことで少しずつ元気になっていく自分がいた。
「あたし、ここの主やけん。なんでも聞いて」
と、女子高生は笑いながら言った。彼女のベットの壁には折り鶴や友達が病院に来た時の写真や手紙が貼ってあった。

5日目ぐらいになると、病院の薄味のご飯が少し物足りなくなった。
女子高生はご飯のたびに「マズイ」を連発し、10錠以上ある薬を毎食水で流し込んでいた。薬の影響でお腹は空くのか、毎日コンビニに外出してはお菓子やパンを食べていた。彼女の主治医もそれは許していた。彼女は外出するたびに飴やチョコレートなどの差し入れを私の枕元に置いた。
わたしは、点滴は相変わらず取れないので外出は出来なかったが、病院内を散歩できるようにはなったので気晴らしと体力の低下防止に病院内をくまなく散歩するようになった。
女子高生が
「いつもワンワンって聞こえるからたぶん犬飼ってんじゃないかな? って思ってる病室があるから行ってみて」
と言われ前を通ったら痰を吐いているおじいちゃんの声だったこともあった。
そんな些細なことで笑いあううちに1日が過ぎていった。

ようやく退院許可が出たのは一週間ほど仕事を休んだ土曜日だった。前日から医師がなんども健康状態をチェックしに来ては、
「これからは無理な生活を改めるように」
となんども釘を打った。入院後も食事は野菜や肉を中心に和食にして、一週間は仕事をしてはいけないと言われた。家族にも無理はさせないように何度も言った。
「言ってもゆうこと聞かないんですよね」
と、家族は苦笑い交じりに言い私を見た。
病室にこっそり仕事を持ち込み、夜中に作業をしているのがバレていた矢先のことだったので、なんとも言えなかった。反省している顔をするほかない。
今までは、自分の身体のことは自分が一番わかっているつもりだった。だが、年齢を重ねるにつれ昔のように働けなくなり、セーブしなければいけないことはわかっていてもまだ大丈夫だろうと思っている気持ちと、悲鳴をあげる体とのギャップがもどかしくてたまらなかった。
家族はそんな私に
「反省はしなくていい。ただ今回迷惑をかけた人の顔は忘れないで」
といった。何よりも心にしみるお灸だ。

隣の女子高生はというと、私の退院前夜からずっと機嫌が悪かった。私に友達の写真を見せてはその友達が可愛くないだの、ムカつくだの言っていた。
ひとしきり文句を言い終わると
「ダサくない? この格好。みんななんでこんなの着てかっこいいと思ってるのかわかんない」
と応援団の衣装に身をまとって元気に映る同級生たちの写真を見せた。
「明日体育祭なんだけど、こんな格好したくなかったら行けなくてよかった」
女子高生は退院が決まっていたが、週明けの月曜日予定になっていた。
土曜日に開催される高校最後の体育祭は参加できない。
「なんか、行きたくなってきたから文句言ってんの。
文句言って自分を納得させてんの。まじ、あたしキモいよね」
そう言ってずっと、SNSにアップされた友人の写真を見ていた。
私は自分の退院準備はやめ、ずっと彼女の話を消灯時間まで聞いた。

次の日、入院期間中ずっと続いていた点滴が外れた。右腕の大きな内出血も色が薄くなっていた。晴れて自由の身になった私は思い切り腕を回した。
あとは体に少しけだるさが残る程に元気になっていた。
隣のベットのカーテンは、この日開くことはなかった。
昼には家族が来て退院準備を進めた。着替えや歯ブラシを手際よく詰めてもらう。お菓子の包み紙で作った折り鶴も丁寧にしまった。
お見舞いでもらったお菓子を手に、私は隣のカーテンをゆっくり開けた。
女子高生は起きていて、ずっと携帯でSNSをみていたようだった。
「これあげるよ」
お菓子を渡すとありがとうも言わずに受け取った。
一通り同じ部屋の患者さんに挨拶を済ませて出ようとしたら、カーテン越しに女子高生が「元気でね」と言った。

一週間ぶりに出た外は夏の気候からすっかり秋になっていた。
風が気持ちよくて、思いっきり背伸びする。
「あー、マックの月見バーガー食べたいな」
と私がいうと
「おまえ、ぜんぜん反省してないな」
と家族が言った。

 

 

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2016-09-15 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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