もしかしたら世界は勘違いでできているのかもしれない
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記事:つん(ライティング・ゼミ)
今日も、彼が歩いているであろう時間のバスに乗った。
毎朝、中学校へ通うバスの窓から見える、あの人。今日は雨が降っているから、バスの出発する時間が少しばかり遅れた。なぜだか、気持ばかりが焦る。名前も知らない、別の学校の人。でも、なぜかわたしはその人に、惹かれていたのだった。
「あ」
コンビニの角を過ぎて、信号を2つ行った学習塾の前あたりに、今日もその背中を見つけた。
白いシャツにネクタイをゆるりと締めて。少し伸びた襟足をくしゃっと手で触りながら、けだるそうに歩いている。
その人が、バス停で足をとめたのだ。いつもは乗ってこないはずの彼が、今日はバスに乗ろうとしている。わたしは大慌てだった。心臓が、耳元で聞こえるくらいに大きくなっている。ちらりと彼の顔を見て、わたしはさらに驚いてしまった。いつもはきゅっと上がった目じりがゆるみ、別人のように優しく笑いながらこちらを見ていたからだ。それだけでわたしは大きく動揺し、思わずうつむいてしまった。バスのドアが開く。彼がトントンと、階段をのぼる。雨でぬれた髪を指でつまみながら、わたしの席のほうへやってくる。わたしはスカートをきゅっとつかむ。耳まで熱を帯びているわたしに、どうか気づきませんように……。
「おー! 陽二、バス乗ってんならメールしろよなあ」
彼は、わたしのひとつ後ろの席の学生に声をかける。
そうだ。彼はわたしでなく、彼の友達にむかって微笑んでいたのだ。大いなる勘違い。今思うと、なんともはかない初恋だった。恋愛に臆病で足がすくんでばかりのわたしはついに、彼に一言も声をかけられないまま、卒業をむかえたのだった。
思えば昔から思い込みが激しく、物事を信じやすいタイプだと思う。親戚からマッサージが上手といわれてマッサージやさんを本気で目指した時期もあったし、サンタクロースが父だとわかったときは2日間にわたって両親と大ゲンカしてわんわん泣いた。スラムダンクを読んで「桜木花道になりたい」と思ってはじめたバスケは8年続けたし、出産の経験をした母からの話を聞いて、そんな痛くてつらい思いをするなら子どもなんて絶対に産まないと豪語したりもしていた。とにかく意思が強すぎて、思ったことに一直線。これが、なかなかにクセモノなわたしの正体である。
6年前まで、東京の大学に通っていた。お金はないが時間がありあまり、わたしは横浜にある子ども支援センターでボランティアスタッフをしていた。その施設は、なんらかの家庭の事情で家に帰れない子どもであったり、金銭的に暮らしがままならない子どもたちが集う、ケアセンターのような場所だった。わたしはそこで子どもたちと遊びながら、勉強を教えたり、逆に折り紙や最近のはやりのアニメについて、教えてもらったりしていた。通い始めて2ヶ月目。そろそろ施設やそこで働く人々の考え方にも慣れてきた。そんなある日、施設に勤めるベテラン主事のカヨさんが、わたしにぽつりと話した。
「あなたは、幸せをからだいっぱいに表現しているような人ね」
「え、わたしがですか?」
「うん、でもね、それって誰かを傷つけることもある場合があるのよ」
心臓がどきんと鳴る。どういうことだろう。
「詳しく教えてください」
カヨさんはわたしに話してくれた。今ここにいる子どもたちは、家庭になんらかの事情があり、たしかに家には帰ることができない。親とうまくコミュニケーションが取れない子がいるのも事実である。
「でも、この子たちは不幸ではないわ。それは私たちが決めることではないの。みんな幸せになるのよ。だから、わたしはこの子たちと、人間として向き合わなければと思ってる」
カヨさんはわたしに教えてくれたのだ。あなたは、子どもたちをどこかでかわいそう、と思っていないか? と。かわいそうだから一緒にいてあげなきゃという気持ちなのではないか? と。カヨさんの口調は穏やかだったが、わたしの心は大きく揺れ動いた。図星だった。そうだ、わたしはどこかで「わたしは幸せだけど、この子達はかわいそう」と感じていた。そしてその気持ちで接していたことは、まったくもって否定できない。あたたかい家庭があることだけが幸せであるという、勘違い。自分の居場所は家庭だけでなくこんなにもいろんな場所にあるのに、どうしてそれだけで人の幸せを計ることができるだろう。そんなちっぽけで狭い価値観にとらわれているわたしに、カヨさんは気づかせてくれたのだった。
そんな体験を積み重ねながらわたしが大学2年生の秋を迎える頃、曾祖母が他界した。92歳という、大往生だった。曾祖母とわたしは事情があり、血がつながっていない。それでも同じ屋根の下家族として、20年間を生きていた。曾祖母はもともと農家の嫁として嫁ぎ、野菜を町へと売りにいくことを生業としていた。毎日乳母車にたくさんの野菜を積み、町へと徒歩でそれを運ぶ。3キロ近い道を往復しながらの販売のため足腰が丈夫で、心の芯も大変に強い女性であった。しかしそんな曾祖母が、わたしが高校生のときに痴呆症になった。町へ売り出しに行ってから、道がわからず帰ってこれなくなったのだ。それを機として症状の進行は早く、何度も人の名前を繰り返したずねたり、今すませた食事をおいしそうに食べたりと、目に見えて状態が悪化していった。ご近所さんや親戚も心配する中、わたしたちは家族みんなで経過を見守ることしかできなかった。日々の介護や世話に終われる中、家族の疲労もピークをむかえ、なんとなく雰囲気がぴりりとしている。そんな日の夜に、母がお酒を飲みながらこう話した。
「大ばあちゃん、最近ものをたくさん忘れているけど、顔はとっても幸せそうね」
わたしは母をじっと見つめた。
「そうかな? でも忘れてしまうのはやっぱり悲しいよ」
わたしは反論する。
「そうね。悲しい。 でも、つらかった思い出もきっと一緒に忘れていくんだよ。そうやってやさしくなって天国に近づくんだから、幸せなことかもしれないよね」
なぜか、涙がでた。曾祖母が痴呆になったことは、たしかに悲しい。そしてかわいそうだと思う。しかし母が言うように、それはあくまでもわたしの主観であり、当の曾祖母は悲しみやつらさを忘れ、最後を迎えようとしているのかもしれない。やはり、本当の幸せは自分にしか決められないのだ。わたしはまた、勘違いをしていたのだった。
母がその話をしてから、わたしは曾祖母との会話が楽しくなった。忘れていることも、何度でも話せばいいと思った。何度でも新鮮に聞いてくれる曾祖母に、何度でも話そうと思った。それが忘れ去られるとしても。そうやって一緒にいられることが、いとおしいと思った。曾祖母の死は確かに悲しかったけれど、微笑みながら天国にいく姿を見ていたから、なんの後悔もなかった。そしていまも、大切なことに気づかせてくれた曾祖母に、本当に感謝している。
「えー? 13時って約束したじゃん!」
集合時間に遅れてくる友達に怒鳴りながら気がつく。どうやら約束は13時半だったらしい。今日も、わたしは勘違いを炸裂させている。
もしかしたら、世界は勘違いでできているのかもしれない。だからこそ、勘違いに気づいた人に優しくなりたい。そして自分自身の小さくせまい考え方を、もっともっと広げてみたいと思うのである。
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