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デザイン系の学科に進学した私が高校数学を解き続ける理由


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記事:遠藤 誠(ライティング・ゼミ)

 

突然だが、私は運動音痴である。

 

一人っ子だったことを言い訳にすれば、外で野球やサッカーをして遊ぶよりも、部屋で一人で遊ぶことの方が好きだった。

私が通っていた幼稚園では「おそとのじかん」という、外で遊ぶことを強制される不条理な拘束時間が存在したが、園児の中で唯一それを拒否し「テレビのおへや」で

「つくってワクワク」を食い入るように見ていたのは、他でもなく私だった。それくらい、運動が好きじゃなかった。

 

運動会なんてもってのほかである。

 

最近では、みんなで手をつないでゴールすることでみんなが一番になれるという、当時の自分からすればなんともありがたいシステムが存在するらしい。

しかし、私の学校ではそんなことはなく、 運動会の徒競走では良くて真ん中、悪くてビリという散々な結果だった。そのたびに運動音痴がバレてバカにされないだろうかと不安になっていた。

 

克服しようと試みたことはあったが、運動音痴という壁は想像以上に高くて分厚いものだった。運動・スポーツをまるでアレルギーであるかのように拒み続けてきた。そんな生活を送っていたので、運動部に所属している人の気持ちなんてこれっぽっちも分からなかった。

 

例えば野球部。失礼な言い方になるが、夏の暑い日や冬の寒い日にわざわざボールを投げて、打って、走って……あんなもの、何が面白いのかわからなかった。どれだけボールを早く投げることができたとしても、プロになれなければ将来に役立つわけでもないし。そんなふうに思っていた。

 

 

高校に上がっても運動音痴は相変わらず。以前にも増して、インドアな生活を送っていた。インドアというと聞こえはいいが、要は勉強していただけである。

運動とは対照的に、勉強は好きだった。その中でも数学という、いかにも理系臭が漂う教科にハマっていた。

 

代数・組合せ・図形・幾何・整数問題……ジャンル分けをすればかなりの数になるだろうが、その中のどの問題に立ち向かっても、そこには目指すゴールがある。

「A,B,C,の3人でじゃんけんをしたとき、Aが独り勝ちする確率を求めよ」と言われればその確率を求めるのがゴールだし、「素数が無限にあることを証明せよ」と言われればそれを論理的に証明するのがゴールだった。

 

与えられた条件。過去に似た問題を解いたことがあるという経験。たまにどこからともなく降臨する閃き。

 

それらを駆使しながら、問題を解いていく。

式を書きなぐったり、ペンを放り出して腕を組んで考えてみたり、式が進まないときは外を散歩してみたり、散歩の途中でふと解法を閃いたり……

ひたすらに、数学に向き合っている時間が大好きだった。

 

 

 

高校三年の夏、そんな数学が大嫌いになった。

 

 

 

高校三年の夏といえば、大学受験の総本山。この時期は、過去に大学の二次試験で出題された問題をひたすら解いていく、という生活を送っていた。理系の大学への進学を目指していた私は、数学と英語、物理・化学の問題を中心に取り組んでいた。

 

あろうことか、その四教科の中で一番出来が悪かったのは数学だった。

もちろん毎回問題が変わるので難易度に差はあれど、それを考えても数学の点数が思うように伸びなかった。

 

正直、めちゃくちゃ焦っていた。

 

受験本番まであと6か月ほど。でもセンター試験が1月だから、二次試験の勉強をできるのは残り……と、考えずにはいられない。

何度計算してみたところで、試験の日程は変わらない。短い。短すぎる。こんな短期間で、合格圏内に手が届くのだろうか。

 

いやいや、考えたところで仕方ない。とにかく今は勉強するしかない。過去問を解く。ひたすら解いて、解きまくる。

 

そんな中でも、不安要素は常に頭の中をウロウロしている。センター、二次試験、点数、偏差値、第一志望……

まるで、常に銃口を突き付けられている気持ちだった。そんな状態で数学に取り組んだところで、結果がいい方向に向かうことは当然なかった。

 

 

 

結果、第一志望の大学は不合格。第二志望であった大学になんとか拾われ、今の大学生活がスタートした。

第一志望の大学ではないにしろ、希望の建築系の学科での授業は、やっぱり面白かった。ポスターを作成する、図面を描く、模型を作る……高校の勉強では経験しなかったことが満載で、新しい世界に足を踏み入れたようだった。すべてが新鮮で、この世界に入るために今までの勉強があったんだ、と思ったりもした。

 

しかし一方で、趣味のようになぜか数学を解き続けていた。

誰にも頼まれていないのに。

もう解く必要もないのに。

新しい世界云々と思いつつも、まだ高校数学の世界に浸っていた。

高校三年の冬、大嫌いと感じたあの数学と付き合っている。

 

 

大学生活にも慣れたころ、家庭教師のアルバイトを始めた。

生徒は高校2年生の女の子だった。女子バスケ部に入部しており、部活には熱心だがテストの成績はイマイチ。

それを見かねた母親が家庭教師を雇うことを決め、私が派遣された。

 

女の子は、すごく真面目だった。部活で疲れているだろうにもかかわらず、私が家に着く時にはすでにノートを広げていたし、宿題もきっちりやっている。教える側としては、まさに理想の生徒のようだった。

 

授業が終わると、片付けをしながら世間話をするのが習慣だった。ある時、大学の話になったので、大学に入ったら何をしたいか? と尋ねると

 

「んー……やっぱりバスケですかね」

 

と、答えた。じゃあ、将来はバスケの選手になりたいのかと聞くと

 

「いや、経営とかそういうのがいいっす」

 

小学生のクラブ活動からバスケを続けているらしいので、てっきりそういう方面を志望しているのかと思い込んでいただけに、とても意外だった。

 

そして運動音痴な私からすれば、プロとして活躍するのが夢でもないのに、そんなに運動を続ける意味がわからなかった。

恐る恐る、そのことを正直に彼女に伝えると

 

「確かに、バスケ続ける意味は特にないっすけど……まあ、好きなんで。バスケやるの」

 

すごくシンプルな答えだった。

好きだからやる。

理由なんて、それで十分なのかもしれない。

 

私だって、数学を解いてもそれが直接将来の役に立つ保証なんてないし、多分役には立たないと思う。でも、好きだから解いている。

 

大学で学んでいるのは、ただ学ぶのが好きだから。

音楽を聴くのは、その音楽がただ好きだから。

運動をするのは、運動をするのが好きだから。

もっと言えば、生きているのは、今生きているのが好きだから。

 

自分が好きな物事は、その理由を突き詰めれば「好きだから」に集約されてしまうだろう。でも、それで十分なんだと、彼女が教えてくれた。

これじゃ生徒と先生の立場が逆だな、なんて思いながらその日の授業を終えた。

 

友人に誘われて、今度ボルダリングというスポーツに挑戦することになった。運動音痴としてはこの上なく気が重いが、もしかしたら「ボルダリングが好きだから」と言える日が来るかもしれない。

***
この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
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2016-09-21 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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