洪ちゃんの青い線と、父のビニールチューブ
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記事:まみむめ もとこ(ライティング・ゼミ)
「また怒られた」
と泣きながら、彼女は飛び込んできた。
片言の言葉で何をか訴えているが、私にはわからない。
それを聞きながら、父は「そうか、そうか」と慰めている。
父は何を言っているかわかっているようだった。
そこには2人だけのコミュニケーションが成立していた。
これは父が脳梗塞で倒れ、入院した病室での出来事。
父は左半身が不随となり、言葉も注意深く聞かないとわからない。
だから、父とコミュニケーションをとるには集中力が必要だ。
なので、病院で働く人は必要最低限のことしか話さない。
あとは笑ってスルーしていく。
それなのに父と話しをするだけでなく、頼りにしてくれる看護師さんがいるとは!
私は大いにビックリした。
そして嬉しかった。
その後わかったことだが、その看護師さんは“洪さん”と言う。
私たち家族は親しみを「洪ちゃん」と呼んでいた。
父の話しによると、中国からやってきて看護師の免許を取得したが、日本語がうまくないので患者さんの中には「彼女に看護されるのはイヤだ」と言う人が多いらしい。
そして先輩の看護師さんにも、意地悪されているようだ。
だから洪ちゃんはいつも父のところに来ては泣いていた。
泣き虫、洪ちゃんだ。
最初、日本語のうまく話せない洪ちゃんに積極的に話しかけたのは父だった。
おしゃべりが好きな父は、みんなに話しかけるが、言葉を聞き取ろうともされずスルーされてしまう。
でも洪ちゃんは違った。
優しい洪ちゃんは、父の言葉を聞こうと根気強く何度も、何度も聞き返しながら話しをしてくれた。
それから洪ちゃんも、父に泣き言をいうようになった。
お互いやっと、言葉を拾ってくれる相手とめぐりあい、孤独の闇から脱出できたのかも知れない。
父はことあるたびに洪ちゃんを自慢した。
「この子は、難しい試験を受けて看護師になったんだよ。日本に来て、頑張ってくれているんだよ!」と。
洪ちゃんはそんなときは泣いていない。
照れながら「お父さんったら~」と笑っている。
私も洪ちゃんに助けられたことがある。
父は脳梗塞の状態が落ち着くと、また一つ問題が出てきた。
嚥下の力がなくなり胃に穴を開けて、そこから栄養を補給する「胃ろう」にすると、医師に宣告されたのだ。
食べることが大好きな父が、食べられない?
私は「あり得ない」と、医師にすごい剣幕でくってかかった。
「なんとか食べられる道を残してほしい」と訴えたが、その医師は冷たい笑いを浮かべて「そんなことができれば私だってやっていますよ。お父さんは脳梗塞になった場所が悪かった。しかも口から物を入れても、すぐ肺炎になってしまう。これ以上、肺炎を繰り返すと命の保証はありませんよ」と、語気を強めて言ったあと、冷静な口調で「胃ろうにします」と言い残し、そして去った。
横柄な医者の物言いに悔しさが募ると同時に、意見を全く受け入れてもらえず、ただ一方的に胃ろうを決断されてしまった敗北感に、私は待合室で一人泣いていた。
すると洪ちゃんが来て「胃ろうでも栄養がとれればまだまし。それもできない人もいっぱいいる。お父さんは生きている」と、優しく肩をさすってくれた。
私はその言葉に慰められ、洪ちゃんの優しさに救われた。
洪ちゃんは私のことを「お姉さん」と呼んでくれる。
ナースステーションに顔出すと「あ、お姉さん。今日もお父さん、元気ですよ」と笑って話してくれる。
しかし父は別の病院に転院しなければいけなくなった。
ひとつの病院には長くはいさせてはくれない。
別れの日、父は口を真一文字に閉じ無言だった。
その一方で洪ちゃんは、大きな目からポロポロ涙を流していた。
2人に言葉はなかった。
それから父はいろいろな施設を転々し、食道がんも見つかったりしたが、積極的な治療は行わないことにしたため、施設で静かに暮らしていた。
が、いよいよ痛みが全身にまわるようになると、施設では手に負えないと言われ、また洪ちゃんのいた病院に父は戻ってきた。
しかし父も私も、洪ちゃんはもういないと思っていた。
やはり日本の医療現場で、外人が働くのは大変なことなのだから、仕方ないと納得していた。
だからナースステーションの前を通ると、洪ちゃんが元気よく「お父さん!」と飛び出してきたときは、嬉しかった。
父は「おお、まだいたか」と笑って、洪ちゃんの頭をポンポンと叩いていた。
ふっと白衣の腕をみると、青い線がクッキリ一本入っている。
「洪ちゃん、出世したの?」
「はい、お姉さん。主任になりました」
父は満面の笑みで「この子は努力家だから」と、わが子の頑張りを心から喜んでいた。
2回目の入院では、洪ちゃんはいろいろと私たちのことを気にかけてくれた。
父が痛くて騒いでいると「お父さん、痛くないね」と、ことあるごとに病室に立ち寄っては、声をかけてくれる。
父が「お腹がすいた。固形物が食べたい」と騒げば、「これがお父さんの食事ね。口から物を食べるのは無理。でも、これで生きられる。これを食べないと、お父さんは死んじゃうよ。お父さんがいないと家族はみんなサミシイネ。だからわがまま言わない」と、少しうまくなった日本語で、父を諭す
日本人は、こんなダイレクトなことは言わない。
聞く人によっては、誤解さえ受けかねないが、父は反対に、正直な洪ちゃんの言葉こそが、聞きたかったのだ! と言わんばかり、穏やかに頷いていた。
そして洪ちゃんとの過ごした数か月で、ガンの数値もちょっとだけよくなった。
が、日本の病院制度は残酷だ。
少しよくなると、病院を出ていなかければならない。
また別れがきた。
タンカーに乗せられ、運ばれる父の手をしっかり握る洪ちゃん。
やはりそこに言葉はない。
でも洪ちゃんは泣いていない。
父が寒くないように布団をかけなおしたり、枕の位置を整えたり、いろいろと世話を焼いてくれた。
「また会える」なんて言葉は、2人にとっては嘘っぱちだと言うことを、知っているから、なにも話さないまま「さよなら」をした。
父が運ばれたあと、私は病室を片付けていると「ハイ、お姉さん」とビニールに入った透明なチューブを洪ちゃんは渡してくれた。
それは胃と栄養をつなぐビニールの一本のヒモ。
父の命づな。
「え? これは向こうの病院で用意してくれるんじゃないの?」
洪ちゃんは「でも、もしあわなかったら、お父さん、ご飯食べられないから」。
と、差し出すチューブを私は黙って受け取った。
父は結局、転院した夜から容体が悪化し、そのまま息を引き取った。
洪ちゃんから受け取ったチューブは使うことはなかった。
数日後、病院を訪ね父が亡くなったことを報告した。
洪ちゃんと会うのは辛いので、休みだといいなーと思いながら、訪問したナースステーションに、青い一本線の入った白衣を着た彼女がいた。
私の顔を見ると、すぐに飛んできてくれた。
が、2人ともしばらく言葉がない。
すると洪ちゃんが「残念です」とキレイな日本語で話しかけてくれた。
私の負けだ。
目から涙が次から次へと溢れてくる。
それは青い線がにじんで2本に見えぐらい。
そしてその向こうにいる洪ちゃんは、顔をこわばらして思いっきり目に力をいれている。
もう泣き虫、洪ちゃんはそこにはいなかった。
かわりに「主任は泣いてはいけない……」と。
***
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