ブスの語源を知ったら、みんな美人になる。
【10月開講/東京・福岡・全国通信対応】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜《初回振替講座有》
→【東京・福岡・全国通信対応】《平日コース》
記事:青子(ライティング・ゼミ)
一番、言われたくない言葉ってなんだろう。
「大嫌い!」とか?
「最低!」とか?
「気持ち悪い!」も、面と向かって言われたら、かなり傷つくだろう。
そりゃ、私だって人の子だもの。女性だもの。
でも、これら以上にダントツに嫌な言葉がある。
これを言われたら、一撃だ。かなり落ち込むだろうし、数日は家から出たくなくなるだろう。
それは、「ブス!」という一言だ。
こうして活字にすることすら、ためらう。たぶん、生まれて初めてこの言葉をタイピングしたんじゃないか。入力するだけでドキドキする。
幼い頃、周囲にいる大人たちから「汚い言葉を言ってはいけません」と教え込まれたからかもしれないが、私の中では、どんなシチュエーションにおいても、どんな人に対しても決して言ってはいけないNGワードだ。
だからなのか、自分に向けられるのも嫌だけど、誰かが言われているのを聞くのも嫌だ。
テレビのバラエティ番組だったとしても心苦しい。
そのくらい強烈なダメージを与える、このワード。
なのに、この「ブス」という言葉を、自分に向けて発することを止めない女性がいた。
千佳ちゃんと出会ったのは、何年か前のことだ。
確か共通の知り合いから紹介されて会うことになった。
ロングヘアで、顎がきゅっととんがっていて、小さな顔に大きな目が映える。
背もすらっと高く、ゆったりとした服で体のラインを出さないようにしていたが、スタイルがいいのは一目瞭然だった。
年齢を聞くと27歳とのことだった。
27歳というのは、女の人生でもっとも外見が美しい年齢ではないかと私は思っている。
もちろん、10代の弾けるようなエネルギッシュな美も、年齢を重ねていくことで現れるたおやかな美も、素晴らしい。
でも、27歳あたりの女性は、ピンポイントで光を放っているというか、群を抜いて輝いている時期ではなかろうか。
急に肌が艶やかに見えたり、なんともいえない女っぽさが出てきたり。
自分をどう見せたらいいかも分かってきて、化粧もうまくなっているし、きっと内面と外面の充実ぶりが合わさってくる頃である。
「なんか、あの子、急にきれいになったね」と言われる年齢、それが27歳だと思う。
千佳ちゃんは、もともと顔立ちもスタイルも良く、お肌もつやつやだ。
そして、まさに今、黄金の27歳を迎えている。
さぞ、楽しい充実した毎日を送っているのだろうと思いきや、第一印象からして、暗雲のオーラに包まれている。
とにかく暗い印象で、どこか寂し気で自信がなさそうだった。
そして、こう言った。
「私、この通り、ブスなんで……」
びっくりした。出会って間もない人間を前に、ここまで自虐的にならなくてもいいだろうに。
「自分の外見が悪いから、恋愛にも縁がないし、同性にも嫌われているんじゃないかってびくびくしちゃうんです。だから人と会うことが怖くて、緊張します」
確かに目も合わず、表情も硬く、私との会話にも緊張しているようだった。
地味な色合いの洋服を選んでいるのも、出来るだけ目立たないようにという気持ちの表れかもしれなかった。
でも、そのおどおどした感じや、地味な服装をもってしても、隠しきれのない器量の良さが見て取れる。
よくテレビドラマで、美人の女優さんが役作りのためにヘンテコなメイクやファッションをして、冴えない役を演じているのと一緒だ。どんなに変装していたって、美人だということは隠せない。
むしろそのギャップで、もっと堂々として華やかに装ったら、どれだけ綺麗なんだろうと想像を掻き立てられる。
最初は、彼女なりの謙遜かなと思っていた。
まさかこんなにきれいな顔立ちなのに、自分で気づかないことはないだろう。
しかし、その後もまるで何かの役職でも告げるように、「私はブスなんです」と繰り返すのだ。
謙遜だとしたら、逆に嫌味に感じるほどだ。
しかし、千佳ちゃんはどうやら本気で自分のことをブスだと思い込んでいるようだった。
そして、恋愛や仕事など、人生全般がうまくいかないことを、「ブス」のせいにした。
「私がもう少し美人だったら、きっと人生は変わっていたと思うんです」
彼女はそう私に訴えた。
確かに、外見の評価というのは、自分がどう思うかで決まるわけだから、周りがとやかく言うことではない。
私がどんなにキレイだと認めても、彼女が自分をブスだと思うなら「ブス」なんだろう。
いや、しかし。それにしても、この目の前の女性は、見た目と自己評価にギャップがありすぎる。
美人は、美人として振舞ってもらわないと、なんだかこっちも調子が狂う。
思わず、私はこう言った。
「そんなにきれいなのに、自分のことをなぜそんなに卑下するの? 千佳ちゃん、本当に素敵よ。もてるでしょう?」
励ましとか、おべんちゃらとかでなく、本心から出た言葉だった。
「私は、自分がきれいだなんて一度も思ったことがないです。この姿で外を歩くことが嫌だなっていつも思ってきました。男の人から誘われても、私なんかに声をかけてくるってことは利用しようとしているのかな、とかって思っちゃうんです。それに……」
彼女は、だんだん私の目をしっかりと見て話すようになった。
本気で悩んでいることを私に伝えようとしてくれているのが分かった。
「物心ついたときから、いつも母から言われてきました。
千佳は醜いって……」
このことを聞いて、私はちょっと謎が解けた気がした。
「お母さんから容姿について、今までいろいろ言われてきたの?」
「そうです。母は若いころ、女優にスカウトされるほど美人で、子供の私から見ても美しい、自慢の母でした。その母から常に、千佳が私の子供だなんて信じられない、ブスだから何を着せても似合わなくて困る。そう言われ続けてきました」
千佳ちゃんは幼少期からずっとお母さんにブスだと言われ続けてきたために、自分の容姿は醜いと思い込んでいたのだ。
周りからどんなに褒めてもらっても、その賛辞を素直に受け取ることなんて出来ないくらいに、その思い込みは強固だったのだろう。
幼い頃から与え続けられる母の言葉というのは、ここまで強い影響力を持つのかと私も愕然とした。
一回り以上も年上の私は、女性の27歳がいかに輝ける年齢であるかを知っているし、一度過ぎたら決して戻ることのない時間だということも身に染みて分かっている。
今この貴重な瞬間を大切にしてほしい。こんな自己評価の低さの中で生きてほしくない、千佳ちゃんは、どうしたら自分の美しさに気づくことができるのだろう、と老婆心がむくむくと湧き上がってきた。
とはいえ、何をしてあげたらいいのか、皆目見当もつかない。
とりあえず、彼女の話をずっと聞いているだけだ。
「ブスだから、彼ができない」
「ブスだから、嫌われる」
「ブスだから、うまくいかない」
そんな話を聞いているうちに、疑問が湧いた。
そもそも、「ブス」ってなんなの? いったい何に千佳ちゃんは苦しんでいるの?
私は、その場で「ブス」の語源を調べることにした。
「千佳ちゃん、ブスっていうのはね、漢字で『附子』と書き、トリカブトの塊根を意味するらしいのよ。トリカブトの根は、鎮痛剤や強心剤として漢方薬にもなるものだけど、猛毒となるアルカロイドという物質が含まれているから、誤って口に含むと神経系の機能が麻痺し無表情になってしまうんだって。
その無表情を『附子』というようになった。これがブスの語源だそうよ」
千佳ちゃんは、表情ひとつ変えないで私が読み上げている内容を聞いていたが、何かひっかかるものがあったようだった。
「……ということは、ブスというのは、顔のもともとの作りではなくて、毒薬で神経が麻痺して、無表情になっている状態のことを言っていたのですね」
そう言うと、ちょっと考え込むように下のほうに目をやった。
「そうだね。
千佳ちゃんは、自分のことをブスだと思い込んでいるかもしれないけど、私はお世辞抜きで、とてもきれいだと思う。
でも人ってね、もともとの顔の作りより、表情を見ているものじゃないかと私は思うのよ。
自信がなくて、表情が暗く固まったままの表情よりも、満面の笑みを向けられた方が嬉しいもんね。
だから、ブスがそんなに嫌だと思うなら、その分だけ笑っていたほうがいいんじゃないかって思うよ」
おせっかいだと思ったけれど、私はこの目の前の女性の自然にこぼれる笑顔が見たくて、自信を持ってもらいたくて、無我夢中でそう話した。
しかし、彼女は明確な返事もせず、表情も変えずに、淡々としていた。
果たして、伝わったのかどうかもわからないままに、その日は別れた。
なんだか出過ぎたことを言ってしまったのかもしれない、と私は少し後悔していた。
しかし、この「ブスの語源」のやりとりが彼女の何かを変えたようだった。
それから何度か会う機会があったのだが、そのたびに彼女は見違えるほどきれいになっていった。明るい色の洋服を着るようになり、姿勢も声も堂々としてきて、表情も明るくなっていったのだ。
あぁ、やっぱり。
きちんとお化粧をして華やかな服装をした彼女は、ハッとするほどの美人だった。
「千佳ちゃん、最近、急にきれいになったね」
私がそう話しかけると、千佳ちゃんはただニコッと小さく微笑んだだけだった。
次に会ったときは、付き合いはじめたばかりだという彼と一緒だった。
千佳ちゃんはとても幸せそうだった。
その表情は優しく、自信に溢れていた。
あの日から彼女には会っていないけれど、きっと今も自信に満ち溢れた千佳ちゃんでいるだろう。自分の美しさに気づけたのだから。
自信なんて、きっと根拠がなくていいのだ。
過去にどんなに辛酸をなめてきたとしても、幼いころから積みあがってきた思い込みがあっても、細胞はどんどん入れ替わっているわけだし、再生していく。
過去からの連なりの自分ではなく、今日の一番新しい自分だけに焦点を当てればよいのかもしれない。
何かのインタビューで秋元康さんがこう言っていた。
「センターになる子は、必ず根拠のない自信を持っている」
なりたい自分になれる力が私にはある、と信じられるかどうか。
根拠のない自信とは、それだけのことなのかもしれないが、その信じる力が明暗を分ける。
恐ろしくシンプルだけど強力な法則を、千佳ちゃんから教えてもらった。
***
この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、店主三浦のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。
【10月開講/東京・福岡・全国通信対応】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜《初回振替講座有》
→【東京・福岡・全国通信対応】《平日コース》
【天狼院書店へのお問い合わせ】
TEL:03-6914-3618
【天狼院公式Facebookページ】 天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。
【天狼院のメルマガのご登録はこちらから】
【有料メルマガのご登録はこちらから】