昭和歌謡と新聞をめくり続ける男
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記事:西部直樹(ライティング・ゼミ)
「いつまでたっても若いねえ」
「誰が?!」
「山本リンダが!」
「えっ、山本寛斎? 歌は、歌ってないでしょ?」
「だから、山本リンダ、今聞こえているウラウラの……」
僕たちが入った喫茶店は、古い歌謡曲が大音量で流れていた。
レコードから流れてくる歌声は、向かいに座った妻と顔を近づけないと聞こえないほどの大きさだった。
ある文化事業の一環として、この昭和レトロな喫茶店で、外国人DJによる「昭和歌謡祭」なるものが催されたのだ。
レトロな年代の夫婦は、いそいそと出かけてきたという次第だ。
けれど、外国人の若いDJが選ぶ「昭和歌謡」は、ユニークすぎた。
5曲に1曲しか知っている曲がなかった。
それ以外は、DJのノリで集められたのか、中古レコード店の片隅にあったのか、あるいは、B面なのか、知らないものばかりだった。
流れる音楽を楽しむことができなかった。
喫茶店の食事がそこそこに美味しかったのが、せめての救いだった。
しかし、騒音にしか聞こえない歌謡曲と上滑りのDJの叫び声ばかりで、僕たちは世間話すらできなかった。
僕は、ぼんやりと店内を眺めていた。
妻は、スマホをいじりはじめた。
この昭和歌謡祭の一角以外は、普通の喫茶店として営業をしている。
広い喫茶店なのだ。
いつもの喫茶店と思って入ってきた人は、大音響に一様に驚き、店員に確認をとる。「何をしているの?」と。
興味を示した人は、歌謡祭の一角を覗き、興味ない人は、できるだけ離れた席に座り、コーヒーを飲み始める。
そこに一人の男性がやってきた。
背は高く、黒縁の眼鏡をかけている。ごく普通のワイシャツにノーネクタイ、大きめのショルダーバッグを持っている。なんだか、動きがせわしない。
彼は、店内の喧噪を全く気にすることなく、
彼は、まず入り口横にある新聞ラックから、新聞を取り出しはじめた。前の客が乱雑にたたんだ新聞をたたみ直し、一般紙からスポーツ紙まで、その全てを抱えた。
新聞ラックは空になっていた。
彼は新聞の束を抱えると、店員の案内を待つことなく、席に着く。そしてテーブルに新聞を積み重ねておいたのだ。
私の席からは、彼の後ろ姿が見える。
慌てて追いかけてきた店員に注文を出すと、彼は新聞の塔の一番上の新聞を手にした。
素早い動きで、いや必要以上に力んだ動きで、新聞を広げた。
新聞を広げる時の様は、「パラリ」でも「はらり」でも「さっと」でも、「ざっと」でもなく「バッッッッ!」である。
左手で新聞の端を持ち、右手はおおきく振り抜くように、新聞をめくる。
振り抜いた右手は、勢いのままに上に振り上げられる。
彼は、右手の無駄な動きを気にすることなく、食い入るように新聞紙面をみている。
読んでいるのか? 見ているのか?
彼の右手は、また素早く振り上がる。
次々とページはめくられる。
おっと、右手が止まった。
ページをじっくりと読んでいるようだ。
何を読んでいるのだろう。
とても気になる。
妻が、「あ、この曲は、なんだっけ?」
と聞いてくる。
彼女は、新聞めくり男(勝手に命名した)に背を向けている。
彼の華麗な右手の振り抜きが見られないのは、残念なことだ。
「え、この曲? ああと、なんだかなあ」
その曲名は喉元まできているのだけれど、舌には届かない。
もどかしい。
大音量の歌を聴きながら、視線を落として考え込んだ。
ああ、わからない。
曲が変わってしまった。
次の曲はレトロだけれど、まったく知らない曲だ。
やれやれ。
顔を上げると、新聞めくり男の後ろ姿が見える。
あ、ひとつの新聞が終わったようだ。
隣のテーブルに、折りたたんだ新聞を重ねている。
おお、もうそんなに読んだのか。
私が、あの曲を思い出せなくて、悩んでいる間に……。
お、彼の右手が振り抜かれる、高々と上がる。
また、右手が……
今度は、じっくりと読み出した。
バッグからないやら取り出しているぞ。
何をしているのだろう。
聞き慣れぬ昭和歌謡より、よほど彼が気になる。
トイレに行く振りをして、何を読んでいるのかをみてみよう。
僕は席を立ち、店の奥にある手洗いに向かう。
途中、彼の脇を通る時、ちらりと見てみた。
開かれた新聞の紙面はわからなかった。
彼がスマートフォンの画面と新聞を見比べ、何かをしていたから。
メモをしていたのだろうか。
喫茶店の新聞なので、切り抜くわけにはいかない。
だったら、写メをとればいいような気もするのだが……。
謎だった。
彼は、なぜ、それほどまでに新聞を読むのだろう。
席に戻り、彼の後ろ姿を見ながら、ひとつの可能性に行き当たる。
彼は何か、日々の情報を収集する、しなければいけない職にあるのかもしれない。
ネットの情報だけでは足りないのかも。
なにかのトレーダーなのか?
あ、ひとつ読み終えて、次を読み出した。
スポーツ新聞だ。
例えば、
○○グループが新曲を出す。
これは握手権付きだから、かなりの枚数が期待できる。
ベテランも出すのか。
話題の映画の主題歌は、人気の○○か。
CDがある程度これから売れるようだ。
CDの原材料関係、樹脂系の需要が少し上向くかな。
とかなんとか、世の中のトレンドを捉まえ、次の手を考えているのだろうか。
あるいは、何か忙しなく、無駄に目立つような動作をするにもかかわらず、
彼はある種の諜報員なのかもしれない。
ネットを介しての情報のやり取りは危険だ。
諜報関係の連絡は、暗号化されている。
キーは、新聞だ。
例えば、
h・14・2・m・3
となったら、
報知新聞14版2面見出しの3文字目、とか。
もちろんこんなに簡単なわけはないだろうけれど。
しかし、今日の連絡にはミスがあった。
連絡員の転記ミスか、うっかりしていたのか。
新聞の版数が抜けていたのだ。
新聞の上の片隅に書かれている数字が、版数だ。
新聞は情報が更新される毎に刷り直される。
新聞の本社がある地域の新聞は版数が多い、14版とか。
配送の関係で遠くまで運ぶ時には、若い版数のものを出すことになる。11版とか。
版によって紙面も変わる。
版数が抜けていたら、2面の見出し3文字目といっても、違うものになってしまう。
彼は、いつものように連絡の暗号を受け取っただろう。
しかし、版数が抜けている。これでは、わからない。
戸惑いながらも、いつものように解いていくが、どうにも意味が通じないところがある。
版数の違いだ。
彼は、あわてて近くの喫茶店に入り、新聞をチェックしはじめたのだ。
彼の忙しない動き、バッッッとした勢いよく新聞をめくる様は、少し鬼気迫るものがある。
早くこの暗号を解かなくては、諜報活動に差し障る。
内心では
「連絡員の単純なミスで、ただの連絡文を解読するためだけに、残業だ。やってられないよ」と毒づいているのかもしれない。
暗号を解き終わった連絡文が
「次の指示があるまで、現状のままで待機せよ」だったら……。
彼の振り抜いた右手は、どこへ行けばいいのか。
人ごとながら、心配になってくる。
妄想を膨らませながら、彼の後ろ姿を見ていた。
妻がスマホをしまい、
「ちょっと化粧直してくる」と席を立った。
大音量の音楽に酔ったのか、足もとが少し危うい。
新聞めくり男の隣あたりで、足が少し滑る。
新聞めくり男のテーブルに手をつく。
大丈夫か。
僕は腰を浮かしかけた。
彼女は、新聞めくり男に詫びて、その後は転ぶことなく化粧室へ消えた。
妻もレトロな年頃だ。気をつけなければなあ。と思う。
妻が戻ってきたところで、帰ることにした。
聞き慣れない昭和歌謡の大音量を背に、出口に向かう。
店を出る前に、新聞めくり男をちらりと見た。
彼は、まだ新聞を勢いよくめくっていた。
外は、秋というにはまだ暖かい夜だった。
私は困惑していた。
うまくいかない時は、うまくいかないことが続くものだ。
朝の電車に乗ろうと思って、階段を駆け上がったら、目の前で扉が閉まり、次の乗り換えでも、わずかの差で間に合わず、会社に行けばギリギリの時間になり、やっときたエレベーターに最後に乗ったら、重量オーバーのブザーが鳴り、次のエレベーターで上がっていったら、わずかの差で遅刻扱いになり、無駄に半休申請をしなくてはならず……。
というようなわずかの瑕疵が積み重なり、悲劇を生む。
今日は、ケアレスミスが積み重なってしまった。
新人が担当したのか、連絡が不十分だったのだ。肝心の情報を渡し忘れてくれた。
お陰で、私は朝から動き回っている。
なんとか、ミスに気づいた人から、正式な連絡が来たのは、もう夜だった。
なんともはやだ。
私は近くの喫茶店に入る。
おお、なんだ、なんだ。
一歩はいったところで、大音量の音楽に驚いた。
もちろん、驚いたそぶりは見せたりはしない。
版数がわかったので、この店にある新聞をチェックする。
なんだ全部じゃないか。
いささかいたたまれない感じはあるけれど、全ての新聞を持って手近な席に着く。
さっさと終わらせてしまおう。
新聞を順番に積み重ね、一紙ずつ読み進んでいく。
ポイントはわかっているので、勢いよくページを捲る。
おっと、一つ目はこれか。
「つ」だな。
この調子でいこう。
半日以上遅れてしまったが、致し方ない。
次々と新聞を読んでいる姿を見て、人はどう思うのだろう。
なにかのトレーダーとでも思うかもしれないな。
世の中の流れを見て、次の手を考えているのだろう、と。
そうではないのだが。
うまく連絡ができなかった時は、フェイルセイフで、別の手段で連絡が来ることになっている。
まあ、今回は訂正連絡が来たから、フェイルセイフでの連絡はないかもしれない。
おっと、年配のご婦人が転びそうになった。
大丈夫か。
私の座っているテーブルに手をついた。
年配のご婦人が謝ってきた。
「あら、ごめんなさい。……読んでね」
最後のひと言は、小さな声だった。
フェイルセイフか。
彼女が手をついたテーブルの上には、極小さな紙片があった。
私は何気なさを装い、そっとその紙片を手にする。
そこには、平易な暗号でこう書かれていた。
「次の指示があるまで、現状のままで待機せよ」
***
この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
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