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うずらの卵を茹でるとお嫁にいける?


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記事:うらん(ライティング・ゼミ)

子供のころ、田舎の祖父母の家に行くと、よく祖母にこう言われた。
「お前は器量が悪いから、せめて学問でも身に付けんと」

なんとひどい。大きなお世話だ。
今でこそ、そう反発する気骨はある。だが、当時の私にはそんな知恵はなかった。

そうか。そうかもしれないな。
素直にその助言を受け入れたのだった。

そして私はよく勉強した。
希望する大学に入り、望む先に就職した。やれやれ、これで安泰、安泰。
そう思って安堵していたら、祖母が今度はこう言う。

「お前は器量が悪いから、せめて料理でも上手くないとお嫁にいけんよ」

なんてこった。そうきたか。あんまりだ。年頃の娘に言う言葉か。
しかし、私はこのときも盾突くことなく、素直に耳を傾けたのだった。
当時の私には、お嫁にいけない、つまり結婚できないということが、何よりも由々しき事、一大事に思えたのだ。

どうしたら料理が上手くなるのだ?
習うにしても、母の料理は振るわない。料理教室は面倒だ。レシピ本にはすぐ飽きる。だいたいあんなことを言う祖母の料理だって野暮ったい。名前のないようなものばかりだ。「茄子の茶色いの」とか「赤かぶの酸っぱいの」とか、家族にしか通じない符丁のような言い方で表すしかない。

そんな祖母の料理でも、私の気に入っているものがいくつかある。
そのひとつ、お正月に作るお吸い物は、この上ない。
お正月には、お雑煮やらお節料理やら、そのほか豪勢なものを散々食べる。すると、そのうち飽きてくる。夜更かしや行事続きで身体もしんどい。
そんな間合いを見計らって、祖母がそのお吸い物を作る。
具は、椎茸、うずらの卵、かまぼこ、きぬさや。これに、お醤油仕立てのつゆをはり、三つ葉を散らしただけのもの。
なんのことはない。お節の食材の使い回しだ。
だが、その出汁が得も言われぬ美味しさなのだった。疲れた胃にも心にも、じんわりと沁みてくる。

あのお吸い物が作れるようになりたい。あの出汁さえマスターすれば、どんな男性もイチコロだ。

「お婆ちゃん、あのお吸い物の作り方を教えて」
ある年の暮れ、田舎を訪ねた私はさっそく祖母に指導を仰いだ。
よしきたとばかり、祖母はいそいそと私を台所に連れて行く。

「あのうずらの卵を全部茹でて、殻を剥いてくれんけ?」
見れば、積まれたうずらの卵のパックがゆらゆらと揺れている。80個はありそうだ。
なるほど、うずらの卵はお節の煮しめにも使うし、年末年始は田舎に親戚も集まる。多めに用意した方がいいだろう。
それにしても多すぎやしないか。
それに、私が習いたいのはお吸い物だ。今は茹で卵は習わなくていい。

それでも、正月支度の手伝いも兼ねて、うずらの卵を茹でることにした。

はて、うずらの卵というのは何分ぐらい茹でればいいのだろう。
鶏の卵と同じでは茹ですぎのような気がする。
鶏卵の六分の一ぐらいの大きさだから、茹で時間も六分の一でいいのか? 鶏卵の茹で時間が12分だとしたら、うずらは2分?
そんな単純なことでいいのか、うずらの卵。
簡単だと高を括っていたら、のっけから戸惑ってしまった。

「ときどき鍋ん中かき回さんと、黄身が卵の真ん中にこんから」
鍋のなかで卵が茹っているのをぼうっと眺めていると、祖母がやんわりと嗜めた。
常に面倒をみなくちゃいけないなんて、手間のかかるやつだな、うずらの卵。

3分ほど茹でてみた。こんなものでいいのだろうか。
火からおろして水に浸ける。
頃合いを見計らって、一つ取り上げて殻を剥いてみた。
外側の固い殻だけが剥がれて薄皮が残る。その薄皮を引っ張ったら、身に割れ目が入ってしまった。
鶏の卵を剥くようにはいかない。
それでは次へ、と二つ目を手に取る。
今度は、剥きやすくなるよう先に殻全体にひびを入れてみた。
すると、先ほどよりは上手くいく。上手くいくものの、細かく砕けた殻が指に付いて、それがまた剥いた卵に付くものだから、いらいらする。
水で濯いで、三つめに取りかかった。
こんなことを、あと78回もやるのか。たまったもんじゃない。
そもそも私が習いたいのはお吸い物だ。卵はいいから出汁を教えて。出汁さえ教えてくれればいいんだってば、お婆ちゃん。

もっとさっさとやってやろう。
片手でグシャグシャっとひびを入れ、皮を大きく引きはがすように思い切り引っ張ってみる。
すると、卵の身まで割れて付いてきた。これでは台無しだ。
何度もやってみるものの、早くやろうとすればするほど、卵の身は崩れてしまう。

これまで祖母のお吸い物には、割れたうずらの卵なんてひとつとして入っていたことがない。つるんときれいな形で、それが時にはお椀に二つだったり三つだったり、ハズレのときは一つだけだったりするだけで、いつもきれいな姿であることには変わりない。
当たり前のように食べていたが、こうして自分で剥いてみると、祖母の気遣いがよく分かる。
お正月に身の割れた卵を食べるなんて、ちっとも嬉しくない。「おめでとう」なんて言えたものじゃない。お正月でなくたって、卵は割れていない方がいいに決まっている。
祖父母にも、両親にも、兄弟にも、訪ねてくる親戚の人たちにも、つるんときれいに剥けた卵を食べてもらいたい。
あの顔この顔と思い浮かべながら剥いていると、自ずと卵の扱いが丁寧になった。すると、卵は完璧な形に仕上がっている。
おお。結局、ひとつひとつ丁寧に剥くのが一番の近道だ。
根気よく続けているうちに、コツもつかめてくる。
殻全体にひびを入れて水に浸けておくと、ひびから水が入り込む。すると、殻と身の間にすき間ができて剥きやすくなる。
それから、卵のお尻から頭に向けてまず縦に剥く。その割れ目から横にはがすように剥けば、洋服を脱がせるように一気に剥ける。

こうして、全ての卵を剥きおえたときには、私はすっかりうずらの卵の殻剥き名人となっていた。

その後、きぬさやの筋取りを命ぜられたり、全く関係のないすりごま作りを手伝ったりしながらも、出汁のひき方を教わり、とうとうお吸い物の作り方を習得したのだった。

そして、私は結婚をした。
あのお吸い物が功を奏したかどうかは分からない。分からないが、今でも幸せな家庭生活を送っている。
私が言うのもなんだが、夫はなかなかナイスな男だ。
この快挙に、友人たちが「どこで見つけてきたの?!」と驚いたくらいだ。
「どこで見付つけてきたの」って、犬の子じゃあるまいし……ふふふ。教えない。
いやいや、のろけたくてこれを書いているのではない。

私が今も安らかな家庭生活を送れているのは、あのお吸い物の作り方を教わったときに、あることに気付いたからだと思っている。その気付きを忘れないよう、事あるごとに肝に銘じているからだと思っている。

私は、うずらの卵を剥くことで、料理において大切なこと、ひいては家事において大切なこと、さらには人として大切なことを学んだのだった。

「うずらの卵を茹でる」「殻を剥く」なんでもないことのように思える。時間にして、たかだか数分だ。
だが、たったこれだけのことに、料理の基本となるものは詰め込まれている。
茹でるときは、黄身が片寄らないように常に鍋をかき回す。つまり、扱っている素材の特性を見極めるということ、そして手間を惜しんではいけないということ。
殻は、ひとつひとつ丁寧に剥く。そうすれば、結局きれいな形のものが無駄なく揃う。手っ取り早く手に入れようったって、そうはいかない。いいものを揃えたいのなら、それ相応の時間をかけるということだ。
そして何より、食べる人のことを考えて料理をするということ。これが一番の肝所かもしれない。

これらの考え方を完全に自分のものにできたら、もう立派な料理名人だ。

なにも、これは料理に限った話ではない。
家事にしても然り。仕事にしても然りである。

自分が携わっている仕事のことについて、おおかた知っているつもりでいるかもしれない。だが、存外あやしいものだ。
常に真摯に取り組んでいるかといえば、なおのこと疑わしい。慣れたもんだと、ちゃちゃちゃっとやっつけ仕事で済ませてはいまいか。
その仕事の受け手のことを考えて、ことにあたっているかというと、もうかなり覚束なくなってくる。受け手が望むものを提供しているだろうか。自己満足で終わっているんじゃないの? ん? どうよ? 目が泳いでしまう。
いいえ、全て完璧です、という方がいらっしゃいましたら、どうぞ一歩前へ出てきてください。

どうしてこんなことをやらなくちゃいけないんだ
これをやったところでどうなる
あ~あ。やんなっちゃったな
同じことを何度も何度も繰り返している間には、雑念も浮かんでくる。
先の見えない長い道のりだ。
ただ、こうした行程を経た者だけが知ることのできる「真理」がある。何度も訪れる「あ~あ」や「これをやったところで……」をくぐり抜けた人だけが感じ取ることのできる真実がある。
繰り返し繰り返し、同じことをこつこつと続けた先にある真実。それをつかむ。それをつかむまでの間に経験したものも、貴重な副産物だ。人生の糧だ。

ライティングも、うずらの卵の殻剥きに似ている。
卵を茹でるときから手間をかけるように、書くテーマについて練りに練る。
ひとつひとつ殻を剥くように、こつこつと根気よく書き続ける。手っ取り早く上達する道なんてない。書いて、書いて、書いて、の千本ノック式あるのみである。出汁のひき方だけ教わって美味しいお吸い物を作ろうったってそう易々はいかないように、書き方のエキスだけ聞いて上手い文章を書こうだなんて、虫がよすぎる。
そして、食べる人のことを常に考えながら料理をするように、読む人のことを常に意識しながら書く。自分が書きたいことを書くのではなくて、他人が読みたくなるようなものを提供する。これが要だ。要に違いない。

書いたところでどうなる
あ~あ
が何度も訪れる。
その間にも、飲み会に誘われる。TVでは面白いことをやっている。ちょっと座っただけで眠くなる。
そうやって、隙をみては妨害が入る。それらをかわしかわし書き続ければ、きっと到達する。
到達するって、どこへ?
それは、ライティングの神様に聞いてください。

祖母が何のために私に80個のうずらの卵の殻を剥かせたのかは分からない。
田舎のお婆さんのことだ。「これをやれば物事の真髄を極めることができる。だからやりなさい」などという含みを持たせていたとは思えない。ただ手伝ってもらおうと思っただけかもしれない。とりあえず思いつくことを命じただけかもしれない。
だが、ひょっとしたら、本人は意識していなくても、祖母の長い人生のなかで感じ取っていた真実があったのかもしれない。
ひとつのことに真摯に向き合って、こつこつと取り組む。そうした過程で得たものこそが、生涯の財産になるということを。その財産を身に付けていれば、大概のことはへいちゃらだ。そう言いたかったのかもしれない。

「器量が悪いから、せめて上手い文章でも書けんと」
そう脅されなくても、私は書く。書きたいから書く。読んでほしいから書く。私が書いたもので誰かの心が少しでも動いてくれたら嬉しいから、書く。
書いて、書いて、書いて……の千本ノックの先で出会えるものが、今から楽しみだ。

***
この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、店主三浦のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。

 

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2016-10-19 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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