メディアグランプリ

宅配便のバイトは苦いビールの味だった


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:福居ゆかり(ライティング・ゼミ)

宅配便のバイトをしよう、そう決めたのは単に、友人に誘われたからだった。
体力には自信があったし、時給もいい。期間も繁忙期だけと短いし、何より宅配便をよく使う私としては、「届ける側」になってみたい。
そう思って、二つ返事で了承した。

CMでよく見る制服を着て、軍手をはめる。トラックの助手席に乗った私の仕事は「配達補助」だった。基本的に、ドライバーさんと2人1組で回る事になる。日によって人手が足りないところの補助に入るという事だったが、大体メインで組むのはこの人、と決まっていた。
私が組んだ長藤さんは、中でも1番若く、私より5つほど上だった。2人で車に乗り込むと、密室になるので話さないわけにはいかなかったが、人見知りな私は挨拶をするので精一杯だった。長藤さんは特にニコリともせず、淡々と挨拶を済ませ、業務について説明した。
その日の夜、バイトの話を持ちかけてきた友人と夕飯を食べた。一緒に乗った人について尋ねると、「カッコよくて、すごく優しい人だった! ドラマの話で盛り上がってさ。結婚してるのが残念だわ」と言っており、そうか私はハズレを引いたか、と内心ガッカリしたのだった。

翌日も朝からバイトが入っていた。営業所で友人と別れ、それぞれの車に乗る。
「おはようございます」と声をかけると、長藤さんは伝票を整理しながら「おはよう」と返事をした。
そうしてふと顔を上げたと思うと、私に向かって手を突き出した。何だろうと受け取ると小銭だった。
「好きな飲み物買ってきて。俺はホットミルクティーでよろしく」
以外に甘めのセレクトに面食らいながら、自販機へ向かう。ミルクティーと、お茶のボタンを押す。
後でわかったのだが、これが長藤さんの「お駄賃」だった。今でもあのミルクティーの青い缶の模様をハッキリ覚えている。

長藤さんは仕事に対してシビアな人だった。
20そこそこの女性、ということで他の人は免除してくれる事、重い荷物や風俗店への配達も回された。眠そうな女の人がバスローブ一枚で出てきた時は目のやり場に困った。
正直なところ、ちょっとひどいなと思っていた。もう少し気を使ってくれてもいいんじゃないか、と。
そんなある日、営業所で他のドライバーさんに「あのお店、福居さん行った?」と聞かれた。あのお店って風俗店のことかと思い、何気なく「ハイ、行きました」と返すと大笑いされ、「長藤、鬼だなー! 女子大生にあの店行かせたのかよ」と長藤さんをからかった。彼は顔を赤くしながら「まあ、仕事じゃないですか」と答えていた。
その姿を見たとき、妙に納得してしまった。
バイトだから、とか女性だから、ではなくこの人は「仕事は仕事」という姿勢で取り組んでいるんだと。なら、私だって雇われている以上、仕事をしなければ。そう思ったら、不満も消えていった。
自分の甘えた姿勢が恥ずかしかった。

そんな折、友人が突然バイトを辞める、と言い出した。
どうやら、普段とは違うドライバーさんと組んで、トラブルが起きたようだった。待機していたところにその人が来て、「特にバイトはいらない」と行ってしまったらしく、1人残された友人は話が違う、バカにしてる! と怒った。そしてその足で制服をクリーニングに出し、営業所に辞めますと電話を入れたのだ。
私はそのことを、トラックの中で長藤さんから聞いたのだった。慌てて友人にメールをしても、返ってこない。帰りに家に寄ってみよう、と思いつつ、荷物を運ぶ。車に戻ると、長藤さんがトラックを動かしながら口を開いた。
「……そんな言い方で置いてった方ももちろん悪いけど、それだけで辞めるってのも困っちゃうよなあ」
普段あまり雑談をしなかったので、緊張した私ははい、と答えた。
「どんな仕事だって、嫌なことはあるんだよ。でも、金貰ってんだから、その分の仕事はしないとだろ」
そして長藤さんは、仕事についての自分なりの考えを話してくれた。
私はそれまで、バイトなんて気楽で、思い立てばすぐに辞められる立場だと思っていた。けれど、長藤さんの話を聞いて考えが変わった。バイトといっても必要だから雇われているのであって、すぐに辞められるのは損害が大きいのだ。雇主の側から考えた事がなかった私には目から鱗だった。
学生でぬくぬくと暮らしていた甘ったれの私はそこで、現実を突きつけられたような気分だった。仕事となればもっと、少し嫌な事があったから辞めます、というわけにはいかないのだ。ふと、翌年の自分の就職に不安を覚えた。
そうして、私といくつかしか変わらないのに大人だな、と長藤さんを尊敬した。

そこからはそれなりに会話をするようになった。甘いものが好きだとか、地元がこの辺りだとか。怖い話が嫌いという子どものような一面や、笑顔もよく見られるようになった。
いつも長藤さんはトラックの中で煙草を吸う前に、必ず「吸っていい?」と私に同意を求めた。一度くらい嫌です、と言ってみればよかったと思うのだけど、そう尋ねてくれる心配りに対してつい、「どうぞ」と答えていた。
狭いトラックの中、ふわりと白い煙草の煙が舞う。手を伸ばせば、届く距離。
ああ、触れたいな。
そう思った時、自分は長藤さんのことが好きだということに気がついた。

しかし、終わりは突然やってきた。
急に支店長に呼び出された私たちは、
「3日後でバイトは終わりね。もし、それまでも忙しいようなら呼ぶけど、明日は来なくて大丈夫だよ」
と言われた。
元々そういう契約だから仕方がない。友人は騒動の後も説得されてなんとか続けていたが、騒ぎを起こした手前、居づらかったようで喜んでいた。
私は複雑な気分だった。

一人暮らしでぽっかり空いた時間を持て余しながら、私は連絡を待った。クリスマスも会えず、期限を切られた最終日のみ、出勤が決まった。
そして、その日の夜に忘年会をやるというお誘いがあったので、私はそこに出席することにした。

いつもと同じ仕事。でも、今日で最後。
臆病な私は、告白なんてできっこなかった。けれどせめて、ありったけの勇気を出して、携帯の番号くらい聞こう。仕事じゃなく、プライベートの。そう思っていた。

帰り道、今日が終わらなければいいのにと思いながら、トラックに乗り込む。外は寒くて暗く、雪が降りそうだった。
その日はいつもと違うルートを通って、営業所へ戻った。ほんの少しだけ、長い時間。
別れの挨拶をするのは今しかない。そう思って話しかけた。
「……今まで、ありがとうございました。お世話になりました。大してお役に立てなくてすみません」
長藤さんはしばらく沈黙した後、
「こちらこそ、ありがとう。正直、今回の繁忙期は君がいなかったら回らなかったと思う。役に立ってないなんてそんな事ない、君がいたからなんとか乗り越えられたって思ってるよ。
こちらこそ、短い間だったけどありがとう。お疲れ様。」
とお礼を言ってくれた。
そんな風に返事が返ってくるとは思ってなかったので、胸がいっぱいになってしまい、実は後半はほとんど覚えていない。
もっと長く話していたはずなのに。
そして、その時の長藤さんの顔を私はどうしても思い出せない。涙が出そうなのを誤魔化すため、窓の外を見ていたからだろうか。
「ありがとうございます」そう言った時にはもう、営業所に着いていた。携帯番号を聞く時間もなかった。
また後で、と別れ、手を振った。

飲み会に行った私は、場の雰囲気に押されていた。考えてみれば、職場の飲み会に出るのはこれが初めてだった。
はい、ビール、と手渡される。学生時代、ビールは苦くてあまり好きじゃなかった私は内心嫌だったが、手渡された以上断れなかった。
長藤さんと離れた席に着いてしまったこともあり、とりあえず飲むか、とジョッキを傾ける。杯がほどほどに開くと次々ビールがきた。苦い苦い……苦い。けれど、どうしていいかわからなかった私はひたすらに飲んだ。

店の外まで出て解散したことは、覚えている。
触れたはずの長藤さんの温かい手は、どうしても思い出せなかった。

ベッドで飛び起きる。朝ではなくもう昼だった。部屋を見渡すとカバンと携帯、そして服が床に落ちており、玄関の鍵は開いていた。
痛む頭を抱えてよろよろと起き、シャワーを浴びる。ああ、やってしまった。時間が戻ればいいのに、そう思っても戻るはずもなく、熱いお湯が私の体を伝ってはどんどん流れて行った。
気が重いが、行かなくてはいけない。私は身支度をして、車に乗り込んだ。

営業所に着くと、昨晩の顛末は皆、知っていた。ニヤニヤとした視線が突き刺さる。
「昨日、長藤が送ってったんだって? 何、一晩いたわけ?」
と笑いながら1人のドライバーさんが話しかけてくると、長藤さんはしれっと
「ああ、そうそう、朝まで隣にいたけど覚えてないの?」
と言った。
この意地悪め。そう心の中で毒づくが、やってしまったのは自分なのでもちろん言えない。
解散した後動けなくなった私は、長藤さんたちに送ってもらったようだった。自宅の場所を伝えた事があったので、覚えていてくれたらしい。さすが宅配便のドライバーだ。
そしてそのまま、部屋に置いて行ってくれたのだった。
ただ、それだけ。
千載一遇のチャンスとはこの事で、それを逃した自分が腹ただしいやら、そんな醜態を見せた事がものすごく恥ずかしいやらで、私は消えていなくなりたいくらいの自己嫌悪に陥った。
「大丈夫、誰も怒ってないから。むしろ面白かったよ。今年最後の大荷物だったな」伝票を整理しながら、長藤さんは笑った。軽口も、私に気を遣わせまいとしているのがわかって、なんだか切なかった。
もう2人きりになれるチャンスはなく、私はひたすら謝った後に営業所を後にした。

今もトラックを見ると、運転席に長藤さんの姿を無意識に探してしまう。そして、あの時、あの狭いトラックの中で、タバコの香りに手を伸ばす妄想をする。
時間とともに、苦くて嫌いだったビールは今では大好きになり、懲りずに飲んでいる。
しかし、宅配便の思い出はやはり、苦いビールの味だ。思いを伝えられれば、せめて携帯の番号を聞ければ……。

聞こうと思えば、トラックの中で聞けたはずだ。けれど私は、自分に自信がなかったのだ。
こんな私が言ったら笑われる、そう思っていた。長藤さんはそういう人じゃない、と知っていても、心の内は見えないから怖かった。
けれど、チャンスは一瞬で、逃すともう捕まらない。
そして、言いたいことは言葉にしなくては伝わらない。届けようと思わなければ、努力をしなければ、思っていることは半分も伝わらないのだ。
私はその事を思い知り、ものすごく後悔したのだった。

今でも、私は自信がない。気を抜くと私なんて、と言おうとする。
そうして、私の心の内には伝えたかったのに伝えられなかった言葉たちが雪のように降り積もっていた。
天狼院書店のメディアグランプリを知った当初は、子どももいるし、仕事もあるし……と理由を見つけては諦めようとした。けれど、参加してみようか、そう思ったのは長藤さんとのことを思い出したからだった。
この機を逃したら、私はきっとまた後悔する。
そう思い、動悸でぐらぐらしながら、参加手続きを行った。

その後、営業所には何度か遊びに行ったが、長藤さんには会えなかった。
苦いビールの味とともに、思い出と後悔は私の中で生き続ける。
もし、配達をしている彼に会えたらぜひ話したい。何年越しかの、昔話を。

***
この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
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2016-11-04 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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