思いがけず平安時代の老人の恋に心が動いた理由
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記事:阿哉(リーディング&ライティング講座)
「恋重荷」というお能の舞台を観た。
庭師の老人が、天皇に使える女官(女御)を垣間見てこの女御に恋をした。
どうしてももう一目会いたいと願う。
そこで、女御は美しい布で覆われた荷物を持ち上げて庭を100周すれば姿を見せると提案した。
老人はその荷物を持ち上げようと何度も頑張るが持ち上がらない。
とうとう女御を恨みながら亡くなる。
女御が亡くなった老人を悼んでいると、亡霊となった老人が現れ、女御を責め立てる。
しかし、最後には老人は女御を許し、去っていく。
これが、「恋重荷」に大まかなストーリーである。
平安時代の話だから、老人が若い女性に恋をすると言っても、今の時代に置き換えれば、30代か40代の中年に差し掛かる頃の男性が、10代の女性に恋愛感情を抱く、というのが近いのかもしれない。
としても、公演を観る前にあらすじを読んだ時、私にはこの老人の感情はわからないな、と思った。
もちろん性別も、時代も違う。
住んでいる世界も、年齢差も違い過ぎる相手で、しかも垣間見ただけ。
それだけで、亡霊になるほどの恨みを抱くまでに、相手を愛せたりするのだろうか?
ところが公演の後半、クライマックスと言える亡霊となった老人の舞と、女御を許し去っていく場面で、私の心が動いた。
激しい舞の最中、亡霊がちょうど自分の正面に立つと、目が合ったような気がする。その目に女御に対する強い怨念が満ちているようで、のけ反りたくなるほど「怖い」と感じた。
そして最後、女御の元を去る際には、「あの世」へ戻る橋の入り口で、女御をふと振り返った時の表情に、心が塞がれそうな「悲しみ」が見えた。
ここで「目」とか「表情」とか書いたが、観客に見えているのはあくまで能面だけだ。
もちろん木で作られた面が変形するわけはない。
一度、能面を付ける体験をさせてもらったことがあるが、目の部分などあまりに小さな穴しか空いておらず、演者の視野は極めて限られる。
だから観客から、面の向こう側の演者の目が見えるはずもない。
にもかかわらず、能面に表情の動きが見え、感情の動きが見えるのだ。
公演を観終わった時に、設定が似ているなと思い、ふとミュージカル劇「オペラ座の怪人」を思い出した。
パリのオペラ座の地下に住む顔の醜い怪人(おそらく中年男性)が、オペラ座の歌姫(おそらく10代の女性)に恋愛感情を抱く。
後半、怪人は、イケメンでお金持ちの貴族の男性と歌姫が仲良くなってしまったことに怒り狂い、殺人まで犯そうとするが、最後は歌姫の幸せを祈って去っていく、というストーリーだ。
やはり先ほどの「恋重荷」同様、中年男性である怪人の10代の歌姫に対する恋愛感情は、私には共感できるはずがない。
しかし私は初めて観た時に、泣き過ぎて最後舞台が見えなくなるほど感動した。その後もCDをヘビーローテーションし、舞台も3回観に行ったほどハマった。
ただ、この感動は、「オペラ座の怪人」の原作小説を読んでも得られなかった。
ミュージカル劇に感動したのだ。
原作よりもロマンチックな要素を拡大したストーリーとセリフ、それをさらに増幅させた音楽の存在が、遠い存在の登場人物たちと心を重ね合わせたような気持ちを呼び起こしたのではないかと思う。
他方、能はと言えば、ミュージカルにあるものがない。
音楽はと言えば、笛や鼓を演奏するお囃子はある。
しかし、お囃子の奏でる音楽に合わせて演者たちが歌ったり、舞ったりというものではない。
登場人物の感情を表したり、場の効果を表したりするような音楽でもない。
かつて聞いた講演で、能楽師さんは、お囃子は「聞いて楽しむ音楽ではない」とおっしゃっていた。
少なくとも、お囃子とミュージカルの音楽とは全く違うものだ。
しかも、能の舞台は極めてシンプルだ。
そこが何時代なのか、どういう場なのかが一目で見てわかるような、舞台を飾るものはほとんどない。
小道具についても、「恋重荷」では、女御が座っている椅子と、亡霊が女御を責める際に使う杖、ただそれのみ。
演者の装束だけが、登場人物が誰なのかを知らせているに過ぎない。
さらにお能鑑賞について初心者の私には、セリフは聞くだけでは何を言っているか、ほとんどわからない。
解説書を頼りにどの場面かを確認しつつ、ざっくりしたストーリーだけをもとに観る。
とにかく音楽も舞台装置もミニマム、セリフの言葉の意味はほぼ不明。
そして私の日常生活からして共感しづらいストーリー。
それでも老人=亡霊の能面に感情が見え、心が動いてしまったのはなぜなのだろうか?
「あ、高倉健かも……」とふと名前がよぎった。
高倉健が名優と言われた理由。
多くを語らずとも、大げさな表情を見せずとも、静かに佇むその姿を見る人の心を動かしてしまう。
高倉健の没後、テレビで追悼番組として、再放送されたドキュメンタリー番組を観た。
その中で映画撮影の休憩時間の高倉健は、気さくによくしゃべるにこやかな姿を見せていた。
私は、高倉健の映画を全部観ているわけではなく、この俳優のことを詳しく知っているわけではない。
けれども、背中で演技すると言われた彼のイメージは、俳優人生の試行錯誤の中で生まれた彼独特の俳優としてのスタイルつまりは型なのだな、と知った。
その型の存在が、大げさな演技をしなくとも、映画の中で彼を観る人の心を動かしてきたのだ。
型は観る人の拠り所でもあり、拠り所があるから安心して映画の世界に旅立ち、非日常の世界に入り込み、俳優が演じるその役に心を重ね合わせることができるのかもしれない。
能にも型がある。
世阿弥を祖にして、多くの能に携わる人たちが、数々の時代を越えて試行錯誤を重ねて作ってきた型だ。
時代が進むとともに、言葉や、道具や、音楽をよりたくさん盛り込む演劇が人気を得ていくが、能はできるだけスリム化し、シンプルにすることを追求してきたと聞く。
しかも、題材は600年以上も前の時代が舞台で、そこに生きている人の生活は今を生きる私たちにはほとんどわからない。
それでも、能の型は観る人の信頼を得て、心を動かし、共感を生み出すことのできる拠り所となっている。
長い時代や空間を越えて人間同士をつなげてしまう型を創り出した能の凄さを、観ればみるほど感じている。
多くを語らず、多くを奏でず、多くを飾らずとも、誰かの心を動かすような、そんな「型」を私は見つけることができるだろうか。
お能のような、高倉健のような、自分の「型」を持ち、動じないような大人になれるだろうか……。
平安時代の老人の恋の物語に思いがけず感動したその帰り道、そんなことを考えた。
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