メディアグランプリ

わたしを救ってくれた魔女


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:八千子(ライティング・ゼミ)

 

「あんたが何を考えてるのか、お母さんには全然分からないわ……」

そう言って、母は泣き出してしまった。

私は、どうしていいのか分からず、ただ母を見つめるしかなかった。

 

今から20年近く前、中学2年生だった私は、とある言葉がきっかけでダイエットを始める決意をした。身長153センチ、体重55キロ。ぽっちゃり、というと聞こえは良いが、デブと言われると、確かにデブ。なにより、やせて可愛くなりたいお年頃だった。

 

「今日あんまり、おなか空いてないから夜ごはんちょっとで良いわ」母にそう告げると、無理に食べることないから、とその日は軽く流された。

 

そして、その日から、少しずつ食べることをやめていった。

 

「食べない」イコール「体重が減っていく」のが楽しくて、食べなければ痩せるんだから、ダイエットなんか簡単だわ、と食事の量をどんどん減らしていった。母は心配して「もうちょっと食べないと。全然食べてないでしょ」と食事のたびに注意したが、「食べたくないから。もうほっといて」と私が冷たく言い放つことに嫌気がさしたのか、時が経つにつれ、注意もしなくなってきた。

 

私は目に見えて痩せていった。

「拒食症」だった。

だけど、私は「絶対に、痩せなければならない」という謎の使命感に駆られていて、鏡に映る姿が、ガイコツみたいな身体になっていることに気付けなかった。

 

性格も少しずつ変わっていた。知らず知らずのうちにひどいことを言ってしまったり、やけに攻撃的な態度をとるようになっていた。クラスメイトも遠巻きに接するようになり、私は孤立していた。家族も腫れ物を触るように扱っていた。

 

食事を極端に摂らなくなってから半年近く経ったある日、母は思い詰めた表情で「お母さんの前で体重、はかってみて」と体重計を持ってきて、私の前に置いた。わたしは嫌だったが、「今、体重何キロなの。お母さんに隠さないといけない体重なの?」と詰め寄られ、しぶしぶ体重計に乗った。

31キロ。

体重計を見つめ、母はつぶやいた。

「どこまで痩せたら気が済むの? あんたが何を考えてるのか、お母さんには全然分からないわ……」

泣き出してしまった母を見つめながら、私は「母が泣いている」という状況を受け止めきれなかった。母を泣かせるようなことをしてしまった。私自身、どうしたいのか分からない。ただ、痩せたかった。それだけしか考えられなかった。

 

少しして気を取り直した母は「明日、一緒に森田先生に会いにいこう」と告げた。私はこくりと、うなずいた。

 

森田先生は、私が赤ん坊の頃からお世話になっている内科の女医さんだ。「森田医院」という、待合室に10人も入れない、小さな診療所を開いていた。優しくていつもニコニコしているけれど、どんな病気もお見通し、といった厳しい目をしていた。かなり高齢だろうと思わせるエピソードをいくつか聞いてはいるものの、年齢不詳で「森田先生は若返りの呪文を使える魔女かもしれない」と我が家では話していた。

 

森田先生に診てもらうと、どんな病気も治る。

 

小さい頃から、そう思い込んでいた私は、森田先生に会うのが怖かった。

どうしてご飯食べないの、って怒られるかな。でも仕方ない。もう自分では止められないんだから。自分でも「このままではまずい」と薄々感じてはいたけれど、「痩せたい」という自分でかけた呪いのなかで、がんじがらめになっていた。

 

次の日、母と一緒に森田先生に会いにいった。病院に行く途中で、母は何度か森田先生に相談しに行っていたことを話してくれた。待合室には他の患者は誰もおらず、すぐに診察室へ呼ばれた。

 

「ヒロコちゃん、よく来てくれたねえ。」

 

久しぶりに会った森田先生は、相変わらず年齢不詳で、優しいけれど厳しい目をしていた。先生の前に私は座った。母も横に付き添っていたが、先生は一旦母には待合室で待つように告げた。

 

森田先生と2人きりになると、先生は私をしっかりと見つめ、こう言った。

 

 

「ヒロコちゃん、先生は、こんなことでヒロコちゃんが死んでしまうのは悔しい。ヒロコちゃんが何を感じて、いま、ここまできてしまったのかは、先生には分からない。でも、このままだとヒロコちゃんは死んでしまいます。こんなことで死ぬなんてばかばかしいよ。死なないって、先生と約束してくれる?」

 

 

先生の真剣なまなざしが、私を捉えて離さなかった。私は涙が出てきたが、約束します、とか細い声でつぶやいた。

 

その後、母が診察室に戻され、3人で話をした。20キロ台になってしまうと、内蔵が痩せてきてしまい、多臓器不全になるから入院しないといけないこと。最悪死んでしまう可能性があること。今はその瀬戸際にいるため、これ以上痩せると危険だということ。少しずつでも食事量を増やすこと。1か月にまた病院に来ることなどを話した。その後、私は待合室にいるように言われ、先生と母は2人で少し話していた。

 

 

母と2人で、病院を出た。歩いて帰りたいという私に、母は5000円渡してくれた。「なんでもいいから、食べたい、と思うものがあったら買って帰って来なさい。なんにもなかったら、無理して買わなくてもいいから」

そう言って、母はひとりで先に帰ってしまった。

 

食べたいもののことなんか、この半年くらい考えたこともなかったけど、何かあるかな……。そう思いながら、スーパーに立ち寄るとイチゴがあった。なぜか猛烈にイチゴが食べたくなり、2パック買って帰った。

 

その日の夕食にイチゴを食べ、久しぶりに心の底から美味しいと感じた。すると、急に今までのことがばかばかしくなってきた。なんであんなに食べることを拒否してたんだろう。森田先生と約束したんだし、ちゃんと食べよう。お母さんを泣かしたら、だめだ。

 

強く、心からそう思えた。

 

次の日から、出された食事は、ほとんど残さず食べるようになり、急激な変化に家族は皆驚いていたが、母はとても安心した表情だった。

 

 

あの日、もし森田先生に会いにいかなければ。

私は取り返しのつかないことになっていたかもしれない。

森田先生が私に言ってくれた、あの魔法の言葉。

あの魔法の言葉がわたしの呪いを解いてくれたと同時に、新しい呪文で私に魔法をかけてくれたのだ。

魔法の呪文は、今でも鮮明に頭の中で響いていて、この先も忘れることはないだろう。

 

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2016-11-12 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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