絶対に開けてはいけない玉手箱
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:紗那(ライティング・ゼミ)
「ずっと会いたかったんだ」
インターホンを押す前に私は小さくそう呟いた。
私には父がいない。
正確にはこの世のどこかには存在しているが、2歳の時、両親が離婚して以来、一度たりとも会ったことがない。もちろん、父の記憶なんてあるはずもない。
ある時、私はそんな父を探そうと思った。私が知り得る彼の情報は彼の名前と母が唯一残した一枚の古びた写真だけだ。そこには、笑顔の父に抱えられた丸々太った赤ん坊の私が写っている。だけど、私には父がどんな声でどんな笑い方で、なんて声をかけてくれたのか、ひとつもわからない。
こんな話をすると、よくテレビでありがちな「生き別れた父との感動の再会」的な光景が思い浮かぶかもしれないが、私にあのテレビ番組みたいな気持ちは1ミリもない。あの手の番組を見ても、冷めた気持ちでふーんとしか思えなかった。そもそも、産まれてから一度も会ったことのない人が突然現れて、「あなたの親だよ」なんて泣かれてもこっちは困惑するだけだ。
「あんた、だれ? 今まで何してたの?」
としか思えない。
じゃあ、父親を恨んでいるかというとそれも違う。
私が今ここに生きているのは少なからず父親のおかげでもある。そこはしっかりと理解している。
私の気持ちを正しく表現するのならば、父のことを好きでも嫌いでもないし、恨んではいないが、会いたいとも思えない。
そんな、父になぜ会いたくなったのか。
いや、正確には会いたかったわけではない。自分のルーツを知りたかったという方が正しい。
自分というものが何者であるかを知りたかったのかもしれない。
会ってどうしようと思っていたわけでもない。でも私はその時期どうにもこうにも恋愛が上手くいかず、その原因が父がいないことに起因しているかもしれないと気づいたからだ。どうやら、これは一度過去と向き合わなければいけない問題らしい。
普通の子供は親に甘える術を当然のようによく知っている。だけど、私は甘えるという術を身に付けられなかった。
父に甘えたことがないからだ。
母は私を一人で生きていける強い子にするために厳しく育てた。もちろん、私も「あの子の家はお父さんがいないから」と後ろ指を指されたくなくて、普通の子よりも更に上のいい子を目指した。
小学校の頃、先生に
「お母さんと二人で寂しいわよね。かわいそうに」
と言われたことがあり、幼心に猛烈に腹が立ったことを覚えている。
先生に何がわかる! 私はお父さんなんかいなくても寂しくないし、幸せだ!
そうやってずっと強がって強がって生きてきた。だって、小さな私にはそうするしかなかったのだから。ずっと、自分の手で自分を幸せにしてやると誓って生きてきた。
甘えるなんてことは、私には「絶対にしてはいけないこと」だったのだ。
こうして、大人になる頃までに私は「甘えられない女完全版」として完成していた。少ないがいくつかの恋愛もした。だけど、いつも甘えられないという病が私の恋の邪魔をする。
「俺がいなくても、お前は大丈夫だよ」
「俺ばかり甘えていて、なんかお互いに支え合っているって実感が持てないのがつらい」
とか振られる理由はだいたいそんな感じだ。
だから、子供がスーパーに寝転んで泣いてお菓子をおねだりするのを見た時
合コンでモテる女の子があざとく男の人に甘える時
仕事で「こんなの、できないです」とかわいく人に頼る後輩を見た時
私は猛烈に羨ましかった。ねぇ、どうしたら甘えられるの? 私はいつになったらそれができるの?
誰かに心配されても
「私は大丈夫」
と答えてしまう自分の強がり
甘えられないという人としての弱さ
自分以外の人を信じられず、頼ることができないという自分の未熟さ
その問題に向き合いたかったのかもしれない。
そして、私の密かな父探しは始まった。
私は母が隠し持つ父の写真と、父の名前を手に、彼の情報を集めた。戸籍を辿り、あっという間に父の住所はわかった。
その結果に、衝撃を受けた。彼は同じ東京の空の下にいた。それも、割と近くに住んでいたのだ。こんなに近くにいるのに、会いに来ないなんて……。どうせなら、北海道とか、沖縄とか物理的に遠い存在の人であってほしかった。
私は父の家の近くをGoogleのストーリートビューで確認し、そのマンションの小ささから恐らく一人で住んでいると思われるというところまで把握した。そして、ある休日、勇気を振り絞り私は父の家に向かっていた。
普段は降りない見知らぬ駅に降り立つ。同じようなマンションやアパートが立ち並ぶ住宅街の町をただひたすらに歩く。
父を知らずに育った私の28年間の裏で、父はどんな人生を過ごしていたのだろうか?
父は私のことを思い出して胸を痛める日が少しでもあったのだろうか?
そもそも、父はどんな人だったのだろう。
母はあまり父のことを話したがらなかった。それは父が悪い人だからだろうか。
もし、父が私の側にいたなら、私の人生は何か変わっていたのだろうか?
私は普通の甘えられるかわいらしい女の子になれていただろうか?
みんなと同じように幸せな結婚に憧れる普通の女の子になれていただろうか?
駅から父の家までのたったの15分ほどの時間は、私の生きてきた28年分と同じ長さに感じられるくらい色々な思いがひしめき合っていた。終わらない私の葛藤とは裏腹に、ついに父の家と思われる小さなマンションの前に着いた。
そのマンションの目の前で私はどうしても次の一歩を踏み出せなくなった。
きっと、ここに父はいる。
だけど、こわい。
どうしよう。
こわくてたまらない。
逃げてしまいたい。
胸の奥がザワザワして、喉の奥がカラカラに渇き、足元がグラグラと揺れている気がした。
何分くらいだろうか、私はずっと立ちすくんでいた。
封印してきた過去と向き合うということはこうも恐ろしく、自分の気持ちを揺さぶるものなのか。
その時、ふっと風が通り過ぎた。
その風に振り返ると小さな子供が立っていた。
その子は口をへの字にして、不安そうな顔をしている。幼いのに、無邪気さとか、天真爛漫さとかそういうものは全くない。ただひたすら、泣きたいのを堪えてるようだ。
あぁ、私だ。
この子は昔の私だ。
甘えずに強がって生きてきた過去の私に違いない。
私はその子にそっと手を伸ばした。
「お父さんに会いたかったんだね。お父さんが欲しかったんだね……」
ごく自然に、私の口からそんな言葉が溢れていた。
そう問いかけると、その子は小さく頷いてポロポロと涙を流した。その時、私の心の中に封印していた「絶対に開けてはいけない玉手箱」がパコリと開いた気がした。
そうだ。ずっとそうだったのだ。
私はずっと父が欲しくて、父に会いたくて、父に可愛がってもらいたかった。そんな言葉、一度も誰にも打ち明けたことがないけれど。母を困らせてはいけないから、父に会いたいなんて言ってはいけないと思っていた。そういう感情全てを「絶対に開けてはいけない玉手箱」の中に入れ、心の奥深くに封印していたのだ。あの有名な浦島太郎の玉手箱のように、この玉手箱を開けたらよくないことが起こると思っていた。
だけど、今やっと、その感情が解き放たれた。
「なぁんだ、会いたかったんだ。強がりすぎだな」
私は自分の気持ちにつっこんだ。
開けてしまった玉手箱からは、28年分の父への想いがいくつもいくつも溢れてくる。
浦島太郎は絶対に開けてはいけないと言われた玉手箱を開けておじいさんになってしまった。だから、もちろん私は開けてしまった玉手箱のせいでどんなことが起ころうと受け入れる覚悟をしなくてはいけない。
もし、それがバットエンドだとしても受け入れてやろうと思う。もう、気持ちをごまかしたくはない。強がるのはやめよう。
私は震える足で次の一歩を踏み出した。
ずっと目をつぶって来た自分の過去と向き合うために…..。
ずっと、封印してきた会いたかった父に会うための一歩を…..。
「ずっと会いたかったんだ」
心のなかでそうつぶやいて、私はインターホンを押した。
気がつくと、あの小さな子供はもういなくなっていた。
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