車が一台、二台と落ちてくる!
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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「理屈なんていいから、とにかく覚えればいいのよ!」
また私は怒鳴っていた。それも机をバンバンたたいて。毎日のように、そうやって声を張り上げていたのだ。
だって、私の教えるクラスの子供たちは、どの学年も皆やんちゃだったんだもの。授業中、ちっとも静かにしていない。
あの子たちがやんちゃだったのは、たぶん私のせいだ。私に統率力がなかったから、私のことをすっかりナメていたんだと思う。
「理屈じゃないのよ。ただ覚えるの! お願い。覚えて」
私の語気はさらに強まっていた。最後は懇願だ。それも日本語で。
そう。日本語で。
そこは、日本ではなく、メキシコにある私立の小学校なのだった。
私は、メキシコシティにある私立の小学校で、日本語を教えていたことがある。
その学校は、メキシコと日本両国の文部省(当時)の協力で建てられたものだった。そこでは、算数や理科、社会といった授業と同じように、日本語という授業がある。
私は、メキシコに行ってまだ半年の新米教師だった。
しかも、日本語教授法を学んだばかりで、それまで教壇に立ったことのない新米中の新米だ。
不慣れな授業は、緊張と失敗の連続だった。
ふだんはメキシコの母国語のスペイン語で授業を進めていたのだが、興奮してくると、つい日本語が口から出てしまう。
もちろん、子供たちには、そんな複雑な日本語は意味が分からなかっただろう。
その日私が声を荒げていたのには、わけがあった。
学期末テストが近付いていたからだ。
ただの学期末テストではない。結果次第では、私の進退に影響があるかもしれなかった。
教師としての腕前が未知数の私は、とりあえず一年だけという条件でやっと採用してもらえたのだ。今度のテストで私のクラスの出来が悪いと、もう契約の更新をしてもらえない可能性があった。
その学校では、各期ごとに学年で共通のテストがあった。成績の平均点をクラスごとに出すのだが、いつも私の教えるクラスだけ、他のクラスより群を抜いて低いのだ。
それで、とうとう私は教頭に呼ばれてしまった。
「今度のテストでは、少なくとも平均点を60点以上にしてください」
教頭の口調は穏やかだったが、目は笑っていない。
それはそうだろう。60点なんていう低い点は、他のクラスでは出したこともない。
空気がこわばった。
私の尻に火が付いた。
頑張れば何とかなるかもしれない。いや、何とかせねば。
そうは思うものの、気がかりなのは五年生のクラスだ。私の受け持つなかで、とりわけ出来が悪い。
その学期の五年生の課題は、「助数詞」だった。
助数詞というのは、数を表す語の後ろに付けて、どのようなものの数量であるかを示す接尾語のことをいう。「一本、二本」の本、「一枚、二枚」の枚などがそれだ。
テストまで、いく日もなかった。
5年生が覚えなければいけないのは、「本」や「枚」、「匹」、「台」など、基本的なものが八つほど。
つい、「基本的なもの」などと表現してしまったが、彼らにとっては日本語なんて、どれもこれもややこしい。基本もなにもない。
「どうして、ものによっていちいち数え方を変えるの? ぜんぶ1、2、3、でいいじゃない」
リカルドが、もう降参という顔でいってきた。
リカルドは、クラスで一番の悪ガキだった。勉強をしたくないものだから、いつもそうやって授業中に横槍を入れてくる。でも、何だか憎めない男の子だ。
「どうしてって……」
どうしてなんて、考えたこともなかった。何も考えずに無意識に使っている。
いったい何のためにあるのだろう。
私は、明確に答えられない後ろめたさをごまかすように、声をあげた。
「理屈はないの! とにかく覚えるの!」
さんざん教えて、もうそろそろ大丈夫だろうと思ったところで、試しに一人の子に1から10まで数えさせてみた。
「一びき、二ぴき、三ひき……」
ぜんぜんダメじゃん!
私は途方にくれた。私もお手上げだ。
子供たちも集中力を欠いてきたので、授業は中断して校庭で遊ぶことにした。
子供は、授業の五回に一回ぐらいはそうして授業をやめて外で遊ばないと、注意力が散漫になる。
その日に子供たちがやったのは、長縄とびだ。
彼らは長縄とびが大好きだった。
二人の人が縄の端と端を持って大きく回し、他の人が、その輪に飛び込んで縄の回転に合わせてジャンプする。
日本のこの遊びを子供たちに教えたら、たちまち夢中になった。
縄とび遊びの数え歌は、ほとんどの子供が歌える。
「ゆうびんやさん、はがきが落ちました。拾ってあげましょ、一枚、二枚、三枚……」と歌いながら、この「一枚、二枚、三枚……」のところでカエルのようにしゃがんだり伸びたりしながら跳ねる遊びだ。
歌詞の意味を理解しているのかいないのか分からない。分からないが、とにかくぜんぶ歌えていた。
私は、子供たちが遊んでいるのをぼんやりと眺めていた。
これだ!
ふと、いい考えが閃いたのだった。
数え歌を替え歌にすれば、覚えられるかもしれない。
まずは、「ゆうびんやさん えんぴつバージョン」でやってみた。
「ゆうびんやさん、えんぴつが落ちました。拾ってあげましょ、一本、二本……」
これが上手くいったのだ。
翌日は「ゆうびんやさん 本バージョン」でやってみた。
これも上手くいった。
しかも、それから驚くようなことがあったのだ。
ダニエラが、率先して替え歌を作ってきたのだった。
ダニエラは、おてんばだけれどクラス一の優等生だ。
そのダニエラが作った数え歌で、皆が遊んでいたのだ。
「ゆうびんやさん、犬が落ちました。拾ってあげましょ、いっぴき、にひき、さんびき……」
え? メキシコの郵便やさんは犬を運ぶの? まぁいい。「ぴき、ひき、びき」の区別がついているもの。
「ゆうびんやさん、人がおちました。拾ってあげましょ、一人、二人、三人……」
人? 人が落ちたら、拾うんじゃなくて、助けなきゃ!
「ゆうびんやさん、車が落ちました。拾ってあげましょ、一台、二台、三台……」
ええい、もう何でもいいから、威勢よくじゃんじゃんいっちゃって。
この調子でいけば、何とかなる。私はひとまず安堵した。
テストの結果が出た。
私のクラスの平均点は63点だった。微妙な点数だ。
「ギリギリですが、まぁいいでしょう。なにより、子供たちに自信がつきました」
教頭のこの言葉を聞いた瞬間、体中の力が抜けて、その場にへたり込みそうになった。
あれから何年も経つ。
「どうして、ものによっていちいち数え方を変えるの?」
メキシコにいた当時は毎日がてんてこ舞いで、あらためてその理由を考えることはなかった。
それに、考えるほどのことでもないと思っていた。うまく覚えられる方法を見つけて教えれば、それでいいと思っていた。
でも、もしかしたら、そのあともずっと、心のどこかに引っ掛かっていたのかもしれない。
「アイボは一人で行動する自立型ロボットです」
先日、テレビからこんな言葉が聞こえてきたときに、ふと、あのときのリカルドの質問を思い出したのだ。
「アイボは一人で」
アイボは人間ではない。でも、「一人で」と、人間のように表現されている。
アイボの造り手は、アイボを「人のようなもの」として捉えているのだろうか。「人のようなもの」として世に広めようとしているのだろうか。
これがもし、「アイボは一台で」、あるいは「アイボは一体で」と表現されたらどうだろう。
アイボに対して抱くイメージは、全く違うものになる。
日本語の助数詞というのは、話し手が対象物をどのように捉えているかを表しているのではないだろうか。
例えば、魚は海で泳いでいるときは「匹」で数える。これが、食材として魚屋さんの店先に並ぶと「尾」で数える。
他にも、例えば、人を「匹」や「頭」で数えたら殴られてしまうかもしれない。それは、人が「匹」や「頭」で扱われることに抵抗を感じるからだ。
それに、対象とするものの形状や性質を表しているともいえそうだ。
もし、知らない言葉、たとえばそれが「てんろう」というものだとしよう、その「てんろう」が一枚といわれれば、聞き手は何か平べったいものを想像するだろうし、「てんろう」が二台といわれれば、何か立体的なものを思い描くだろう。
助数詞がつくことで、話し手と聞き手とでイメージの共有ができる。
私たちは、数え方に区別をつけることで、ものに対する思いをのせたり、意志の疎通をスムーズにしたりしている。
そうした日本人の細やかな心や価値観が、言葉に反映されているように感じる。
言語を教えるというのは、一つひとつの語の意味を教えるだけでは足りないのかもしれない。
その語をとおして、言葉にやどる文化や価値観を伝えることができれば、本当にその言語を教えることができたといえるのかもしれない。
そのことを気付かせてくれたのは、異国の子供たちだ。
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