人類が1080億回経験したこと
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記事:星有希(ライティング・ゼミ10月コース)
間もなくやってくる、出産の日。
私は一人の人間を、自力で体外に押し出さなければならない。
とんでもなく痛く、とんでもなく苦しいのは間違いない。
その時がいよいよ迫ってきて、私は恐怖でどうにかなりそうになっていた。
どうすれば、この恐怖を打ち消すことができるのか。
私は必死に考えた。
そして、ふとある考えが頭に浮かんだ。
スマホで「世界 人口 累計」と検索。
出てきた答えは「1080億人」。
そう、単純計算で人類は、1080億回出産を経験しているのだ。
それだけの経験があるのなら、私もきっと乗り越えられるに違いない。
私はそうやって自分を励ますことにして、来るべきその日に備え、マタニティ雑誌を読み返した。
陣痛は、10分間隔の軽い痛みからスタート。
次第に、頻度、強さが増していく。それに伴い、子宮口が少しずつ広がっていく。
7分間隔を切ったら病院へGO。
最終的に陣痛は1〜2分間隔、痛みはMAX、子宮口は10cmに。ここまできたら分娩台に移動し、陣痛の波に合わせて繰り返しいきめば、赤子誕生だ。
そして4月30日夕刻、ついにその時はやってきた。
なんとなく、お腹が痛い。
落ち着いて、間隔を記録する。
そして早速、軽くパニックになった。
7分、2分、4分、
えっ……なんか間隔バラバラだし、2分っておかしくない……?
病院に電話すると「もう来ていいですよ」。
タクシーでの移動中、痛みはどんどん増してきた。
19時ごろ病院に到着。
助産師さんが、陣痛の間隔と、子宮口の開きを確認する。
「2分間隔だね。子宮口は、まだほとんど開いてないね」
えっ……そんなパターン、あるの……?
「夜のお産は暗い方が進むから、電気消すね! なんかあったらナースコールで呼んでね」
私は突然、真っ暗闇に一人取り残された。
いろいろと、状況が飲み込めない。
しかし、ここで頑張る以外選択肢はなさそうだ。
とりあえず私は、ベッドの上に正座した。
友人から「陣痛は正座で耐えると楽」と聞いていたので、まずそれを実践することにしたのだ。友人の教えは本当で、座っている方が楽だった。
しかし、これにはデメリットがあった。2分間隔だと、体勢を変える時間がないので、ずっと正座し続けているしかない。
私は真っ暗闇の中、一人正座をして、繰り返し襲ってくる陣痛に耐え続けることとなった。
たまに助産師さんがやってきて、子宮口の開きを確認する。
そして「う〜ん、まだ4cmだね」などとショッキングな結果を教えてくれる。
深夜3時ごろになると、新たな段階に突入した。痛みも強烈だが、同時に、強烈な便意も襲ってくる。赤子の頭で肛門も圧迫されるので、便意のように感じるのだ。
私はもう、呼吸すらうまくできなくなり、本当にもう限界だと感じるようになった。そして初めて、ナースコールを鳴らした。
やってきた助産師さんは言った。
「あなた、まだまだ時間かかるのに、このくらいで痛いってゆってたらダメよ」
そして去っていった。
えっ……ちょっと待って、本当に私もう限界だよ……?
私はもはや、痛みと便意で座っていることすらできなくなって、脚をギュッとクロスした状態で立っていた。
しばらくすると、別のリーダー格っぽい助産師さんがやってきた。
「全然ナースコール押さなかった星さんが押すってことは、本当に辛いのかなと思って見に来たよ〜」
そう言って、子宮口を確認してくれる。
「うわ! もう全開だよ!! 隣の分娩室すぐ移動するよ! ていうか、よく立ってたね?」
えっ……ちょっと待って、それ、もうちょっと早く確認してくれてもよかったんじゃ……?
バタバタと分娩室に移動。言われるがままに、う〜んといきむ。
2回くらいいきんだとき、リーダー格の助産師さんが言った。
「赤ちゃんの心拍が確認できなくなってるから、会陰切開(※お股の切開)して早く出しちゃおう! 先生呼ぶね」。
私のお腹にはずっと、赤子の心拍を確認する器具がついているのだが、反応がなくなっているというのだ。
すぐに若い先生がやってきて、助産師さんに手伝ってもらいながら本格的な手術のような服装に着替え始める。頭になんか被ったり手袋をはめたり、結構時間がかかっている。
その間、また別の助産師さんが「産まれたら赤ちゃんにこのバンドつけますからね」とゆって、知らない人の名前が書かれたバンドを私に見せてきた。よくわからないまま「はぁ」と返事する。するとリーダー格の助産師さんが「星有希さんです!」と大声で言った。母親の名前の確認だったらしい。危なかった。
身支度がなかなか終わらない先生を視界に入れながら、言われるがままにもう一回いきむ。
ずるるん!!!!
えっ……今、出ちゃった……?
「男の子〜!! おめでとうございまーす!!」
えっ……私、ついさっき「あなたまだまだよ」って言われたんですけど……?
状況が飲み込めないが、とりあえず助産師さんに動画撮影を頼む。
赤子が私の肩のあたりにつれて来られる。
すぐに赤子は別の部屋に連れて行かれ、バタバタと片付けが行われる。
いつの間にか、先生と私だけが部屋に残されていた。
窓からは、朝の光が差し込んでいる。
先生は、結局切開が間に合わず、自然と裂けてしまった会陰の縫合を始めた。
麻酔はしているはずだが、チクチクして地味に痛い。
チクチク、チクチク、チクチク……
チクチク、チクチク、チクチク……
チクチク、チクチク、チクチク……
えっ……なんか、ものすごい縫ってない……?
縫い始めて、20分は経っている。
「あの……あとどのくらい時間かかります? もう、終わりますよね?」
「そうですね、あと10分くらいです」
えっ……あと10分も……?
「あの……何針くらい縫ってるんですか?」
「あー、会陰の縫合は、あまり何針という数え方はしないんですが、強いて言うなら20〜30針ですかね。でもこれくらいは普通ですよ」
えっ……20〜30針……? これが普通……? 人体の設計間違ってない……?
長かった縫合がようやく終わった。病室に移動して、ベッドに横になる。
傷はズキズキ痛み、お腹は気持ち悪く、軽い脱水症状のようで熱があり、全身に力が入らず、寝返りをうつことすら難しい。
最大の山場は乗り越えたはずなのに、昨晩の陣痛が苦しすぎて怖すぎて、今も体が辛すぎて、私の気持ちは沈んでいた。
出産直後に撮ってもらった動画を確認すると、私の表情には一切笑顔がなく、抜け殻のようで、もはや自虐的におもしろかったので、家族やごく親しい人に「私の表情おもしろくない?」と送った。
すると、一人から、こんな返信がきた。
「なんか、感動なんですけど」
えっ……「感動」……!?
その言葉は、私が全く予想していなかったものだった。
そっか、これって、感動するようなことなんだ……。
改めて、自分でも動画を見てみた。
突然、目頭がジーンと熱くなってきた。
そっか、苦しかったけど、私頑張ったんだ。無事に赤ちゃんが生まれたって、すごいことなんだ。
私の心に、温度が戻ってくるのがわかった。
人類はこんなにとんでもない苦痛を、1080億回も経験してきた。
同時に1080億回、命があることの幸せを、感じてきたに違いない。
出産って、とんでもなく辛いけど、とんでもなく素晴らしいのだ。
ただ、マタニティ雑誌にはぜひ、次の2つを目立つように記載いただきたいところである。
「※陣痛は最初から2分間隔の人もいます」
「※縫合は20〜30針が一般的です」
***
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