新幹線のグリーン車には目に見えない特典がついていた
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:あおい(ライティング・ゼミ)
7号車7番C。
これは、私が新幹線を利用するときの指定席の番号。77の席と私は勝手に呼んでいる。
5年ほど前から、仕事の関係で新幹線を利用することが多くなった。
多い時には、週に2回ぐらい、往復で考えると4回ぐらい乗ることもある。
新幹線に乗り始めた当初は、みどりの窓口やディスカウントチケットの店までわざわざチケットを買いに行っていたのだけれど、1年ぐらい経った頃に、ネットで予約ができると友人から聞いて、すぐに資料を取り寄せ手続きを済ませた。
ネット予約のメリットは、スマホがあれば夜中以外はいつでもどこでもチケットの予約ができるので、わざわざ窓口に行かなくてもいいし、ICカードで改札を通れるから、発券の必要もないし、空いてさえいれば、出発時間の15分前まで好きな座席が指定できるという、本当に便利なシロモノなのである。
で、冒頭の77の席。ネット予約を始めた頃は、その日の気分で12号車14番Aという感じで適当に座席を取っていた。ところが、自分の予約した座席が14号車12番だったのか、12号車14番だったのか、はたまたそれは前回乗車したときのものだったのかわからなくなり、乗車するまでの間に何度もチケットを確認するということが続いたのだ。要するに記憶できないのである。そのことに気づいてから、そうだ、いつも同じ席を予約すればいいのだと思い、私の好きな数字である77の席をとることに決めた。すると不思議なことに、他の席は埋まっていても私のために空けておいてくれたかのように77の席だけ空いていたりするのである。
そんな私が、77の席を取らないことがごくまれにある。
それはグリーン車に乗るとき。実はこれもネット予約の特典。ネット予約するとそのたびにポイントがつく。そして1000ポイント貯まると、なんと通常の料金でグリーン車に乗れるというおいしい特典がついてくるのである。
そんなわけで3ヶ月に一度ぐらいはグリーン車に乗っているのだけれど、実は私が始めてグリーン車に乗ったのはポイントではない。グリーン車料金を払って乗ったことがたった一度だけある。
あれは今から15年ぐらい前、ある成功した実業家の講演を聞いたときのことだった。その方がおっしゃるには、「僕が今こうやって成功できたのは、人と人とのつながりを一番大事にしてきたから」だと。そのつながりのはじまりが新幹線のグリーン車で出会った人だったらしい。グリーン車には、中小企業の社長や、大企業の重役、あるいは芸能人など、いわゆる一流と言われる人が多く乗っている。一流の人と知り合いになって、一流の人がどうやって一流になったのか知り、それを真似すれば一流になれると思ったその方は、当時決してお金があったわけではないけれど、つまらないことにお金を使うぐらいなら、着る服を我慢してでもそのお金でグリーン車に乗ることにしたそうだ。
「新幹線のグリーン車からはじまった人と人とのつながりが、今の自分を作っている」と彼はいった。そして親切なことに、グリーン車で隣の人と知り合いになる具体的方法(コーヒーを買うときに小銭をばらまき、ひろってもらったお礼にコーヒーをご馳走し、それをきっかけに話し始めるという技)まで伝授してくれた。
当時新幹線に乗る機会がなかった私は、わざわざ実行してみようとは思わなかった。ところが新幹線に乗るようになってから、その成功者の話を思い出し、何でもとりあえずやってみる派の私としては、よしそれなら一度乗ってみようじゃないの、と思いたったのである。とはいえ新神戸から東京は初回のチャレンジとしてはさすがにハードルが高かったので、新神戸から福山(広島県)に行く予定ができた時、勇気を出して買うことにした。所要時間は約一時間。しかも、隣に人が座っていなければ知り合いになれないので、わざわざ窓側が埋まっている席の通路側を取ることにした。
乗車の当日、朝からワクワクしていた。
どんな人が隣になんだろう? 社長さんかな? いやもしかして芸能人?
イケメンの2代目とかなら最高! と妄想は止まらない。
そしていよいよ乗車の時。いつになく緊張する。
グリーン車に始めて乗ります、みたいな空気が出ないように、いつも乗っています的な感じで堂々と乗り込んだ。
自動ドアが開く。グリーン車のじゅうたんが見える。緊張しながら自分の座席を探す。
「あった!」と思ったと同時に、私が座るはずの座席には、お土産やらカバンやら荷物が山のようにおかれているのが目に入った。
「すみません」とその荷物の持ち主であろう窓側の女性に、できるだけの笑顔で声をかけた。
年齢は60歳ぐらいだろうか。新聞を広げ、パンプスを脱ぎフットレストに足をかけくつろいでいた上品な感じのそのおばさまは、私の顔を見て明らかに驚いている。
「ここ、私の席なんですが」というと、慌てて座席の上にあった荷物を自分の方に引き寄せた。
「ありがとうございます」といって私は席に着いた。
なんとなく不穏な空気が流れる。
隣のおばさまは、新聞を読み続けているが、あっちをめくりこっちをめくり、明らかに落ち着きがなく様子がおかしい。
イケメンでもなんでもない普通のおばさま。しかも全く話せそうな気配もない。小銭をばらまくなんてこの状況では有り得ない。残念だけど知り合いになるのは難しそうだ。こうなったらグリーン車を満喫するしかないと思った。
動き出すとすぐ、女性の乗務員がおしぼりを持ってきた。さすがグリーン車。このあとお茶でもでてくるのか? ちょっと期待したけど何も出てこなかった。
仕方がないので、座席の前のポケットに入っている雑誌でも読んでみるかと思い、取り出して読んでいたときのことだった。
車掌さんが検札にやってきた。チケットを見せる。そして彼女の番。すると彼女は、私が隣に座っているにも関わらず、そんなことはお構いなしといった感じで車掌さんに向かってこういった。
「席を変えてもらえません? 隣の席が空いているところに。たくさん空いているみたいだし」
確かにたくさん空いている。
そりゃそうだ。私があなたの隣に来たのは、席が空いてなかったからではなく、わざわざ隣が埋まっているのを確認して座席をとったのだから。
「お客様、今は空いておりますが、このあと予約がはいっているお席もございますので、
ちょっとお調べいたします。少しお時間いただけますか?」
車掌さんは優しい口調で答えた。
「こんなにたくさん空いてるのに? いいわ、わかったらすぐ変えてください」
少し苛立ったように彼女は答えた。
「はい、かしこまりました」
私の目の前で、私が座っているにも関わらずこのような会話が繰り広げられている。
感じわるっ。
私が隣に座っているのに、目の前でそれ言う??
私が来たのがそんなに嫌なわけ?
せめて、私のいないところでできへんか? その会話。
勇気を振り絞って乗った最初のグリーン車で、まさかこんな目に合うとは、思ってもみなかった。
なんや、グリーン車で知り合いなんて無理やんか。
とはいえ、このまま感じ悪い状態で過ごすのも嫌だったし、私は彼女にこう告げた。
「あの、あと30分ぐらい、福山で降りますから」
すると彼女はこういった。
「ごめんなさいね、あなたが嫌とかそういうわけじゃないのよ。そうじゃなくて、私今まで何度もグリーンを利用しているけれど、隣に人が来たのは初めてなの!」
「ええっ、そうなんですか!」
常に普通車両を利用していた私にとって、隣に人が来たのが初めてだという彼女の言葉に驚きを隠せなかった。しかしあの成功者は、グリーン車で隣になった人と知り合いになって人脈を作ったって言ってたはず。どういうことなんだこれは? 私は訳がわからなかった。
その後おばさまは、私の斜め後ろに無事座席を移動し、一人悠々と新聞を広げてくつろいでおられる様子だった。
降りるときに、「お先に失礼します」と声をかけると、「今日はごめんなさいね、よい一日を」
と言ってくれたのが何よりの救いだった。
最初のグリーン車体験で痛い目にあった私は、成功者の言うことを鵜呑みにするのはやめようと思った。その一件以来私は、グリーン車で一流の人と知り合いになるということは諦め、ポイントが溜まってグリーン車に乗ることになっても、決して隣が埋まっている席を取ることはなく、一人で乗ることに決めたのだった。最初はなんとなく広すぎて落ち着かなかったけど、慣れるとやはり快適で、自分ひとりの空間を満喫できることにちょっと優越感を感じながら乗れるようになった。ポイント特典で乗車しているということも忘れて。
そうやって特典でグリーン車に乗れるようになって数回目の出来事だった。
今日も久々のグリーン車を満喫するぞ! と思いながら、グリーン車対応でいつもよりも少し高い弁当を買い、いつものように東京から新神戸まで隣が空いている座席を予約したつもりだった。
ところが、それから数分後、事件は起こった。
品川に到着したとき、なんと私の隣に人がやってきたのだ!
これから3時間弱、一人の時間を楽しもうと思っていた矢先に、おじさん登場。しかも私が勝手にイメージしていたグリーン車向きのダンディなおじさまとかではなく、典型的日本人のおじさん。
まじか……
仕方がない。隣の座席に置いていた荷物を、自分の方に寄せる。
グリーン車の二人がけは、思った以上の圧迫感だった。グリーン車特典のフットレストは、一人の時には十分機能しているものの、キャリーケースを足元に置くと、とんでもない狭さになってしまい、ただただじゃまなだけだった。あらかじめ隣に人がくると覚悟して乗っている普通車両とは違って、予期せぬ出来事だったということも大きく関係しているとは思うけれど、私の凹みようはかなりのものだった。それは、隣の人をおじさんと呼べるほど自分が若いわけでもなく、正規にお金を払ったわけでもなく、ポイントを使ってグリーン車に乗っている、そのことさえも忘れてしまうほどショックな出来事だった。
考えてみれば、グリーン車といえども、じゅうたんがひいてあるのと、ちょっと座席がゴージャスなだけ。決して一足早く着くわけでもないのに、この差額の価値はどこにあるのかと正直思っていたのだけれど、その時はっきりとわかったことがあった。
グリーン車に乗ることの価値とは、隣に人が来ないこと、つまり物理的に購入するのは一席だけれど、心理的には二席分買ったつもりになってしまうという、目に見えない特典がグリーン車にはついていたのだ!
そしてその特典は、必ずついてくるというわけではなく、運がよければという条件付きにも関わらず、いつのまにかその目に見えない特典を享受して当たり前だという気分になってしまう。溜まったポイントで乗っている私でさえそうなのだから、もしあのおばさまがちゃんとグリーン車の差額を支払って乗っていたとしたら、隣に人が来たらそりゃうろたえるよね、とそのとき初めておばさまの気持ちがわかったような気がした。
それ以降グリーン車に乗る機会が何度もあったが、隣に人が来ることはなく、今のところ毎回目に見えない特典をありがたくいただいている。
とはいえ、この目に見えない特典は、あくまでも運がよければという条件付き。いつなくなるかわからない条件付きなのだ。
そうだ、いつか私もちゃんとお金を支払ってグリーン車に乗ろう、そしてその時には、隣の席の分もお金を払って物理的に自分の座席にし、なんならベンチシートみたいにして横になり神戸まで爆睡して帰るという、条件付き特典では決して味わえない特典を味わってやるぞ、と密かに目論んでいる。
とはいえ、まだ当分は7号車7番Cの座席で、いかにして首を寝違えることなく快適に神戸まで爆睡できるか、そちらを考えたほうが良さそうだ。
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