‘もしもし’になりたいと言った息子の気持ち
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:宇野惠美子(ライティングゼミ10月コース)
「かず君のお母さん、お話があるのですが、お時間いただけますか」
息子を預けている保育園に迎えに行ったある日、園の先生にそう呼び止められました。
先生に話しかけられるというバッドタイミングな事態に、『なんで今日に限って! いつもは母か父が迎えに来るのに』と心でぼやきながら、
「仕事を抜けて来ているので、急ぎでなければ明日お迎えに来る母と話してもらえませんか」
と言って、その場を立ち去ろうとすると、
「少しだけなので」と急ぐキャリアウーマンに気の利かない言葉を発する先生。
当時私はシングルマザーで経営者、仕事一筋で1日のほとんどの時間を仕事に充てていました。地域で最大の英語教室を運営し、営業や実務だけでなく、講師としても毎日せわしく働いていました。そんな仕事クレイジーだった私にとって、園の先生と話す時間がもったいないと思うことは、録画番組のCMをスキップするくらい当然のことでした。
『しつこいな。急いでいるのに』
仕事以外は悪だと考えていた私は、貴重な仕事時間を園の先生との不毛な時間に変えられてしまうという、怒りに似た感情を抱きました。
『ちっ』と心の中で舌打ちをしながら、「少しだけなら」と営業で鍛えた作り笑顔で穏やかに対応する私は、そこら辺の大根役者よりも上等な演技力だったと思います。
「かず君に、将来なりたいものはと聞いたところ、‘もしもし’になりたいって言ったんです」
「えっ? もしもし?」きょとんとする私に、
「お子さんといる時、携帯電話を大事に持って、‘もしもし’と笑顔で話すお母さんの姿を見てそう思うのかも知れません。お仕事で大変かもしれませんが、もう少しお子さんとの時間を作ってあげてください」
そう言われてさよならをした後、先生のおせっかいに気持ち悪さを感じるばかりで、先生の言った言葉の意味などは理解しようとしないまま、息子の面倒をみてくれるファミリーサポートのお宅に急ぎました。他人さまに幼い息子を預け、後ろめたさを感じることなどなく仕事へと戻りました。
けれど、それから5時間と30分の後、私はやっとその言葉に向き合うことになりました。
その日の夜、珍しく姉から電話がありました。その内容は、園の先生の言った言葉の意味を理解させるかのようなものでした。
「あんたは知らんだろうけど、かず君は毎晩寝る前にカーテンを開けて外を眺めてるんやって。あんたが帰ってこないかと、ママに会えないかと、外を見てるんやって。ねーちゃん、それ聞いてツラい」と姉が悲しい声で言ったのです。
そしてやっと、息子の‘もしもし’になりたい、と言った意味を理解しました。
『僕はママとお話したいんだ』
『僕はママに僕の話を聞いて欲しんだ』
『僕はママに僕を見て欲しいんだ』
『僕はママに僕の傍にいて欲しいんだ』
という息子の心が聞こえてきました。
私はシングルマザーとして、一家の大黒柱として、お金を稼ぐことに注力し、仕事中心の生活を送っていました。お金を稼ぐことが私のすべきただ1つのことなのだと言い訳し、子育てを両親やファミリーサポートの他人さま達に任せっきりでした。そのため、息子との時間はほとんどありませんでした。
そんな長い間の育児放棄が、息子の表情を曇らせてしまったのです。遂には‘もしもし’になりたいと考えるほど、母の愛情に飢え、母の愛情を欲していたのです。
園の先生の言葉を理解した私は、涙が溢れてしばらく止まりませんでした。息子の寂しい気持ちを考えるよりも、会社の利益や、生徒の成績、保護者の悩みを優先していた自分、本当に大事にすべきことを粗末にし、それに気付くことなく堂々と、会社のリーダーとして従業員を率いり、生徒や保護者にアドバイスしていた自分を恥じ、そんな自分にとてつもなく腹を立てました。
後悔しても失った時間は取り戻せません。けれど、園の先生と姉のおかげで、最も大事なことに気付くことができました。気付けたおかげで、軌道修正しようと思う気持ちを持つことができました。仕事は出来るだけ従業員主導に移行し、息子との時間を作り、遊びに行く時間を増やしていきました。
すると、息子の表情が明るくなると同時に、私の顔つきまでもが柔らかくなりました。そして、その頃再婚できた私は、あれほど大切にしていた会社を手放し、今では息子との失った時間を取り戻すべく、「おはよう」「いってらっしゃい」「おかえり」「おやすみ」の言葉を、毎日息子の目を見て言っています。息子の傍で息子の話を聞き、語らい笑い合っています。
息子の顔には笑顔が増えました。昔、寝る前の日課になっていたカーテンを開けて窓の外に私の姿を探す息子はもういません。
先日、息子に将来なりたいものは何かと聞きました。
「えっとねえ、プログラマーかな」
***
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