メディアグランプリ

あの頃に囚われない、今の私に丁度いいお酒との付き合い方

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:三浦美沙(ライティング・ゼミ2月コース)
 
 
自宅から徒歩で5分とかからないところにイタリアンレストランがある。コバルトブルーの日よけと白壁が印象的で、店内に置かれた明るい色の木製のテーブルセットが素朴であたたかい印象の店だ。30代後半くらいの男性の店主が一人で営む小さな店で、十数席ほどのテーブル席とカウンター席もあるが、ランチもディナーも2組しか入れていないようだ。前を通りかかるといつも大きな窓から2〜4人連れの客が笑い合いながら食事をしているのが見える。
 
私達夫婦がその店に行ったのは、東京で今年初めて雪が降った寒い日だった。夜には雪は雨に変わった。その日は金曜日で、それまでの数週間はここ最近は経験していなかった忙しさで、パソコンを閉じてもまだ片付いていない仕事のことで頭の中がいっぱいになっていた。そういう日々が週明けもしばらく続くことがわかっていたので週末を前にしても重い気持ちだった。それで気分転換にと、近所の雰囲気のいいレストランでおいしいご飯を食べようということになったのだ。
 
「今日は酔っ払ってもいいよね」と聞くと、夫は面倒くさそうな顔をしていたが承諾した。20代の頃は、よく仕事の鬱憤を晴らすためにお酒を飲むこともあった。仕事仲間や上司と連れ立って繁華街の居酒屋に繰り出し、お酒を飲みながら仕事の愚痴を話したり、周囲に絡んで管を巻いたりしていたものだ。それはそれで楽しかった。張り詰めたものから開放される心地よさが少なからずあった。最近の仕事の忙しさから、そんな日々のことが少し頭をよぎったのだ。久しぶりに、うさを晴らすためにお酒を飲んでみよう思った。
 
思い返せば、私がはじめてビールを美味しいと思ったのは、社会人一年目のときだった。文系の学部を卒業してIT企業のシステムエンジニアとなった私は、右も左もわからない中、とにかく他の新人に遅れを取ることが不安で、そうならないよう毎日必死に働いていた。200名弱いたその年の新入社員のなかで、女性では一番の残業時間だったと後に人事からこっそりと教えられた。
 
その日も、進めていたプロジェクトが佳境で、一日中あまり休憩も取らずに仕事をしていた。一段落したので息抜きにと、先輩に新宿西口にある中華料理屋へと連れて行かれた。運ばれてきたのは、アンティークのようにも見える無骨な作りの厚みのあるグラスで、キンキンに冷えたビールがなみなみと注がれていた。両手でつかんで持ち上げるとずっしりと重い。グラスに唇をつけて、冷えたビールを少しずつ流し込んでいくと、疲れでだるくなった身体がもう一度奮い立つようだった。「これがのど越しか。はじめてわかりました」とつぶやいて先輩に笑われた。それまで少し怖いと思っていた先輩と少しだけ打ち解けられた気がした。
 
私にとってお酒は、長いことそうしたコミュニケーションツールだった。本当は臆病で潔癖で人と打ち解けることに多大な時間が必要な自分が、お酒を飲んで、普段口にしないような愚痴を言ったり悪態をついたりして、それを面白がる周囲の大人たちと距離を縮めるための道具だったのだ。もちろん、お酒のせいで嫌な思いや面倒な目にあうこともあったので、全部がいい思い出とは決して言えない。でも、集まった人々、選ばれた話題、料理の味、店員の人の良さ、天気に至るまでさまざまな条件がぴったりと揃う特別な夜には、忘れられないような楽しい思いもしたのは間違いない。
 
コロナを過ぎて、そういうことはなくなった。お酒は、夫婦の間で食事とともに純粋に楽しむものに姿を変えた。飲む量もだいぶ減った。もともと弱かったこともあって、缶ビールなら1本を二人で分けた量で十分なのだ。小さめのグラスに注がれた1杯を、あの頃知ったのど越しが一番美味しいひと口、ふた口で一気に味わって、あとはのんびりと食事を味わう。
 
イタリアンレストランで意気込んだ私が飲んだ量は、結局シャンパンと白ワインをそれぞれグラスで1杯ずつの計2杯だった。夫に仕事の愚痴を言いながら管を巻こうとしていたのはアンティパストとスープまで。メインを食べる頃には、最近読んだ小説のあらすじをお互いが発表し合うというたわいない会話をしながら、美味しい美味しいと料理をむさぼるだけになっていた。美味しいワインと食事でお腹をぱんぱんにして、いつしか仕事の疲れは忘れていた。
 
食事も終わり、再び5分とかからない道のりを傘を差しながら二人とぼとぼと帰った。歩きながら「これでよかったんだっけ」とふと思う。そして「いや、これでよかったのだ」と思い直す。あの頃感じていたような、キラキラともギラギラともいえるような弾ける感情はない。それでも、あたたかい小さな店で、人の良さそうな店主に給仕される美味しいお酒と料理でお腹を満たしながら平凡な会話をする。こんな時間が今はかけがえのないもので、時を経た私なりの、背伸びも無理もない、お酒の楽しみ方なのだ。
 
 
 
 
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2023-02-22 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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