だれか私をステキに撮ってください。
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:との まきこ(ライティング・ゼミ)
小学校、中学校、高校……。どの卒業アルバムでも、集合写真以外で私が写っている写真は1枚くらいしかない。
ただでさえ透明人間のように存在感がうすく、これといって何かに秀でている生徒でもなかったから、しょうがない。それに、そもそも目立つことを好まなかったのだから、カメラの前に私が現れる機会が圧倒的に少ない。
アルバムに写っている同級生たちは生き生きしていて、本当にいい顔をしている。こんな表情をされればカメラマンだったら写真におさめたいだろうし、先生たちだってこういう生徒たちをアルバムに載せたくなるよなあと、素直に思う。
それにしてもだ。もう半世紀近くも生きているのだから、自分でも「いいなあ」と思えるようなステキ写真の1枚や2枚あってもいいではないか。
ステキ写真が1枚もないから、自分のFacebookのプロフィールには、3歳の頃の写真を使っている。
私は人を写真に撮ることが好きだ。改まってポーズを取って、さあ撮りましょうというスタイルではなく、人が何かをしているときの、たとえば、熱心に何かをしているときとか、話しているときとか、ただ遊んでいるときとか、そういうカメラを意識していない表情をとらえるのが好きなのだ。
肉眼で相手を見ているときよりも、カメラのレンズを通したほうが、その人の表情がよく見える。そして、その人がステキになった一瞬を逃さずシャッターを押すのだ。
それなのに。私はみんなのステキな顔を撮っているのに!
私をステキに撮ってくれる人はだれもいない。私のヘン顔ばかりを撮るなんて、意地悪にも程がある。
……なんてことはもちろんなくて、私の顔がヘンなのだ。いや、ブスの類には入るが、顔自体がヘンというよりも、恥ずかしくて表情をつくることができない。だから、ヘン顔に撮られてしまうのだ。
世の女子たちは、かわいく写真に写るように鏡に向かって日々研究しているのかもしれない。写真だといつもと違って急にかわいくなったり、いつも同じ笑顔で写っているのは、日々の表情研究のたまものなのかもしれない。きっと、そうに決まっている。
私はといえば、かわいい表情の研究などという以前に、鏡を見るのが苦手だ。とくに、美容院とかデパートのトイレなど、他人がいる場所で自分の顔を正視するなんてとてもじゃないけどできない。
美容院では否応なく鏡の前に座らされるが、カットしてもらっている間、鏡は見ない。カットが終わると「いかがですか~」と言われるので、そのときは見ざるをえないが、うまいこと顔は避けて、自分の髪の毛の部分だけを見るワザが私にはある。
デパートのトイレでは、うつむいて手だけを洗ってさっさと出る。だから、家に帰ってから髪の毛が乱れていたり、歯に青のりがついていたことに気がついて、後悔することになる。
自分が鏡を直視できないせいか、トイレの手洗い場に陣取って、エンドレスに化粧直しをしていたり、髪の毛をいじっていたりする女性が許せない。
最近は、化粧直し専用のスペースがあるトイレも多いが、そういったものがないところで、いつまでも鏡の前にいられると手が洗えない。
相手に悪気はなく、ただ単に気がついていないだけなのだから、「すみません、手を洗いたいのですが」と穏便に言えばすむはずだ。なのに私ときたら、その気がつかなさに無性に腹が立って、いやみったらしくじめーっとその人をにらみつけてしまう。
だけど、気づかいがないこと以上に腹立たしいのは、人前で臆面もなく自分の顔を見ている彼女たちのナルシスト的性質なのだ。
「たいしてかわいくもない顔を、そうやってよくもあきずに見ていられるねえ」
「いくらいじったって、たいして変わらないよ」
と自分のブサイクを棚に上げて、ものすごく意地悪なことを思ってしまう。自分でもいやなヤツだと思う。だけど、勝手にそういう感情がわき上がってきてしまう。自分の顔をまともに見られないから、それが平気でできる人への妬みなのだろうか。
こんなふうに相手をバカにするくらいなら、私も鏡に映った自分をうっとりと眺めればいいじゃないか。
ということで、トライしてみた。
買い物客で激混みの新宿伊勢丹の地下の女子トイレで。
……が、できない!
いつものようにうつむいて手を洗って、そそくさと出てきた。
そうか。
「たいしてかわいくもない顔だから、ほどほどにしておけ」
というセリフを自分に対して言うのをやめない限りは、カメラの前でにっこり笑うこともできなければ、人前で鏡を見ることもできないのだ。
かわいくないんだから、それなりにしておけばよいのだ。かわいくないヤツが努力したって、むしろ努力すればするほど「イタイ」だけなのだから。努力しなければ、努力がむなしく終わることはないのだから。「私、かわいくないもーん」と開き直ってヘン顔をしていれば、だれからもバカにされることはない。
そうやって、私は自分を少しでもかわいく見せることを長年放棄してきたのだ。それと同じことを、トイレの手洗いを占領する女性たちにも強制しようとしていたのだ。
なんだか、このヘン顔癖は私の人生そのものみたいに思えてきた。
どうせ私は何の取り柄もない。
いろんなことにトライしてみるものの、なにもかもを中途半端に終わらせている。だって、努力したって一流になれないから。
そうやって本気で努力をすることを放棄し、開き直ってきた。そんな自分を直視することも避けて、すねているだけだった。その結果、頑張っている人を「能力がないんだからもうやめればいいのに」などとバカにする。トイレの女性たちをバカにするのと同じように。そして、同じように自分で自分をバカにしていたのだ。
あるタウン紙で、表情筋のトレーニングというものが紹介されていた。そこには、そのトレーニングのインストラクターが目や口をこれでもかというくらい開いたり、左右上下に思いきり動かしたりしたヘン顔が載っていた。こうして思いっきりヘン顔をして顔の筋肉を鍛えるらしい。
でも、インストラクターのヘン顔写真はステキだった。目鼻が整っているというかどうかは関係なく、生き生きしているのだ。卒業アルバムに載っているあの子たちみたいに。
それ以来、私は毎日お風呂の中で表情筋トレーニングをやっている。始めてから2ヶ月がたったところだ。顔の輪郭は少しシャープになった。……ような気がする。
ヘン顔でトレーニングすることで、カメラの前でも道を歩いているときでもヘン顔にならないようになることを信じて、地道にやっている。
始めてから2ヶ月がたったものがもう一つある。こうして文章で表現することだ。つい人と比較して「私なんて文才ないし……」とすねたくなることもあるが、そこはぐっとこらえて書き続けている。ここでこらえないと、いつまでも他人だけでなく自分をもバカにしてしまう。すねた自分のままで人生が終わってしまう。
今まで何でも途中で放り投げてきたのに、今のところ書くことについてはなぜか粘っている。プロのライターになるといった明確な目標もないのに。不思議だ。
ということで、もしも私が卒業アルバムの子たちみたいにいい顔をした人間になったら、だれか私をステキに撮ってください。
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