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【色気のレシピ】「色気」の「色」って、結局は、水彩絵の具で出来ているんだと思う


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:長谷川 賀子(ライティング・ゼミ)

 

 

「もう、色気の「イ」の字もないよー、どうしようねー」

 

高校一年生の時、冗談交じりに、そんなことを言って、友達とケラケラ笑っていたのを、ふと思い出した。

 

思い出して、「もう、まったく」と、おかしくなった。

行事の準備の後、うっすらペンキが残った手を、ひらひらさせながらしゃべっていたって、色気なんて湧いてきやしないのに。

高校生なんだから、色気なんてなくってもいいのだ。というか、なんとかなるのだ。

 

制服の生地の立て方だって、中学校の時よりは少しだけウエストが絞られていたくらいで、ほとんど、まっすぐ。朝早く起きて、電車に乗りながら英単語帳を開いて、学校で授業を受けて、部活をして、塾に行って、家に帰って、勉強して、くたくたになって、寝る。その繰り返し。そして、その生活の中には、色気なんかよりもずっと必要で、ずっとずっと欲しいものがたくさんあった。今思えば、どう見ても集中できない赤のようなオレンジのような色に、自己主張の激しい黒い文字が張り付いた本を持っていたって、解けるようになりたい、以外の感情なんて、湧いてこなかった。

 

でも、高校生の頃だから、それでよかったのだ。

透き通った空みたいな爽やかな気持ちで、過ごせばいいのだ。

あの澄みきった日々は、二度と戻っては来ないのだから、

あと数年で、大人の女になるなんて予感がしながら、過ごさなくたって、いいのだ。

 

そう思って、我に返る。

あと数年。高校一年生の私から、あと数年。

高校を卒業して、あと数年。

って、数年って、いったい、いつなんだろう。

 

大学に入って、もう数年が、経ってしまった。

年齢は、21になった。

大人の女になるなんて、まだ生意気かもしれないけど、予感くらいしていてもいい。というか、していなくちゃいけない。

「まだ」生意気かもしれない、なんて言っている時点で、さらに「数年後」だって、きっとそういい続ける。目に見えている。

なにより、欲しいんだ。欲しいんだよ、色気が。

そろそろ、予感が、しないだろうか、と、

目を凝らしても、耳を傾けても、いっこうに音沙汰はない。

 

はあ。

 

さっきまで、高校生の時の自分を思い出して、笑っていたのに、急に落ち込んだ。

 

21歳のわたしは、昔自分が想像していたより、ずっと子供だった。

女の子と女の間を、中途半端にうろうろしている感じだ。

こんなものなのか、自分の成長が悪いのか、そのところは不明だったが、とりあえず、中途半端なことは確かだった。

 

そして不幸なことに、ネガティブな思考に陥ると、さらにネガティブなことを思い出すのである。

 

「色気のある子って、小さい頃からなんか違うよねー」

 

母が言っていたのを思い出してしまった。

これも高校生くらいの時の会話だったと思う。幼稚園から中学までの同級生の話になって、思い返してみれば、なるほどと思ったのだ。幼稚園なんだから意識するわけもないが、何となく、仕草とか、動きとかが、色っぽい。もしかしたら色気の前兆となる何かなのかもしれない。ともわれ、「色気」というものを含む、何か、を、生まれつき持っている人がいることを思い出した。

 

はあ、じゃあ、わたしには、無理なのか。

お母さん、なんであの時、そんなこと言ったんだよー。

色気の「イ」の字もないわたしは、途方にくれた。

 

い、いや。

ネガティブシンキングは、よそう・・・・・・。

 

途方に暮れることさえ哀しくなったので、ネガティブスパイラルからは、さっさと抜け出すことにした。

 

大丈夫、大丈夫。

落ち着け。はじめっから全員、大人だったら怖すぎる。

 

っていうか、冷静に見てみたら、みんな必死に手に入れようとしているのかもしれない。

 

最近のファッション誌の表紙の主役は、「色気」や「エロ」。「ふわふわ癒し系」より、「色」とか「艶」とかそういう言葉の方が、圧倒的に多い。中をひらけば、色っぽいメイクの仕方や、ファッションの着こなし方が、艶やかなモデルさん、女優さんの写真と共に語られている。ある化粧品メーカーのCMも、色っぽさを誘うものだった。

 

みんなが色気を持っていたとしたら、特集なんてしないし、キャッチコピーにも、しないだろう。

 

みんな、欲しいんだ・・・・・・。

 

冷静に考えれば、色気とかエロとかって、大昔から人間の重要問題に関わっているじゃないか。愛とか恋について語るなら、「相手」について語る必要があるし、「相手」について語るなら、魅力、美しさについて必然的に語ることになる。美を突き詰めていけば、かわいいとかそんなのではなくて、結局は色っぽさにたどりつくのではないだろうか。平安時代だって、美しい女がいると聞けば垣間見に行き、そのような様々を色事と呼んだ。女形だって、あの襟の隙間なんて、色っぽいと言わずになんと言うのだろう。

 

若干、話が大げさになってしまったが、まあ、そういうことだろう。

色気が欲しいのは、きっとわたしだけではないだろう。

 

ただ、本当に色気が欲しい時、努力の方向が本当に正しいのかは、疑問である。

ファッション誌の中の洋服も、口紅の赤も、それ自体は、色っぽいのかもしれない。だけど、色気のない人が着たら、ちぐはぐで、さらに野暮ったくなる可能性は、十分ある。もっと悲惨なことは、「色気」というものはうまく見極めないと、ただの下品になりかねないということだ。誰だって、自らすすんで、安っぽくてだらしない女になんて、なりたくないはずだ。また、ほとんどの人が、わかり切っていることだが、写真の中にいるのはモデルや女優。そもそも色っぽい人を選んでいるのだ。服やメイクで人を色っぽくしているんじゃない。モデルや女優と、服やメイクが、互いに、互いの可能性を、最大限に引き出しているのだ。

まるで、大衆向けのように、大きなゴシックの文字で書かれた「色気」という言葉が溢れていたって、「色気」の確固たる地位の高さは、変わらないのだ。

 

そして結局、地位の高さが変わらないから、みんな、憧れるのだし、手にしたいのだ、と、思う。

 

とてもやっかいだが、仕方ない。

そしてわたしも、その、やっかいなこと、を思っている一人なのだ。

 

だったら、いっそ、そのやっかいなことに、手を染めてみよう。

 

色気が欲しくて、まずは型からというのも、ひとつの手だろう。ファッションやメイクを工夫するのが別に悪いわけではないし、最終的に、それが「似合う」自分になりたいのであれば、そこから始めてもいいのかもしれない。ただ、本当の色気が欲しかったら、色気の本質を見なくちゃいけない。型から始めたところで、型より先に進まなければ、結局は、色っぽくはなれないのだから。そのためには、根本的な、何か、が必要なのだと思う。

 

そもそも、色気っていうのは、「気」なのだ。なんとなく漂っているくせに、圧倒的な存在感を放つ、何か、なのだ。視覚とか嗅覚とか聴覚とか、そういうもの以前に、ある種第六感的な感覚に訴えかけるようなものでなくてはならない。内から溢れ出てくるような、何か、なのだ。

外を固めても、内に何もなければ、溢れ出るものはないし、自分に合わないもので外を固めてしまったら、なおさら、「気」にはならない。

 

じゃあ、何が、「気」になるのだろうか。

 

色気がある人に共通するものは、なんなのだろうか。

 

ふと、わたしは、ここで、思った。

ここまで「女」の前提で話を進めているけれど、色気って、別に女性に限ったことじゃないよな・・・・・・、と。大人な男性はモテるし、色気のある男優さんもかっこいい。そうだ、ananの表紙だって、モデルや俳優が、「色気」をテーマに、飾っているじゃないか。あんまりよく見たことはないけど、男性雑誌も、そういうテーマのこと、あるんじゃないか・・・・・・。

 

「女」で考えていくと、自分の主観が、入ってしまう、かもしれない。(そんなはずない! とあまりの哀しさに現実を受け入れないかもしれない、からね。)人は、都合のいいことに、自分のことを棚に上げて話すと、本心が、見えやすい。一度女を棚に上げて、男性の色気について考えてから、棚から下ろせば、何かわかるかもしれない(ちゃんと棚から下ろすので、男性のみなさん、気を悪くしないでくださいね!)。

 

まず、色気がある素敵な男性って、何を持っているんだろう。

そんなの、顔とかスタイルとか、声とかだろーって、ツッコミが入りそうだが、漂う「気」の素を探るのだ。そんなこと言ってしまったら、わたしは一生手に入らないものについて時間を費やしていることになってしまうんだから、元も子もない哀しいお話は、やめておこう。

 

で、何を持っているんだろう。

 

たぶん、「色気のある男性」として共通認識のとれる人で、考えてみれば、見えてくるかもしれない。そうだ! 斎藤工さんを、例にさせてもらおう。うんうん。誰がどう見ても、色気のある大人な男性だ。おっと、うっとりするのは、ほどほどにして、本題に。

 

さて、彼の中に、無くなってしまうと「色っぽい男性」ではなくなってしまうもの、を見つけなければ。「人」を構成する要素は、単純に分けられるものではないので難しいけれど、やってみることにする。

 

ルックスについては散々もういったので確かめはしないが、試しに髪形や服装を変えても、斎藤工は斎藤工だろう。どっちの方が似合う、はあるかもしれないが、彼の内面が、「似合うもの」に変えてしまう。これは女性雑誌の例とおんなじだ。

さてさて「内」には何があるのだろうか。結局は、彼の色っぽい、仕草も、口調も、出てくる言葉も、全て彼の積み重ねてきた時間にあるのだと思う。その時間が何で構成されているのか、されてきたのかが、全てではないだろうか。わたしはテレビや雑誌で話されたことしか知らないから、細かい分析なんてできないけれど、バックパックで旅をしたとテレビの中で話していたことから、彼の目が捉えて来たものと、肌で感じてきたもの、それらをつかむ感覚の幅がどれだけ豊かか、想像するには容易である。わたしの好きなアーティストのCDジャケットの一枚は、彼のカメラが捉えたものだった。古いスタジオで、何となくの流れで、生まれた一枚は、アーティストの魅力と斎藤工の魅力が、彼の切るシャッターとレンズを通して、繋がっていた。そして何より、あれだけの女性からの支持を集めて続けているということは、彼の中に「何か」があるのだと思う。あの素敵な俳優さんの中に詰まっているものは、とどまることなく、溢れてくる。そしてこれは、全部、知性、なんだと思う。

 

髪形や服や、地位まで全部取ってしまっても、きっと素敵な斎藤工は、斎藤工のままだ。だけど、これらの彼から溢れ出る中身すべてを抜き去ったら、きっと、彼は彼ではなくなってしまう。魅力も、素敵さも、そして、色気も。

 

あまりにも、遠い人の話なので、少し逆でも考えてみることにしよう。

失礼な想像だが、斎藤工の外見で、働かずに遊んで暮らしている人がいたとしよう。あの個性的な髪形は、だらしない、と表現され、とびぬけたお洒落は、柄が悪いと、たぶん言われる。それこそ、色気の「イ」の字も、どこかへ消えていってしまうだろう。

身近な簡単な例でみると、ガラス越しにちらっと見えた人が、なんか色っぽくてかっこいいかも、そう思ったとしよう。でも、その人の空気が伝わってしまった瞬間、一気に印象が変わることって、ないだろうか。自分が先に入っているお店に、その人も入ってきて、別の席で食べている様子に品が無かったり、話す内容があまりにも空っぽだったり、そうしたら、色っぽさのかけらもなかったんだと、むしろ最初に期待してしまった自分に、後悔するだろう。

堕落した生活をしている人は、色気のある人が着ていそうな服を着て、お洒落をしているはずなのに、どこかきちんとしていないように、見えるし、

気を使えることと、自分に酔ってかっこつけているだけなこと、それらも心持ち次第で、紙一重である。

ブランド品や高価なものは、それを手にするまでのバックグラウンドがあるからこそなのに、なにか勘違いをして、物が体から浮いていると、まあ、悲惨である。

大げさに言ったら、そういうこと。

現実的にいうと、それに近い感情を抱く、こと。

 

そして、約束通り、女を棚からおろすと、まあ、同じように当てはめて頂けたら、良いと思う。外見をきちんとしておくことは大切だし、お洒落もいいことだと思う。だけど、中身を磨かないで、楽な方法、つまり、外を飾ることだけに夢中になって、方法が目的になった瞬間、人間というものは、醜いことに、なるのかもしれない。

 

まあ、嫌なお話はこの辺にして、

 

結局、色気をまとうには、女性にも、知性が必要ということだし、

色っぽい女性には、知性があるということになる。

 

よく考えてみれば、平安時代に騒がれていた絶世の美女は必ず教養があったし、そもそも、教養がないと歌がよめないから、恋愛ができなかった。(まあ、当時は、身分の違いがあって、歴史の焦点が貴族にしかあてられていなかったこともあるからだろうけれど。)女形の根底にあるのは、きっと役者の魂とかそういうものだろうし、吉原の遊女たちだって、きっとそれで生きていかなければならないという覚悟が、艶やかさを出していたのではないだろうか。

 

現代の女優さんには、女優としてのプロ意識と積み重ねてきた経験と自信が、中にすうーっと通っていて。周りにいる色っぽいな、という人も、その人の中に、その人自身の価値観が潜んでいる気がする。そして、天狼院の色気のある文章は、まさに知性と美的感覚の結晶のようで、いつもうっとりしてしまう。

 

色気の素、というのは、知性であり、それはどこか、「信念」というか、「芯」みたいなものに、近いのかもしれない。

 

ただ、ここで、色気っぽくなるには知性が必要だが、知性があるからって、必ずしも、色っぽくなれるわけではないことに気がつかなければいけない。

 

知性があって、信念がある人であっても、色っぽくない人はいっぱいいるし、むしろその方が、多い気がする。知性がある人が全員色っぽいって言ったら、学問の世界にいる研究者たちはみんな色っぽいことになって、そんなのは明らかに、おかしい。そんな研究室行きたくないし、講演とかも絶対頭に入ってこない!

 

じゃあ、なんなんだよ、と、いうことなのだが、

結局、「素」なんだ。

 

わたし自身は、これに気がついて、少しだけ、ほっとした。

 

「知性」というものに、他の要因が合わさって、派生した先が、たまたま、「色気」になるのだ。

 

本当は、色気があるかないか、の議論にはならなくって、

自分にはどんな色があって、その色がちょうど「色気」だった、そうじゃなかった、という話なのだ。

 

人の性格とかって、とても、複雑だ。感情とか、感性とか、表現の仕方とか、全部含めて、同じものなんて、存在しない。たとえていうなら、ひとりひとりばらばらの、「水彩絵の具」のパレットを、持っている感じ。色の種類も、一色の量も、ばらばらの、「水彩絵の具」。それを、それぞれの個性で混ぜたり、水で溶かしたり、乾いたところにさらに重ねたりしながら、自分の中身をつくっていく。その結果、できあがった色の1つが、「色気」なんだと思う。「色気」が、あるか、ないか、の話ではなくて、たくさんできる色のうちの1つが「色気」というだけなのだ。だから、色気がないって嘆く人には、別の色がちゃんとあるのだ。その人にしかない、たった一つの、特別な色が。そして、それでも色気が欲しかったら、何かのきっかけで色が加わったり、溶かされたりしたとき、もしかしたら、「色気」に変化するかもしれない。その時のために、自分の内にあるパレットに、いろいろな色を用意しておく努力は、きっと無駄ではないはずだ。そして、「色気」に限らず、なりたい自分が見えた時、それらはきっと、役に立つ。

 

それから、美術好きな人は、気がついてくれたかもしれないけれど、「水彩絵の具」なのだ。ポスターカラーははっきりしているけれど、人の人生を表すには味気ない。油絵の具は、半永久的に色あせないけれど、重ねた色は下の色を覆って、下の色は、見えないことはあっても、消えない。一色なんてつまらないし、嬉しい色は見せたいし、哀しいことがずっと濃く残り続けているのは、苦しい。でも、水彩絵の具は、程よく、程よく、混ざり合う。過ごしてきた時間が自分をつくっていくように。あまりにも悲しい出来事は、水で優しく薄められ、他の色が溶け合って、きっと穏やかな色に変わっていく。悪い心が付けた色は、全部消えることはないから、まっすぐ生きよう、そう思える。ずっと信じ続けた夢の色に、出会った人が滴を落とせば、ふわっと、花が開くかもしれない。そして、凛とした色に、すっ、と何かの色が入った時、きっと、色気が、生まれるんだ。その人だけが知っている色が入ったときに、生まれるんだ。そして、生まれたばかりの色が溶けた水が、空気に溶け込むのに紛れて、「気」として漂って、いくのである。

 

わたしに色気がないのは、もう少し、いや、もっとがんばれよ、というお告げなのかもしれない。わたしの色が、これから「色気」なってくれるのか、はたまた別の色が欲しくなるのか、今のわたしには、わからない。

 

言いそびれたけれど、きっと、本当の大人たち、わたしよりずっと長い時間を、大切に、大切に、生きてきた人たちは、自分のパレットを使いこなして、自分に必要な色を作り出している。だからこそ、色気のある人、他の魅力的な色をもった人、様々な人が、いるのだろう。

 

ただ、どんな色をもつにせよ、きっと、「素敵な大人」になるためには、知性を磨いていくことが、大切なのだ。

 

だから、わたしは、

大人の女になるために、

大切に、大切に、生きていくために、

今も、これからも、こうやって文章を綴っていこう、そう、思った。

 

 

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2016-12-14 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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