プロフェッショナル・ゼミ

手フェチの愛する筆記体 《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:村井 武 (プロフェッショナル・ゼミ)

「あの、これ何て読むんでしょうか」

職場の若者が英語で書いたメール案を見てほしい、とプリントアウトした原案を持ってきたので、手書きで修正を加えて返した。しばらく自席で私の手書き英語を眺めていた若者は私のデスクにおずおずと近づき、そう尋ねた。

あぁ、字が汚くて読めないっていうことね。悪い、悪い。

「……ごめんねー、僕の字が汚くてさー。どこが読めない?」
「まず、ここは」
「うーん、We respectfullyだよ。ちょっと殴り書きになってるから読みにくいよね。ごめんね」
「あ、なるほど。それでですね、ここは?」
「request……」

これ、読めないかなぁ。結構丁寧に書いたよ、とつぶやく私の内心が伝わったか、若者は申し訳なさそうに続ける。

「すいません。あと、ここからここまでは?」
「……ん? つまり僕が加筆した文章の9割がた読めないっていうこと?」
「すいません、すいません」
「あ、いやいや、謝ってほしいわけじゃなくてね。確かに僕の字は汚いけどさ、これはあなたに読んでもらうものだと思うから、結構丁寧に書いた方なんだけどなー。ここも読めないんだよね? これ以上丁寧に書くとするともう僕は活字体でカキカキっと書くしかないんだけど、それだと筆記体と比べて1.5倍くらいは時間がかかるんだよね。丁寧に書いても筆記体だとクセは出ちゃうけど、そこはお互い慣れるしかないかなーと思うんだけどさ……どうだろ」

「あの、自分、筆記体を習ってなくって」

え?

「中学校でみんなやるでしょ?」
「いや、習ってないんです」
「うそー!」

つい声が大きくなる。
周囲の目がこちらに向いた。

問い詰めるには酷な特殊事情が、彼にあるのかもしれない。

「ちょっと待って」

デスクの上のPCに向かい、Googleで
「筆記体 習ってない」
を検索。

出てくる、出てくる。

素人同士の質問、回答やコメントを除いてたどり着いたのは有名学習雑誌の出版社のサイト記事。多分信頼性は一番高い。

居心地の悪そうな若者を横に、記事に目を走らせる。へー、そんなことになってたのか。

ごくざっくりいうと昭和生まれまでは、中学校の英語で筆記体が必修だったが、平成生まれの人々が中学生になったころから筆記体を教えるかどうかは、教師の裁量になっている、という。

必修から外された理由は生徒の学習負担への配慮とある。いわゆるゆとり教育でギアが変わり、筆記体は「負担」とされて英語の授業から一応消えたらしい。

記事には、アメリカでも筆記体は廃れつつあるというTime誌の記事へのリンクも貼ってある。

ホントか?

リンクを辿ると英語で「手書きの死を悼む」というタイトル。記事は「私は筆記体で大文字のZをどう書くのか思い出せない」というライターの告白で始まる。むむむ。

「あー、ほんとだ。今の英語では必修ではないんだね。ごめんね」
「いえ、26文字の大文字、小文字ですから、覚えます」
「うーん、そうしてもらえると助かるかな。ありがと」

筆記体、常識だよな……とつぶやいて、いや、時代に取り残されているのはこっちかもしれない、と思い返した。そうだ、私も時代に取り残された世代を見てきたのだ。

私が社会に出たのは、ワープロ専用機とPCとが職場に普及し始めた時代だった。ワープロなどの新しい技術は「清書用の機械です。これで一から文書を作るのは時間の無駄です」と集合研修で教わった。

実際、配属された職場では手書きで原稿を書き、アシスタントに「これ、ワープロで清書して」と指示するおじさんたちがいっぱいいた。

「ワープロだと時間かかりすぎるからさ」
先輩たちはそう言って、自らPCやワープロに触ろうとはしなかった。

私は、学生時代、英文タイプの指使いを学んでいたので、キーボードに触ることに抵抗はなかった。そして、おじさんたちが使わないので職場に数台置かれていた共用のPCは大抵いつも空いていて、使い放題状態だった。

ワープロソフトのフロッピーディスクを読み込ませ、PCをワープロとして起動する。基本的にはタイプライターと似たような指使いができれば足りるみたい。それまでPCに触ったことはなかったが、マニュアルと首っ引きで二日、三日いじってみると大体の使い方はわかった。うっかり「ローマ字かな漢字変換」の説明を読み飛ばしてしまったので、ローマ字を日本語に変換できる機能があるとは知らず、結果的に日本語は五十音打ちになってしまった。今でも日本語は五十音を全部打ち込んでいるけれども、そんなに苦にはならなかった。(そして、今、私は五十音かな変換で打てる自分を八割がた誇りに思っている。無駄な自慢である。)

初めてワープロソフトを起動してから一週間ほど経つと、文書を作成するときには、紙に下書きをする手順を飛ばして、いきなりPCの前に座るようになっていた。慣れるにつれて、思考とキーボードの指使いとがシンクロしていき、私の中では文字を書くことはキーボードをたたくことと同義となった。考えながら、それをそのまま文字化していく。キーの打ち込みはどんどん速くなり、速撃ちが過ぎて、当時のワープロソフトの処理機能を追い越し、しょっちゅう貧弱なCPUをフリーズさせるほどになった。当時はハードディスクというものがなかったので、CPUはいちいちプログラムとデータとをフロッピーディスクから読みこんでいた。私の打鍵はフロッピーの回転に混乱を与えるほど速かった。そんな大昔のことだ。

この頃気付いたのは、私は自分の手指が、新しい動きを覚えることに、殆ど肉感的といってよいほどの快感を感じることだった。キーボードを指に覚えさせて、思考の速度で高速に叩くこと。ドーパミンが出るほど気持ちがいい。学生時代に英文タイプを「英文タイプ教本」を見ながら独習したときにも、それは感じていた。

私が器用という訳ではない。自分の手指の動きのバリエーションが増えること、そして人の手指の動きを見ることが好きなのだ。有体に手フェチ、指フェチである。

健康法としても流行した指回し体操にハマり「うわ、なにそれ。気持ち悪ーい」と言われるほど高速で指を回せるまで毎日毎日練習したのも、それが、ただただ、快感だったからだ。トレンドが変わった今も指回しは私の生活の中でもっとも基本的な動作の一つになっているので、うっかり人前で指回しをして「宗教の儀式?」と怪訝そうに聞かれることも間々ある。

私が好きでキーボードと戯れ、ワープロ使いになったことを知った職場の先輩たちからは、アシスタントの手がいっぱいになっているときに「ムライくーん、ちょっとこれ、ちゃっちゃっとワープロで打ってくれる」と頼まれることもよくあった。

自分で打った方が、速いのになぁ、と思いながら、先輩諸氏の手書きの文字をワープロに打ち込み続けた。

「できました。チェックお願いします」
「悪い。ここ、ちょっと直して。あと、ここもう少しカッコよくなんないのかな」
「あ、文書のタイトルだけ、センタリングすればいいと思います。あとこれは外字で作りますね」
「センタ……? あ、なんでもいいや。頼むね」

キーボードに慣れちゃえば、その場で自分で修正できるのになぁ、と思いながら、ワープロを使えること自体一つの技能だった時代なので、ちょっとした優越感もありつつ、先輩が満足するまで修正を続けた。

キーボードを敬遠した先輩諸氏は、社内に電子メールが導入されたとき(大型コンピュータメーカーだったので導入は早かった。インターネット普及の10年くらい前のこと)、キーボードを打てないと、日本語だろうが、英語だろうがコミュニケーションから取り残されることに気付いて、やっと、覚束ない手つきでPCに向き合い始めた。

別のオフィスにいる先輩から電話がかかってきたこともある。
「ムライくん、ちょっとごめん。zのキーってどこにあるんだっけ?」
「一番下の段……左下でーす」

そんな会話も珍しくはなかった。早く覚えておけば、こんなに苦労しなかったでしょうにー、とも思った。

さて、時が下って、「筆記体習ってないの?」と驚きつつ、ムダな優越感を感じた私は、「ワープロは清書用機械だから」と思い込んでいたあのときの先輩諸氏になってはいないだろうか。新しいテクノロジーを取り入れなかった先輩と古いテクノロジーを捨てられない私との違いはあるけれど。そう、筆記体は過去のテクノロジーになりかけていることに、今の今まで気づかずにいたのでは。

ちょっと視野を広げて見ると、英語の筆記体どころか、大きな流れとして、オフィスから「紙」が、「手書き」がなくなっている。

重要なメールを印刷出力して紙ファイルに綴じ込むというルールがなくなった。あれこれの文書のレビューも、プリントアウトせずに、ディスプレイ上で行う人が多くなった。共有プリンタの前に何人かが列を作る、という光景もごく少なくなった。印刷出力する必要を感じない人が増えたからだ。

デスクの上のトレイに紙を貯め込む同僚もめっきり減った。「あの書類どこにあったっけ」と聞かれ、「待ってください」と紙の束をばっさ、ばっさとめくって探す若手も減った。みんな、自分の持ち歩くノートPCを開くなりキーワードで検索し、あっという間に目的の書類を探しだしてくれる。ディスプレイをこちらに向けて、あるいは大型ディスプレイにPCをつなげて「これですよね?」と。皆さん、スマートですね……。

ファックスという紙の内容を伝達する機器も使われなくなっている。ビジネスの現場で紙に書かれたものの内容を遠隔地や海外に一番早く送る方法は、つい最近までファックスだった気がするのだが、今はメールにpdfファイル添付だろう。

数十枚の紙を間違いなく送るために、一枚一枚の紙が正しくファックス機に給紙されるのを確認する退屈だけど気を遣う作業とか、ファックスから出力された紙の枚数、頁数を数えて、足りなかったり、途中の頁が折れていたりしたら送り主に電話をかけて「何頁目を送りなおしてください」とお願いする作業も、とんとなくなった。

取引先や他部門とのコミュニケーションはメールになった。メールが多すぎて仕事にならないという声はずいぶん前からあがっていたが、最近ではLINEタイプの、リアルタイムで文章を交換するコミュニケーションツールも増えているみたいだ。当然、入力のためのツールはキーボード。手書きの出番は、まず、ない。

ところが、私は、明らかに「紙」から離れられない。ドキュメントをレビューするときには、お気に入りの青いボールペンを片手に、印刷出力した紙に書き込んでいくし、大事なメールを出すときにも必ず紙に印刷出力して、ボールペンで校正してから送る。メールで送られて来た書類を保管するのも紙にしてホチキスで留めないと気持ちが落ち着かない。デスクの上は、散らかる。

これって、情報処理の方法の流れが変わりつつあるのに、紙とペン、そしてあの先輩諸氏が得意としていた手書きにすがりついていることになる?

「筆記体を知らないだとー?」と驚いた私は、昔「ムライくーん、これ、ワープロ清書お願い」と頼んできた先輩諸氏と同じ立ち位置にいるのではないか。

書くこと、読むことにまつわる技術のあれこれは、様々な側面で時代とともに変化している。

つい最近まで日本の法令のほとんどは文語体、漢字とカタカナ混じりで書かれていた。法律を学ぶ学生は、これが読めて当たり前と言われた。「法律は外国語だと思え」と。この命題は現代でも真理ではあるものの、多くの重要法令は既にひらがな、口語化されている。

日本語の書き文字にしても、私たちの世代で行書や草書の読み書きができる人は、専門的な訓練を受けたか、趣味で覚えた人で、多数派ではないだろう。そんな人が草書、行書を使って手書きしてくれる手紙を見たり、冠婚葬祭の場でさらさら記帳する様子を見たりすると「おお、達筆!」と驚くものの、「ニッチな世界にお住まいですね」という思いも消せない。

今の学生はPCのqwertyキーボードより、スマホやタブレット上のフリック入力に慣れていて、レポートくらい平気でフリック入力で書けてしまうという話は、既に旧聞に属する気配すらある。紙に出力して読み返す習慣もないらしい。かくいう私自身、このライティングゼミの素材は、思いつくたびスマートフォン上のノートにフリック入力している。少しまとまった段落程度なら、ストレスなく入れられるようになった。

かくも、「紙」という手触りのある媒体や「手書き」という手の動きから遠ざかりつつある私たちの暮らしの中で、「英語の筆記体」を中学校で教えることにどれくらいの意味があるのか、と問われると、確かに「負担」でしかないか、と思うところもある。筆記体よりフリック入力の方が、文字表現の基礎知識・素養としてずっと重要な時代になっているのかもしれない。

筆記体を知っているか、知らないかは、世代間のコミュニケーション・ギャップを生んでいる。筆記体を知る世代がこの世から去るとき、消極的パラダイムチェンジが生まれて「あぁ、昔の人は筆記体なんてやってたんだー。覚えること多くてたいへんだったんだねー」という時代が来るのだろう。アメリカ人でも使わなくなっているというのだから。2009年に公にされている先ほどのTime誌の記事には、アメリカ人の筆記体ばなれは日本より早く到来したと読めるくだりがあって、だいたい80年代以降に生まれたアメリカ人の書く文字は「ちょっとだらしなくって、ちょっと子供っぽくって、筆記体で書かれることはまずない」のだそうだ。そして今や、大人が手書きをする場面は、食料品の買い出しリストかポスト・イットのメモくらいだし、と。

時代の流れを読んで、それに遅れない。世代全体についても、個人についても重要なことなのだろうと思う。

でも、ちょっと抵抗してみるなら「紙」に書くという営みは技術と歴史を超えて使い続けられてきた相当普遍性の高い記録の方法だ。

PCの外部媒体として誰もが使っていたフロッピーディスク、今の10代の若者は知らないだろう。「3.5インチで容量は1.4MBでね」などと説明しても「なんで1.4MBをわざわざ記録するんですか。そのちっちゃいコンテンツって何だったんですか」くらい言われかねない。PCが職場や家庭に入り込んで以来、10年を超えて使い続けられた外部記録メディアってあったかな。今はちょっと思いつかない。この点、紙はいくつものテクノロジーのブレイクスルー-それは時に世代間ギャップを生む-を超えてきた安定したメディアなのだ。だから、紙の使用が減っている傾向にもかかわらず、紙という記録媒体が消えて行くことはとても考えにくい。その紙の上に手を使って「書く」という営みもおそらく絶えることはないだろう。

そして、私自身は、筆記体を使い続けることもやめない。日本人もアメリカ人も、誰も読んでくれなくなり、コミュニケーションツールとしての価値がどんどん下がっても、中学校以来、身に付いた筆記体を書くための手指の動きを捨てることはない。

それは、理屈ではなく、身体が筆記体から離れられないから。私が手指フェチだから。中学校のときに筆記体のうねる動きを自分の手に覚えこませたときの快感が忘れられないから。あの興奮を思い出させてくれた、筆記体を知らない世代、ありがとう!

70年代くらいまで、英文タイプを打つ女性の指は、セクシーなものとして認識されていたように記憶している。そんな風景を歌った歌詞もあった気がする。今、男性だろうが、女性だろうが誰もがキーボードを打つ時代、ただやかましくバタバタと叩く人は多いけれども、キーボード上の指を生き物のように優雅に走らせる人もいる。スタバでMac Book Airのキーボードとフェザータッチで戯れているきれいな指の女性なんか、つい見とれてしまう。指に。でも、フリック入力の指の動きには、感じない。多分どんな美しい指がやっても美しくない動きだから。

そんな手指フェチの目からは、英語の筆記体を書くときの指の動き、手の流れは、日本語の楷書や英語の活字体を書くときより、ずっとずっと滑らかで、艶めかしく見える。

サインをするときの署名者の手の動き。手紙の手書き。

さらさら、さらっ。

ちょっと迷って改行、また文頭から流れ出す筆記体。”t”の横棒や”i”の点を打つためにほんの少しペン先を戻すための仕草。

この動き、意識すると見るのも、自分の手指にさせるのも、ちょっとした高揚感。紙との間に本当にわずかの微妙な摩擦を生みながら左から右へと動く手。インクを使うと、ちょっと手首やシャツの袖が汚れたりして。青いインクの染みはフェチ心をさらに衝くからOKなのだ。

人の発言を、自分の思いを、手指に託して左から右へ、流れるように書き連ねる筆記体。使う場面が少なくなって、読んでくれる人がいなくなっても、私は軽い高揚感を感じながら筆記体を使い続けて、筆記体を覚えた自分の手指と一緒にあの世に行きます。

引用記事:
「英語の筆記体って、今は学校で習わないの?」(学研出版サイト 親子のギモンを解決!編集部によくくる質問 [2010年07月21日公開] )
“Mourning the Death of Handwriting “ by Claire Suddath (Time.com [Aug. 03, 2009])

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