人生を賭けて実験をしたおばあちゃんからもらった宝物の話《プロフェッショナル・ゼミ》
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記事:犀(さい)木(き)万葉(かずは)(プロフェッショナル・ゼミ)
「ねぇ、知ってる?」
「ん?」
「自分が生きているのか死んでいるのか判らなくなっちゃう世界があるってこと」
「は? 何だそれ? 色っぽい話?」
「あはは。ごめんごめん。ちょっと違うの」
「じゃあ、何かな?」
「いきなりこんなこと言われたら困っちゃうよね。
あのね、昔ね、15歳の時、おばあちゃんに聞いた話。
ホントにあった話かどうかさえわからないようなよくわからない話だったのに、私ね、
ずっとその時の話が耳に残ってるの。どうしても忘れられなくて、
わたし、あれからずっとおばあちゃんに会う度に話してもらってた。
それは私のおばあちゃんの秘密の話。
それから私とおばあちゃんは秘密の約束をしたの。
今日みたいな満月の夜はおばあちゃんの事を思い出すんだ。それにね、
なんだか、これを話すのは今日なのかなって思えて」
「ほう。秘密の約束……か。興味沸いた!」
彼は目を急にキラキラさせて子どもみたいに身を乗り出してくる。
「へぇ…… 君のそのおばあちゃんって、どっちの?」
「あ、うん。お母さん方の」
「あ。僕も挨拶した事あったよね。ほら、君と付き合いだして2年目くらいで、プロポーズする3ヶ月前位の頃だったと思うけど」
「そういえば、そうだった。会った事あったわね」
「名前は…… モモヨ、モモヨさん!」
「良く覚えてるわね。そ、モモヨおばあちゃんよ」
「で、モモヨさん、どんな話を君にしたの? 朋子。君がずっと忘れられない話って?」
「あ。そうそう、そうね。モモヨおばあちゃんの話はこんな不思議な質問のくだりから始まるの……」
「ねえ朋ちゃん、朋ちゃんはおばあちゃんのこと、どんなおばあちゃんになってもモモヨおばあちゃんだって思う? 私が朋ちゃんの事判らなくなったら朋ちゃんはおばあちゃんの事、どう思う?」
質問の意味がよくわからなかった私はこう答えた。
「ええと、言ってる意味が良くわからないなあ。ねえ、おばあちゃん、朋子はおばあちゃんの事ずっとモモヨおばあちゃんだって思う。だって、モモヨおばあちゃんはモモヨおばあちゃんだもん。それに、モモヨおばあちゃんが私の事判らなくなるってどういうこと? どうして判らなくなっちゃうの? 朋子はずっとおばあちゃんの事大好きに決まってるじゃない。今日のおばあちゃんは変な事ばっか聞くんだね。変だな。どうしたの?」
モモヨおばあちゃんは小さくて華奢な肩をゆっくりすぼめると、一度私の目を見てからキュウっと目を閉じて、口角をゆっくりと上げてクスッと笑った。
「うふふ。やっぱり、変かしら? なんだか最近毎日お天気が良くって気持ちがいい日が続いてるでしょう? 昨日ご近所を散歩していてふと思ったのよ。私はいつまでこうやって元気で穏やかな毎日を過ごせるかしら? いつまでこうやって朋ちゃんとお喋りを楽しめるかしら? ってね。わたし、3週間前に81歳になったわ。もしもよ? いつか私が朋ちゃんの事判らなくなる日が来たとしても朋ちゃんは私に会いに来てくれるかしら? お喋りしようと思ってくれるのかしら? って、そう思ったのよ。
だから今日はね、22歳の時に私が体験した話をしたいと思って。
ねえ、いいかしら? 今私が朋ちゃんに質問した事に関係のある話よ。それから朋ちゃんにお願いしておきたい事もあるの」
私は即座に頷いた。
その日のモモヨおばあちゃんはいつもと少し様子が違っていた。
何だか変な質問ばかりしていたけれど、
81歳のおばあちゃんは15歳だった私に何か大切な事を伝えようとしているように思えた。だから即座に頷いたのだ。どちらかというと、私の意識とは別の何かの働きが起きて頷いてしまっていた、という方が真実に近い。
私が頷いたのを見て、モモヨおばあちゃんは話を始めた。
「私はあの時からずっと頭から離れない事があるのよ。それはね、こんな出来事だった」
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ギシッ、ギシッ、ギシッ……とリズミカルにベッドの軋む音が響く。
また今夜も聞こえる。あの音だ。
うつらうつらしながらボンヤリした頭で思う。
音は近かったり遠かったり何処から聞こえるのかはわからない。けど、
ここに来てから毎晩のように耳にする音。
時計を見ると深夜1時頃。消灯されて真っ暗な部屋には大きな窓から月明かりの明るい光が差し込んでいる。美しい。
暫くするとパタパタパタパタ……
と、数人の足音と人のヒソヒソと喋る声が聞こえてくるのだった。
フロアは広くて音が良く響く。夜になると特に。
ピッピッピッピ……というモニターの音と共に、いろいろな音が聞こえた。
ここは病院。
私はこの時入院していた。
病院の入院病棟というのは世間から断絶されて急に別世界になる不思議な空間だ。
入院してすぐの頃は特に、時間が止まってしまったのかと思うほど刻はゆっくりゆっくりと流れていた。
寝たりテレビを見たりして過ごす。本を読みたいところだが、その頃の私は目を使うのが酷く疲れてしまう為に本を読む集中力も気力もあまりなかった。動かないわりには多すぎる一日三度の食事は眠気をさそったが、殆ど寝ているのはそのせいだけではなかった。
体に異変を感じ始めたのは大学3年の頃から。
さいきん、なんだかまっすぐに歩けない。それに、やたらと眠たい。
夜はちゃんと寝ているはずなのに。へんなの。
まあ大したことないだろうと放置していたある日、
私は横断歩道で意識を失った。
意識を失っていきつつある中、頭にボンヤリと浮かんだのは
ああ、これが重力ってやつなんだ……ってこと。
同時に力が抜けて身体が崩れ落ちていった。
その時の記憶はまるで映画のスローモーションのようで
自分の身体なのに自分の事じゃないような、そんな変な感じだった事を覚えている。
全身の力が抜けて重力のもとで身体が崩れ落ちていくってこういうことなんだ、と
演技の稽古で力を抜く練習があった事を思い出し、コレ、模範になるよねえ、とか急にそんな事が閃いた。こんな時に何言ってるんだろ、わたしったら。と、ちょっぴり可笑しくなったりして。
時間にしたら1秒にも満たないような事のはずなのに私の中では長い長い自分との対話が続いていた。膝がガクンと折れ、操り人形の糸の全てが緩んだかのように身体がドサーッと崩れていく。
そして、私はアスファルトに頭を強打した。
意識が戻った時、
頭が地面にくっついたまま見たその風景は変だった。
車道を往来している沢山の車のタイヤとアスファルトとの接地面がよく見える。
初めて見る世界のような映像だった。
その目に映る不思議な光景を見ながらボンヤリ思う。
あれ? 私、どうしちゃったんだろう?
私、車に轢かれなかったんだ。生きてるの?
周りに沢山の人がいる。でも誰も助けてくれる人はいない。
私の頭にはこんな事が浮かんでいた。
この状況を無視するほど世間が冷たいとは考えたくないな。
私は誰にも見えない存在、つまり、生きていない人なのだろうか?
検査を受けるとすぐに不調の原因はわかった。
頭のど真ん中に親指大くらいの腫瘍があったのだ。
映像で見せられ病名を付けられた途端、
私は病気の人になった。
主治医からは時期を見て手術するよう言われた。
私はその手術がどの程度のものかを聞いた。
私があまりにシラっと聞いたからなのか、答えはストレートだった。
「ヘタしたら死ぬね」
私の心はピクリとも動じなかった。
あ、そう、死ぬかもしれないのね。くらい。
こうして書いてみるとやっぱりちょっと変かなとは思うけれど、それが当時の正直な気持ちだった。後々知った事だが、この場所にある腫瘍はどの医者も避けたがるのだそうだ。命に関わる場所だから。冗談でも何でもなくあの主治医のセリフは本当だったのだ。
大学やバイトに出ている時間と4年生になってからは論文を書いている以外は殆ど寝ていた。赤ちゃん時代を除いて恐らく一番寝続けた時期だったと思う。そんな生活だからこれが夢なのか現実なのかがわからなくなっていた。寝りにつく時は、次は生きて起きる事ができるかな私、と思いながら意識が遠のいていった。目が醒めると、「あ……。今日も目が醒めた。まだ生きてる。生きて目が醒めたんだ」と思う。そんな毎日だった。
人は死んでも自分が死んだことに気が付かないことがあるのだと聞いた事がある。だから目が醒めて身体を起こした後も、ツネッてみたり、声出してみたりした。
お腹が減るのが一番生きている実感がわく時だった。
頭に霞が掛かったような感じといったらいいだろうか。頭がドーンと重くて意識がハッキリしない。けど目はさめるし生きてるし。その頭のボンヤリ加減がどの程度かというと、出来る事なら今すぐに頭を開けて脳みそを流水でジャブジャブ洗いたいくらい。それほどボンヤリとしていたのだった。
入院してからは社会生活から全てが切り離された事も手伝って時間の感覚がどんどんなくなっていく。この頃の色々は事実なのか夢なのかそれとも別の何かなのか、今でも実はよくわからない。スッポリ抜け落ちている部分もあるし、あっても記憶の全てが曖昧なのだ。
私が入院していたのは脳外科病棟。
ここには脳に何らかのトラブルを抱えた人が入院している。
入院しているのは殆どが高齢者だった。脳の疾患を持つのは一般的には高齢者が多いということだと思う。だから、22歳だった私は間違いなく一番若かったし、変な話だけれど、一番元気だった。
高齢者が入院してくる時は救急車で運ばれてくるような何らかのトラブルがあって即手術をしているケースが殆どだ。手足に管が付いている人もいたし、人工呼吸器が付いている人もいた。だから当然ながら皆安静にしていなくてはならない人たちだ。私はといえば、他の人達から比べたらちょっとフラフラヨロヨロ歩いているだけでまるで問題がない人のようだった。お見舞いに来る家族の人たちは病棟に似つかわしくない若い私を見つけては話しかけてくれた。やはり不思議なのだろう。「なぜ、あなたのような娘さんがここにいるのか?」ということだと思う。
確かに私の頭の中には腫瘍があるのだが、あっけらかんとサラーッと病名を告げるものだからお見舞いに来た家族の人たちは一瞬「え?」って顔をする。「そうなんですって。あはははは」と私はオカシイくらい他人事のように話した。
病室をヨロヨロ歩いていても孫くらい年の離れた私におばあちゃんたちは「綺麗な肌だねえ、豊かな黒髪っていいねえ、綺麗な髪だねえ」と毎日のように言ってくれた。特によく言われたのが豊かな黒髪という言葉だった。その頃の私はピンと来てなかったが、今はさすがにわかる。病人であるとはいえ若さ故の圧倒的なエネルギーの発散というものは存在したのだろう。そうは言っても夢と現を行ったり来たりの日々を過ごす私は決して「元気」という訳ではなかった。
どの状態が現実なのかがもはや区別が付かなくなっていた私にとって区別することにも意味はまるでなく、更に何がおきても何を言われても大して驚かないという私の性質は入院生活で様々な体験を淡々とまるで映画のように記録することになる。それが現実だったのか夢だったのか判断はできない。私にとってはすべて現実に起こったことだったのだけれども。
ある夜、私はいつものアノ音で目が醒めた。
ギシッギシッギシッ
う……ん。……んん??
今日はやたらと音が近いな……
って、いうか。私、揺れてるー?
私の身体はその音と同調するように揺れていた。
なんだなんだ?
目を開けて頭を起こす。
「わ。おじいちゃん? どうしたの?」
見知らぬおじいちゃんが無表情に強張った様子で私のベッドの足元のパイプの部分を両手でムンズと掴んで激しく揺らしていた。どうも、よその病室から抜け出してきたようだ。
声をかけたがおじいちゃんの行動は止まらない。
うーむ。と思っているところに
遠くからパタパタパタパタと当直の看護師さんたちがやってきた。
「もう、○○さん、ダメでしょ? ベッドに帰りましょうね」
おじいちゃんはまだまだ揺らしていたいようだったが、看護師さんにその手を引き剥がされて連れて行かれてしまった。
ああ、このおじいちゃんだったのか。毎夜聞こえるアノ音は。
これをあちこちの部屋でやってるってことなのね、とようやく入院以来の夜の音の謎が解け、納得感とともに再び眠りについたのだった。
また、ある晩は、こんな事があった。
私は誰かが優しい手で私の髪や背中をずっと撫でてくれている夢を見た。
「気持ちいいなあ……」
暖かくて優しくて、
まるで子どもの頃に安心しきって母親に撫でられているような感じ。
私は常にとてもリアルな夢を見る。五感全ての感覚があるのだ。
だから、その時もそうだった。
優しい手の感触、その温度、撫でられている背中で感じる圧……
いや? 待て。
なんだか、なんだか、リアルにも程があるような。
「あ。おばあちゃん? どうしたの?」
ふと振り返るように見ると、
そこには一度も話した事のない同室のおばあちゃんが立っていた。
華奢で色白なそのおばあちゃんはどこか遠くの方を見て無表情なような、でも安らかな様子で私の背中を撫で続けていたのだった。そのおばあちゃんは満足いくまで撫で終わると一人でベッドに帰っていった。
誰を撫でていたんだろう?
おばあちゃんが昔自分の子どもを撫でていたようにしたのかなあ。
今でも感触を思い出すことができる。
あのおばあちゃん、どんな人なんだろう? 優しい手だった。
何事も無かったように私はまた眠りにつき、朝を迎えた。
私は起きるとあのおばあちゃんの様子をちらりと伺う。
布団をすっぽりかぶってまだ寝ているようだった。
当時、脳外科病棟には痴呆の高齢者も何人かいて、夜中に徘徊する人もいたのである。おばあちゃんはもう半年近く家族の誰も見舞いに来ていないという人だった。他の入院患者の旦那さんが教えてくれた。この科に入院している中の何人かはそういう人がいて病院を本来の目的以外で使う家族もいるという。おばあちゃんは何も言わない。けど、同室で同じくらい長く入院している人の家族の人は良く知っていた。
私はなんだか切ない気持ちになった。
きっと家族にもそれなりの事情があるのだろうとは思うのだけれど。
そのおばあちゃんは誰とも喋らなかった。いつも一人で静かだった。
でもある日、私はついにそのおばあちゃんと話をすることになったのだ。
交わした言葉はそれほど多くはないけれど、長い時間ふたりで同じ空間を共有したのだ。
季節は梅雨の頃。その日は暑くもなく寒くもなく、過ごしやすい日だったと思う。
天気も良く、今晩は満月見られるかなぁ。と楽しみにしていたそんな日の晩のこと。
ふと人の気配を感じ病室の中をよく見てみると、そこには月明かりに照らされて床にかがみこんでいるあのおばあちゃんがいた。小さく丸まって屈み込んでじっと動かない。私は様子を見ようとベッドから起きておばあちゃんの様子をそっと見た。するとおばあちゃんはどうも床の上にある何かをじっと見つめているようだった。スリッパにパジャマ姿で両膝を抱え込むような格好をしている。私は取りあえず、おばあちゃんにガウンとニットで編んだショールをかけた。
「おばあちゃん、どうしたの?」
私は訊ねたが、返事は返って来ず、おばあちゃんは穏やかな様子で優しい眼差しをして何かをジーっとみていた。私はお婆ちゃんの視線の先を見た。
そこには月明かりに照らされて蟻の大行列が続いていた。
ここは病室なのに、何故蟻がしかも大行列がいるのか謎ではあるけれど、私はおばあちゃんの横に同じような格好で座ってこう言った。
「蟻の大行列ですね」
だいぶ間はあったけれど、おばあちゃんは
「ええ」と言った。
そして、続けてこうも言ったのだ。
「今日ね、息子が遊びに来たのよ。優しい子でね」
あれ……?
確か、この半年間誰もお見舞いに来ていないって、向かいの奥さんが話してたよね。
それに今日は誰も病室に来ていなかったと思ったけど…… 違うのかなあ。
私は黙って続きを聴いた。
「あの子も小さい頃はよくこうやって地面の小さな生きものの様子をジーっと見ていたものよ。何が楽しいのかさっぱりわからなかったけど、今は何となくわかるわ。こうして見ていると心が休まるもの」
おばあちゃんは優しい声でそう言った。
「私、蟻の大行列、初めて見ました。何してるんでしょうね」
「うふふ。蟻さんたち、きっとお引越しなさるのよ」
おばあちゃんは益々目を細めながら優しい眼差しで蟻達に見入っているのだった。
もう30分以上いつまでも飽きることなく見ていたおばあちゃんを私はベッドに連れて帰った。身体が冷えてきていたから。ベッドに入る時にお婆ちゃんはつぶやいた。
「蟻さんたちもお引越しなさるのね……」
おばあちゃんの言葉が気になりながら私もそのままベッドに入ったのだった。
翌朝目覚めると、
おばあちゃんはあれからまた喋らない人となっていた。
毎日決まった時間に体温と血圧をはかりにくる看護師さんたちとも目を合わさず、無表情にただそれを受け入れていた。
青白い満月の明かりに照らされていたあの時間は異空間だったようにも思える。
アレが現実だったのか夢だったのかわからないのだけれど、私の心に焼き付いていることだけは確かだった。
その夜の事が私の心に一層留まることになるのは、後日、同室の人にあのおばあちゃんの息子さんがちょうどあの満月の晩の頃に亡くなっていた話を聞いたからだった。心臓発作を起こして入院しそのまま亡くなったのだそうだ。海外駐在員としてずっと日本を離れていた最中のできごと。
そんな大事がおばあちゃんに知らされないことにも私は切なさを感じずにはいられなかった。家族や周囲の人は伝えても無駄だと思うのだろうか? 言葉は伝わらないと思っているのだろうか? 私はおばあちゃんはちゃんと理解しているように思う。そして、おばあちゃんはハッキリした意識とそうではない世界を行き来しながら生活する中で、心の奥深いところで愛する息子とコンタクトを取ったのだと思っている。肉体を伴っていたかどうかはさておき、息子さんは確かにおばあちゃんを訪ねたのであろうと。
生きているのか死んでいるのか、起きているのか寝ているのか自分でわからなくなる体験をした私だからこそ、そう思うのかもしれないけれど、この体験は、今まで私の心の中にしまっておいたとっておきの秘密なのだ。
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モモヨおばあちゃんはここまでを一気に話し終えると、こんな事を言った。
「入院中に見た痴呆と言われるおじいちゃんもおばあちゃんも意識の状態はその時々でまちまちのようだったわ。ハッキリと全てを認識している時もあればこちらからすると話がうまくかみ合わなくなる事もあったの。私は入院中に色んな場面に出くわすにつれてある考えが頭に浮かんできていたの。もしかすると……。
もしかすると、痴呆はこの世からの旅の始まりなのかもしれない、と。
医学的な事はもちろん本当のところはわからないのだけれど、私が同じ病棟で現実と夢を行ったり来たりしていた体験と感覚から考えると、もしかしたら、痴呆と呼ばれる現象も似たような事が起きているのではないかと思ったの」
「ふうん」
「とはいえ、肉親や近しい人の痴呆っていうのはなかなか認めがたいものだと思うのよ。遠い人ならともかく特に肉親の事はね。親子の歴史をそのままその場に持ち込むとつらいわよね。だって子どもの頃の優しいお母さんやお父さんの姿のイメージが強烈だから。愛着があるから。でもね、思ったの。もしも、もしもよ? もし、その人はもう半分別の世界の住人になったのだと思えたらどうかしら? 少しは楽になるかしら? ってね」
どんどん進んでいく話に困惑気味だった私の様子に気づいたモモヨおばあちゃんは一度だけ私を気遣うように「朋ちゃん、大丈夫?」と訊ねた。
ふう、と、私が一呼吸して微笑み返すのを見ると、おばあちゃんは更にこう言ったのである。
「朋ちゃんにお願いがあるの」
「22の時に体験して今までこの事は誰にも話さなかった。本当の事は若い私にはわかりっこなかったんだもの。でもね、私も81。あの頃のおばあちゃんたちと同じ年代になってようやくできることがあるわ」
モモヨおばあちゃんの目は真剣だった。
モモヨおばあちゃんは年齢と共に自分の身に今後起き得る事、この世を去る時の事までを説明し、それがやってきた時の私や残された家族の心構えについての話をした。そして、私がモモヨおばあちゃんとの約束を無事に果たし終えたら、いつかその体験を必要な人に話してあげなさいと言ったのだった。
「ねえ、モモヨおばあちゃん。それ、私にできるかな。
モモヨおばあちゃんの今の話、とても大切なその話、
朋子はよくわかったからちょっと心配になるの。
ねえ、それ、朋子にできるのかな……
ひとつ聞いていい?
他にも孫はいるのに、どうして私にそれを話すの?」
おばあちゃんはニコっとして言った。
「それは朋ちゃんが私ととても感覚が近かったから。あなた、小さい頃から見た夢の話をよく私にしてくれたでしょう? あまりにリアル過ぎる夢を見るものだから起きている時と寝ている時とどちらが現実なのかが判らなくなる時があるって。だからきっと私の体験した話を理解しやすいと思ったのよ」
「そうか。うん。モモヨおばあちゃんの話、私、よくわかったもの」
「で、どう? 朋ちゃん、引き受けてくれるかしら?」
私はモモヨおばあちゃんの気持ちを聞いて心を引き締めるように一息吸って答えた。
「うん、わかった。できるだけの事はやってみるよ」
彼は私の長い話をずっと聞いてくれていた。
「ふう」
私は一気に話し終わると息をついた。
「これがモモヨおばあちゃんとの話。
こうして私はモモヨおばあちゃんの人生をかけた実験のお手伝いをすることになったの。
モモヨおばあちゃんは徐々に物忘れが進んでいったし自分で言っていたように意識が現実とそうでない世界を行き来するようになっていった。おばあちゃんは意識が現実に戻ってくると、その間自分に何が起こっているのか、その時、どんなふうに感じているのか、その様子を事細かに教えてくれた。おばあちゃんが最後まで意識がほぼハッキリしていたのは私との秘密の約束があったから、出来る限りの事を私に伝えたいという強い気持ちがあったからなのだと思う。おばあちゃんが旅立つまでの毎日の会話は物凄く濃密な情報の嵐だった。亡くなる数日前からおばあちゃんは自分があと何日かという事をわかるのだと言っていた。そして、最後に会ったその日、帰り際におばあちゃんは『これで全部よ。私の時間が終わるわ。ありがとう、引き受けてくれて。これでお別れね。朋ちゃん』と言ったの。おばあちゃんはその夜、お休みの挨拶を家族にしてそのまま二度と目を開ける事はなかったそうよ。おばあちゃんは若い頃の体験と抱いてきた疑問を自分の人生を賭けて確かめようとした。そしてそれを私に全て伝えてくれたのよ。自分の意識の中で起こる細かな様子の全てをね。これは私にとってかけがえのない宝物そのものなのよ」
彼はただ聴いていてくれた。
しばらく1点を見つめていたかと思うと、
ゆっくりと一度目を閉じてから、こう言った。
「朋子。話してくれてありがとう。モモヨさんの言っていたこともわかったし、君の事ももっとわかったよ。君のルーツにはモモヨさんの存在があったんだね。君が臨床心理士になった理由も病院で高齢者とその家族のカウンセリングをしている理由もとてもよくわかったよ」
「私こそ、聴いてくれてありがとう」
「君がいつも言ってる夢か現実かわからなくなるって話は少しわかった。
生きてるのか死んでるのかわからなくなる世界っていうのは……まだわからないけれど、
そういう世界に住んでいる人達がいるんだってことはわかったよ」
そして、ひとこと付け加えてこう言った。
「うちの父さんが、そう、なのか……?」
「いえ、そう言っているわけではないの。ただ、私たちの親だっていつかそうなる可能性があるから。だから、いつかの為にこの話をあなたと共有したかった」
彼が黙って考えている様子だったので、
私は伸びをしながらこういった。
「ん~! じゃ、今月の夜伽話はこれくらいでお開きにしますか」
私たち夫婦には結婚する時1つだけ決めたルールがあった。
月に一度は必ず長い時間話をする時間を作ること。どんなに忙しくても必ず一晩時間を作るのだ。だから毎月どんな仕事よりもまず最初にこれを確保する。それが、毎月、寝室のベッドの上で持つこの時間。寝室は間接照明だけにしてホテルのバーよりも少し暗いくらいの親密な空間を作ってお互いの話をじっくりとするのである。時間は無制限。話したい方が話したいだけ話す。聴く側に回ったほうはただひたすらじっくりと話に耳を傾けるのだ。
ふと見ると、寝室の時計は午前3時を回ったところだった。
大きな窓から満月の月明かりが部屋の中を青白く照らしている。
人々も動物も植物も全ての活動を休止しているかのようなシーンとした静寂な時間。
私はいつか彼に話そうと思っていた話をようやくできたことでとても心が安らいでいた。
話す時が来た、という意味を彼は汲み取ることができただろうか。ちゃんと伝えることができただろうか。
「さあ、そろそろ寝ようか」
「そうね」
クッションと枕の位置を整えて、ベッドの中に潜り込む。
私達はこの日いつもよりお互いの身体をくっつけていた。
「な、朋子。僕はこうやって君の体温を感じてるだけで現実だってわかると思ってるけど、君の話からすると、それも違うかもしれない可能性もあるってことだよね」
「んー。まあ、そうかもしれないわね」
彼は何かを考えているのか無言で天井を見つめている。
私は彼の瞳に映り込んでいる満月の光をぼうっと見ていた。
「今の私たちの生活も現実じゃないかもよ~?」
私はちょっとふざけて言った。
「ね、朋子」
彼は私の方に向き直って私の顔をジッと見て言った。
「あのね、朋子。君の言っていることは良くわかるんだよ。でもね、ひとつだけハッキリと言っておくよ。僕にとってはそれが現実だろうが夢だろうがどちらでもいいって思ってるってこと」
「ん?」
私は目を擦りながら聞き返した。
「僕は君と一緒にいれさえすればそれでいい。それこそが僕の幸せだから」
彼はそう言うとクルリと背中を向けてしまった。
不意を突かれてドキドキしながら彼の背中から言う。
「あ、何、その言い逃げ!」
もう! 何よ、人が真面目に話したのに。
15秒ほどの沈黙のあと、
彼はこちらに向き直って私の手を握ってこう言った。
小さな声で。
「ありがとう……朋子」
と。
あ……!
良かった。
モモヨおばあちゃん!
伝わったよ。
必要な人に。
大切な人に。
部屋に差し込む月明かりを眺めながら
もう片方の手を添えて私は彼の手を握り返した。
その夜、心の内をはなし続けてちょっと疲れた私は
改めてモモヨおばあちゃんからもらった宝物の大切さを想い、
彼の告白を心に抱き、幸せな気持ちいっぱいで
甘えるようにして眠りについたのだった。
私もいつかモモヨおばあちゃんみたいに人生を賭けて
人に大切な話を伝えられるような人になろうと決意した夜だった。
心のうちを共有することができる愛するパートナーがいる幸せを
感じながら。
※この話はフィクションです
***
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