憂鬱の恋人
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記事:長谷川 賀子(ライティング・ゼミ)
※このお話は、フィクションです。
「ねえ、どうしていつもそんな顔してるの?」
今思えば、いや、今思わなくても、なんて失礼なことを、あの時僕は言ったんだろう。だけど、後悔はしていなかった。この言葉から生まれた勘違いが、君と僕とのはじまりで、「そんな顔」が、僕が彼女を好きな理由になったから。
彼女と出会ったのは、正しく言えば、僕が彼女を認識し始めたのは、大学3年生の頃だったと思う。今からちょうど3年半ほど前。梅雨の季節だった。
僕はその頃、とにかくせわしなく過ごしていた。1年の時から続けていたスポーツサークルでは3年から部長になることは決まっていたけれど、ゼミでもゼミ長をすることなった。授業の合間や放課後に就活イベントに行くために、大学にスーツで行く日も多くなった。やることは増えたけど、バイトは1年の時と同じ時間をこなしていた。3年生になったんだから、頑張らなくちゃいけない。名前の付いた予定や仕事をたくさん抱えていることが、その時の自分の努力の証明の仕方だった。だけど、自分の限界ぎりぎりに、いろいろなことを詰め込んでいることを悟られたくなくて、誘われた遊びや飲み会にはほとんどすべてOKしていた。自分の行動の根底に、どこか「焦り」があったのには、うすうす気が付いていた。自分が守っているものも、安っぽい見栄であることも、どこかで気が付いていたのかもしれない。でも、それと当時に、そんな自分が好きだった。今は当時の自分を殴ったやりたいくらいだけど、あの時は、立ち止まらないで走っている自分が、自慢だった。そして心のどこかで、立ち止まっている人たちを、薄笑っていたのかもしれない。
その日も、僕は走っていた。気持ち的にも身体的にも、走っていた。
じめじめした空気に、せっかく直した緩いくせ毛が立たないように、うざったく降る雨に、買ったばかりのスーツの裾が汚れないように。気を配りながら、走っていた。あと6分。そのバスに乗らないと、間に合わない。そう思って、走っていた。
しかし、どうしたことか、立ち止まらないことがモットーだった僕なのに、その日はうっかりよそ見をしていた。無意識だった。図書館の窓際。開かれた何かの図鑑。ノートの上で止まったペン。そして、頬杖をつく憂鬱そうな瞳。この時の僕が嫌いだったものが、あまり大きくない窓枠の中に転がっていた。身震いがした。急いでいるのによそ見をした自分にも、窓枠に転がったガラクタにも。だから、犬が顔にかかった水を払うみたいに、ぶるぶるっと首を振った。そして、何にも気が付かなかったように、走った。
昨日何事もなかったように今日を迎えたのだけれど、今日もぼんやりした瞳はそこにいた。次の日も、その次の日も、そこにいた。気にしたくなかったそれに、僕は毎日、気が付いていた。
彼女に気が付いてしまう毎日が1週間ほど過ぎた頃、彼女を同じ講義で見かけた。彼女も同じ3年生であることを知った。彼女は瞬きもしないで、手も動かさないで、つまらない話を、ただ、まっすぐ聞いていた。やっぱりあの時見た光景は、僕の嫌いなものだった。
だけど、その後も、僕は彼女が気になって仕方なかった。むしろ余計に気になった。どうしてあんな目をして、ぼんやり座っていれるのだろう。わからなかった。理解できない。他の人たちだって、だんだん進路とか考え始めているのに。無造作に開かれた図鑑の中身は、何なのだろう。そもそもあれは図鑑なのか。あの止まったペンは、何を書こうとしているんだ。というか彼女は毎日楽しいんだろうか・・・・・・。嫌悪感は、どうも、通り越すと、興味にたどりつくらしい。
気になって、仕方ない。
あのぼんやりした瞳が、憂鬱そうな彼女のことが、
気になって、気になって、仕方なかった。
体育館に向かう途中、帰りのバスに走る時、お昼休みの食堂に向かう前。
僕はあの窓枠の中に、僕の大嫌いなものたちがいないかと、探していた。
今日は会えないかと、期待した。
けれど、神様は少し意地悪だった。どうでもいい時には会えるのに、都合よくはいかないものだ。講義で見かけた以来、彼女は窓枠の中には現れなかった。
どんなに覗いても、見つからなかった。
最初見た時、話しかけておけばよかった。講義で会ったとき、連絡先を聞いておいたらよかった。もっとまっすぐ、憂鬱な瞳を見つめていたら、彼女は気が付いてくれただろうか。
今は何の意味もない過去たちが、頭の中を、ぐるぐる回る。
けれど、それ以上の答えは、見つからなかった。
そんな日々が、1か月ほど過ぎていた。
僕は毎日、きっと今日もいないんだろうな、そう思って窓枠の前を通り過ぎていた。
そして今日もいつものように、いないんだろうなと期待しながら、横目でさらっと確かめた。
やっぱり、彼女は、いなかった。
僕は目線を前に戻した。
夕立ちの予感のする空気が、頬にさわった。生暖かい風が、僕の背筋を震わせた。スーツの裏地が、鬱陶しい。おまけに目の前は、憂鬱な瞳。僕の大嫌いなものたちが、夏の夕方を台無しにした。
ん? ダイナシ、憂鬱、カノジョの瞳・・・・・・。
あ。会えた。
図書館の前のベンチで、おぼろげな瞳が空を泳いでいた。両足をペタッと地面につけて、両手は置き場を忘れて、膝の上に置かれたペットボトルは水滴も消えてまずそうだった。
僕の空白の1か月なんて知らないみたいに、彼女は相変わらずだった。僕の嫌いな、大嫌いな、彼女だった。そして、図書館に現れなかった彼女に、僕の夕方を台無しにしたその瞳に、なんとしてでも蹴りをつけてやろうと思った。僕は嫌悪感を勇気に、憂鬱な視界に入り込んだ。
「ねえ、どうしていつもそんな顔してるの?」
彼女は答えなかった。それどころか、僕の顔も見なかった。僕はこんなにも君のことを気にしているのに、憂鬱そうな目のくせに、僕の存在なんて無視だった。
彼女の瞳は空を仰いで、僕の心は地面に倒れそうだった。
「ねえ、どうして・・・・・・」
もう、帰ろう。そう思ったとき、彼女の唇が、ふっと緩んだ。
そして彼女の瞳が、僕を向いた。
「えっ、何? だって、嬉しいんだもん」
「えっ」
彼女の言っている意味が、分からない。なんでいつも憂鬱そうなんだって、聞いているのに。
「えっ、て。だって、片思いが実ったみたい」
いたずらっぽく彼女が笑う。
「えっ」
「だってあなたが聞いたんじゃない」
僕は頭が真っ白になった。初めて会った僕に何て事言うんだろう。憂鬱なんだと思っていたのに、なんでそんな顔するんだろう。どうして、そんなに優しく、笑うんだろう。まるで、朝顔みたいだった。夏の夜の闇を抜けて、朝日にきらきら咲くみたいに。面倒くさいものが溶け込んだみたいな空気から星を見つけて、清々しい光に放つみたいに。彼女は「憂鬱」を味わって、噛み砕いて、そこから深い感情をすくい出しているみたいだった。
僕は言葉が見つからなくて、彼女の方に目をやると、彼女はふわふわ笑っていた。
この時になった初めて、僕は、僕の気持ちに気が付いてしまった。僕は、嫌悪感で動いてなんかいなかったんだ。僕は、彼女のことが、ただ知りたかったんだ。僕とは正反対の彼女に、惹きつけられていたんだ。無意識のうちに、彼女の魅力に見惚れていたんだ。
彼女が、どうして「片思いが実ったみたい」なんて言ったのかは、わからない。どこで僕を知ったのかも知らない。でも、幸運なことに、僕の質問は、彼女の笑顔と重なった。大丈夫。僕は、この運に、かけてみることにした。
「僕、君のことを知りたいんだ。君の名前も知らないけれど、けど、図書館で見かけた君があまりにも綺麗だったから。君、が、好き、だから。僕と、いてくれないかな」
「うん」
彼女は、「はい」なのか「いいえ」なのか分からないような「うん」を言って、しばらく遠くを見ていた。それから、瞼を3回くらいぱちぱちさせた。そして、いろんな色が溶け込んだみたいな瞳を向けて、唇を開いた。
「ありがとう」
この日から、僕は彼女と付き合った。3年半経った今も、僕は彼女と一緒にいる。そして、色々なことがわかった。彼女の名前。彼女の生まれた場所と時間。血液型。あの時読んでた図鑑は、鳥の図鑑だったこと。止まっていた手は、南の方に住んでる鳥を模して描こうとしていたこと。けれどその試みは、鳥のトサカを書いたところで終わったこと。
それだけじゃない。
あのつまらない講義をまっすぐ聞いていたのは、先生の間の取り方と「つまらない」ようにしている言葉使いが面白かったからだった。
僕が彼女を見つけられなかった1か月間も、彼女は図書館にいたこと。僕がカビ臭いと嫌っている場所だった。彼女にとっては、静かで、本の香りがして、一番落ち着く特等席だったらしい。
ぼんやりしているように見えた時間は、僕が今まで切り捨てていたものに目を向けている時間だった。
こんなことまで考えなくてもいいのに。そうやって僕が思った後、彼女は「こんなこと」からとっておきのアイデアを見つけ出していた。
それでも時々大変そうで、仕事から帰った彼女に「大丈夫?」と聞いてみると、「この前私がもやもやしていたこと、後輩の役に立てたんだ」と嬉しそうに返ってきた。
そういう彼女だから、いろんな人に愛されていた。憂鬱な彼女の傍には、「本当」の優しさがたくさんあった。優しさを贈るために、「憂」が「人」を思いやって、「人」も「憂」の傍に寄りそうみたいに。
何より彼女は、自分のことを憂鬱だなんて思ってはいなかった。朝顔みたいに笑いながら、自分は幸せだと、まっすぐに言う人だった。
僕にとっては憂鬱でしかないことが、彼女にとっては幸せの原石に見えるのかもしれない。
「憂鬱」な気分を味わえることは、もしかしたらステータスなのかもしれないと思った。
あっ、それから、恥ずかしいことも知ってしまった。初めて話したときに彼女が言った「片思いが実ったみたい」は、ただの僕の勘違いだったらしい。僕と彼女の話ではなかった。毎日そこに来ていた2羽のスズメたちの恋が実った話だった。それを見た時の彼女の言葉と僕の質問が重なった、ただそれだけのことだった。
でも、それでもよかった。ううん。そうなってよかった。きっと彼女じゃなかったら、噛み合わない会話のままだった。噛み合わない会話が、恋のはじまりに変わることなんてありえなかった。彼女じゃなければ、きっと僕は、ただの変な人と思われて終わりだった。それが彼女だったから、運が降りてきてくれたんだ。
あの日の恥ずかしい勘違いも、今なら軽やかに笑うことができる。
だって、その日から、一秒一秒が宝物みたいになったから。
彼女がそこに、いつも、いるから。
ハンバーグの横のキャベツをお箸でないと食べられないところも、
いつもは言わないくせに雨の日に限って、嬉しそうに「遊びに行こう」って誘うところも、
ぼんやり物思いにふけって、せっかく入れてあげたカフェオレを冷ましてしまう、そんなところも、
その全てが、憂鬱な僕の恋人が、愛おしくてたまらなかった。
それから、憂鬱な世界から嬉しいことを見つけ出す、彼女にとてもわくわくした。
ぼんやりした瞳のあとの、朝顔みたいな笑顔が大好きだった。
君といると、世の中に転がっているガラクタも大事にしてみようかな、そう思えた。
ぼんやりする時間にも、寄り添うことができるようになった。
よそ見をすると、楽しいものが見つかった。
もやもやした気持ちの中にこそ、「大切」が隠れていることを知った。
君と出会う前より、毎日がはちみつ二杯分くらい、幸せになった。
今日も彼女は、窓際に座って、憂鬱な瞳をどこかの世界に踊らせていた。灰色の空から、雪が落ちてきた。ベランダの手すりには、小さく雫が滲んでいる。
彼女の心にはどんな風に映るんだろう。
僕はマグカップをもって、彼女の前に、そっと座った。
ほんのり甘いホットミルクのふたつの湯気が、優しく、優しく、消えていった。
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