化粧を落とすことは、パンツを脱ぐことと同じだ。
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記事:福居ゆかり(ライティング・ゼミ)
「ゆかりちゃん、化粧落とさないの?」
友達がシャワーを片手に、不思議そうな顔でこちらを見る。
「うん、寝る前に落とすからいいや」
私はそう答えると、顔にお湯がかからないよう注意しながら髪を流した。器用だね、私なら結局お湯かかっちゃってもういいや、ってなっちゃうけど。ホントだよねー、と友達同士で話している声が聞こえる。
きっと、他の人も同じように思っているだろう。あれ、なんでこの人、入浴して来たのに化粧したままなんだろう、って。
しかし、私は化粧を落としたくないのだ。正確には、化粧を落とした姿を、できれば人に見られたくないのだ。
どのくらい嫌だろう、と脱衣所でタオルを手にしながら考える。
ふと、手にした下着を見て気がつく。そうだ、私にとって化粧を落とすことは、パンツを脱ぐことと同じだ。むしろ、それ以上かもしれない。
ため息をつくと、そっと顔の水滴を拭い、私は着替え始めた。
子どもの頃から、私には大きなコンプレックスがあった。
色が白く、皮膚が薄い私は肌が弱かった。汗をかいては湿疹ができ、陽に当たりすぎては軽い蕁麻疹が出る。
そして、目の下の皮膚が特に薄く、生まれつき濃いクマがあった。
おかげで、しっかりと睡眠はとっているのに「寝てないの?」と聞かれ、小学生の頃は「パンダちゃん」とあだ名をつけられた。寝ても寝ても、温めても冷やしても、一向にそのクマは薄くならなかった。
クマのことで悪口を言われるのが嫌で、私は人前に出ることを嫌った。元々内向的だった性格はさらに内にこもるようになったが、母に相談しても「大丈夫! 気にし過ぎ」と笑われるだけだったので、相談する相手もいなかった。
一つ違いの妹には、そのクマはなかった。私はそれが心底羨ましかった。妹は顔立ちもかわいらしかったため、「福居の妹はかわいいんだってな」とクラスの男子によく言われた。妹「は」というところに若干ムカッとしながらも、そうかもしれないね、ありがとう、と興味がなさそうに返していた。
中学になる頃には、雑誌で「クマに効く」と書いてあることは一通り試した。高価な美容液は手が出ないので、それ以外の方法を色々やってみたが、ダメだった。
ちょうどその頃、二次性徴が始まり、ニキビが出来始めた。初めは少しだけだったが、年齢が上がると共に頰やおでこなど、ひどくなっていった。高校時代もそれは落ち着かず、私はその両方に苦しめられることになった。
……治せないなら、隠すしかない。
高校はバリバリの進学校で、田舎だったためメイクは禁止だった。しかし、私は「隠したい」という一心でメイクに興味を持った。母には内緒で、こっそりファンデーションやコンシーラーなどを買い集めた。
一度塗ってみると、確かにクマもニキビも目立たなくなった。これはいい、と思ったが、ファンデーションを塗っただけでは顔のパーツが薄くなる。そのまま私は化粧品を集めることにのめり込んだ。
しかし、学校につけていくと「顔を洗ってこい!」と授業中に先生に怒鳴られることはわかっていた。クラスメイトが叱られる様子を見て懲りていた私は、目の下のクマにだけ薄くコンシーラーを塗って行っていた。それだけでも少しはコンプレックスが和らぎ、まっすぐ顔を上げていることができたからだ。
一箇所だけの薄い化粧では先生も気づかず、特にお咎めを受けることもなかった。
大学生になる頃には、ようやく何の制約もなくなった。私はそれまで集めた化粧品を使い、毎日化粧をすることに勤しんだ。ニキビを隠し、クマを隠してくれる化粧は、それだけで私の心の支えだった。
初めは肌をカバーすることだけが目的だった。しかし、次第に化粧方法を学んで行くと、アイメイクでがらりと印象が変わることに気がついた。アイライナーを買い、引こうと思ったがうまく引けず、目の周りは真っ黒になった。
これではパンダちゃんに逆戻りではないか、と嘆きながら化粧を落とす。しかし、化粧がうまく出来るようになればきっと、もっと自分に自信が持てるに違いない。そう思い、私は大学デビューを果たすべく練習したのだった。
そうして、化粧は私の日常となった。どんなに寝坊しても、化粧をしてから大学に行く。それが私のポリシーだった。
目立つクマもニキビも、人にジロジロ見られたくなかったからだった。しかし、講義に遅れて来るのに化粧をしている私は、そのことを揶揄されている声は聞こえないフリをした。
そんなある日、サークルで合宿があった。子どもたちと遊ぶサークルに私は属していたのだが、夏に一度、3日がかりでのキャンプがあった。その下見ということでの前合宿だった。
合宿では、もちろん男女織り交ぜだ。しかも、入浴時間後にミーティングがあった。悩んだものの、先輩ばかりだし、と私は入浴時に化粧を落とした。
すっぴんでは上を向けず、私はミーティング中、ほぼ俯いていた。どうか、誰も私を見ないでください。自意識過剰なだけならいいです、誰も私に気がつかないでください。そう祈りながら過ごした。
ミーティングが終わった後の廊下で、同級生の男子とぶつかりそうになった。下ばかり向いているからだ、と思いつつ、ごめん、と謝る。すると、その男子はわっ、と驚いた後に「えっ、あれ、福ちゃん? 誰かと思った」と大きな声で言った。そして「っていうか、化粧してる時と全然目の大きさが違うのなー。びっくりだわ」と続けた。
女子の先輩がコラ、やめな、と怒ってくれた。けれど、彼は尚も「だって全然違うじゃないですか」と言った。
私はショックだった。
クマばかりではなく、今度は目の大きさ、ときた。確かに普段、アイラインはしっかり引いているし、アイシャドウも塗っている。でも、そんなに濃く塗っているわけではないのに。
「全然違う」と言われたことが、私の中では「化粧で顔を誤魔化していて、詐欺だ」と言われたような気がしていた。
そして、素顔を否定されたような、そんな気分になった。
もちろん、彼はそんな意味で言ったのではないだろう。けれど、そこまでハッキリと違いを指摘されたことが悲しく、そして素顔を晒していることがとてつもなく恥ずかしくなった。
翌日以降、私は寝る前ギリギリまで化粧を落とさなくなった。女子の先輩達が心配し、気にしないでいいよ、と声をかけてくれた。
けれど、私はどうしても化粧を落とせなかった。その時聞いた男子の言葉の方が、本音だと感じたからだった。
それ以降、私は人前で化粧を落とすことが出来なくなったのだった。
しかし、ずっと化粧をしたままではいられない。特に、家では。
付き合う彼氏になんと伝えるか、私はその都度迷った。幸い、歴代の彼氏は「化粧してることと、していないことの違いがよくわからない」という人が多かった。髪型が変わっても気がつかないくらいの鈍感さは、普通の女子なら怒るところなのだろうけれど、私にはありがたかった。
そのうちに私には、どうしてもすっぴんでい続けなくてはならない機会がやってきた。
入院である。
事故にあって数ヶ月間の入院を要した私は、化粧はおろか、ベッドからしばらく動くことすら出来なかった。
最初こそ嫌な気持ちでいたが、ここは開き直るしかない、と慣れることにした。そうしたら、人の目も何も気にならなくなった。
しかし、退院する前にリハビリを兼ねて外出することになった時、それは起こった。
外出に当たって、私は数ヶ月ぶりに化粧をした。気持ち程度だったが、久しぶりにコンプレックスを隠すことが出来た私はホッとしていた。
そうしてそのまま、リハビリ先の作業療法士さん達がいる部屋を訪ねた。
その時の周りの反応を、私は未だにハッキリと覚えている。普段より明らかに、男性職員が声を掛けてくれ、優しかったのだ。「綺麗なお姉さん」とまで言われ、女性職員からは「お化粧教えてもらおうかな」と言われた。
化粧一つで、ここまで反応が違うなんて。
喜んでいいのか悲しんでいいのかわからないが、少なくても私は化粧してないと人目を惹かないのか、と思うとなんだか少し悲しい気分になったのだった。
「えっ、でもそれってさ、化粧映えする顔ってことでしょー? それはいい事だと思うんだけどなあ。
……まあ、もうお互い見慣れちゃったからよくわからないけど」
高校時代の友人であるユミは、そう言いながらお茶を飲んだ。
まあ、そうかもね、と相槌を打ちながら私もお茶を飲む。
ユミが家を建てた、ということで、私ははるばる関西まで足を伸ばしていた。旦那さんも子どもも寝てしまった深夜のリビングで、私たちは2人で話していた。
相変わらず、旦那さんの前で化粧を落とすのを躊躇った私は、2人きりになった後、ユミにその話を切り出したのだった。
化粧映えする顔か、と思う。ずっと「隠す」ことが一番、飾るのは二番、だったので、考えたことがなかった。
「だって、私だってそうだよ」
と、ユミは自分の顔を指差してカラカラと笑った。言われてみれば、ユミも化粧をしている時の印象が違う。
「大学の時さ、化粧してる時としてない時の差がすごい、って友達に言われて。化粧してる所見せて! って言われたことがあるんだよね。
で、いざ数人の前で化粧したら、『なんだ、どんな化粧方法なのかと思ったら、普通じゃん』って逆にビックリされたよ。最初から特に濃くしたり凝ってるわけじゃないよ、って私は言ってるのにさ」
ははは、と2人で笑う。彼女はすっぴんにコンプレックスこそないものの、素顔と化粧後の顔に差があるという点では私と共通していた。コンプレックスがないというだけで、こんなに明るく笑えるものだろうか。私はユミが羨ましかった。
「で、『特殊メイクだねー』って言われてたの。よくない? その呼び方。
なんかいいじゃん、って思って、それからは『特殊メイクだから』って言ってるんだよ」
特殊メイク、というその響きは、なんだかとても面白く聞こえて、私も気に入った。確かに、特別に何かしているわけでもなく、化粧一つでそこまで差が出るようならば「特殊メイク」と言える気もする。
何より、あははと陽気に笑うユミの姿が面白くて、可愛くて、いいな、と思ったのだった。
「そっか、特殊メイク。それいいかも」
そう言うと彼女は、でしょー? とニコニコ笑った。
私も、いつか笑えるかな。こんな風に、明るく、屈託無く。
そんなことを思いながら、自分の顔をそっと撫でたのだった。
それから私は「化粧してると印象が違うね」と言われると、「特殊メイクですから」と笑いながら返している。そう言っていることで、あの夜のユミを思い出し、少しだけ、ほんの少しだけ気持ちが軽くなる気がする。
まだ、ユミのようには笑えない。
でも、いつか心の底から笑えると、そう信じている。
クマは相変わらずだが、ニキビは年齢が上がるにつれなくなった。しかし、まだまだすっぴんでは顔を上げられず、素顔を隠したい気持ちは大きい。
今、いきなり外で「化粧を落として、すっぴんになってください」と言われたらどうだろうか、と考える。「お断りします。パンツを脱ぐくらい嫌なので」と、20代の頃は思っていた。今はどうだろう。けれどやはり、断りたい自分がまだ結構いることに驚く。
これから先、化粧をあまりしなくなる日がいつか来るのだろうか。いつの頃からか、ほぼ化粧をしなくなった自分の母を思い出す。まだその状況を容易に受け入れられない自分は、いつになったら受け入れられるのだろうか。この、顔に対する、どこまでも根深いコンプレックスを。
鏡の前に座る。30年以上付き合った顔は、おおよそ美人とは言えない。けれど何万回、いやそれ以上に見飽きているため、馴染みが深く、愛嬌があるように思える。
いい顔でしょ、といつか胸を張って言えるようになりたいな、と思う。クマがあって、薄くて地味で、年齢とともにシミやシワが増えていっても。
それでも、世界でたった一つの、自分の顔なのだから。
鏡に向かって微笑むと、悪くないじゃないか、そう向こう側の私がこちらに向かって囁くように微笑み返したのが見えた。
*** この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。 「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、WEB天狼院編集部のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。 *この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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