プロフェッショナル・ゼミ

たとえ場違いだと罵られても、わたしはここで生きていく。《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:和智弘子 (プロフェッショナル・ゼミ)

「場違いな場所に、来てしまったな……」
私は最近、痛切に感じていることがある。

自分の力量も分からずに、勢いだけで飛び込んでしまった。
空っぽで、何も持っていない自分自身を痛いほどに感じてしまう。
なんて自分は浅はかなんだろう。
深くて狭い穴を掘って、その中に飛び込んで内側から蓋を閉めてしまいたい。ひっそりと息をひそめて、静かに隠れてしまいたい。

場違いな場所とは、そう、プロフェッショナル・ゼミのことなのだ。

私は2016年10月から開催されたライティングゼミのコースで文章を書く技術を教えてもらっている。
受講したきっかけは、仕事でちょっとした文章を書くこともあるし、少しでも読んでもらえる技術を知りたくなったからだった。
子供のころから文章を書いていたわけでもないし、小説家を目指したことなんて、一度もなかった。恥ずかしい告白をするならば、絵を描くことが好きだった私は小学校の卒業文集に「画家になりたい」なんて書いていた。
これまでに一番長く書いた文章は、おそらく大学の卒業論文だろう。それにしたって、ただデータの整理をしただけのもので、教授に押し付けるような形で無理矢理終わらせた。実際に、大学の卒業式当日の朝に、振り袖姿で「これでお願いします」と中身を読んでもらうこともなく、ぐいっと手渡した時の教授の困り果てた顔は忘れられない。

そんな私が、知人の紹介でアルバイトをはじめ、働き続けるうちに人手不足だから、社員として働かない? と誘ってもらった。そこはデザイン事務所で、主な仕事はパンフレットの制作やwebページを作ることだった。だけど、パンフレットのデザインをするだけではなく、空いたスペースにちょっとした文章を書いてほしいといった依頼もあった。デザインの知識なんて全くないまま社員になってしまった私は、「じゃあ、ここのスペースに500文字くらいで文章書いて」と頼まれるようになった。始めのうちは、見よう見まねでなんとか形にしてきたものの、仕事に慣れてくると悩み始めた。文章を書く勉強なんて、これっぽっちもしていないのに、分かったふりして文章を書いている。こんな文章、誰が読んでくれるんだろう。これまで、500文字とか、800文字とか、書いてと言われるがままに書いてきたけれど、本当にこのままでいいのだろうか。いや、このままじゃダメだ。シロウトがシロウトのまま続けていける仕事じゃないんだと感じていた。
「一回、ちゃんと勉強しないと。このままじゃダメだ」
そう思って、文章を書く講座を探したのだった。

天狼院書店で学ぶことにしたのは、本当に偶然だった。開始時期がちょうど良かったことと、通信受講でも学んで良いと言うところに惹かれた。10月から数ヶ月の間なら、仕事もすこし落ち着いているだろうし、4ヶ月だけ頑張って身に付く技術なら、ちょうどいいや。
そう思って、軽い気持ちで学ぶことにしたのだった。

学びはじめたばかりの頃は、教えてもらった技術がぴたりとハマる感じがとても楽しくて「ああ、書くことって楽しいなあ」なんて、バカみたいに楽観的に書いていた。
ライティングゼミでは毎週2000文字の文章を書いて、Facebookのグループに投稿する。投稿すれば、講師の先生にその文章を講評してもらうことができて、OKが良ければ天狼院書店のwebに掲載してもらえるのだ。
勉強のためにも、とにかく教えてもらった技術を使って2000文字書いてみよう。書いているうちに、上手くなるに違いない。ひとりで文章のパズルを組み立てるように、教えてもらった技術を当てはめながら毎週欠かさずに投稿を続けていた。

しかし、2016年12月から、少しずつ書くことに対しての姿勢が変わってきた。プロフェッショナル・ゼミという、ライティングゼミからランクアプした講座も同時に受講することにしたからだった。

プロフェッショナル・ゼミは受験をして、合格しないと受講資格を得られない。絶対に合格してやるぞ! というような意気込みで受験したわけではなかった。ライティングゼミ自体、まだ半分程度しか講義も受けていなかったけれど、とにかく自分はどこまでやれるのか、試してみようという気持ちだった。今にして思えば、なんと無謀な挑戦をしてしまったのかと思う。

ダメだろうな、という予想に反して、私はプロフェッショナル・ゼミに合格した。
単純に嬉しかった。
自分には手の届かない高嶺の花だと思っていたけれど、思いきって告白したら「じゃあ、付き合ってあげるよ」と学年一番のマドンナと付き合うことになった男子学生のような気持ちで浮かれていた。

プロフェッショナル・ゼミ1期生の人達が書く文章は本当におもしろい。電車の中で読んでいて、あまりのおもしろさに夢中になってしまい、周囲の人達と世界が遮断されたかと思うほどに引き込まれてしまったことが何度もある。文章が紡ぎだす世界に引き込まれすぎて、降りる駅を乗り過ごしてしまったこともある。こんなに夢中にさせてくれる文章を書く人達と一緒に学ぶことができるなんて、ちょっと夢みたいだった。その場所に足を踏み入れることができただけでも嬉しかった。

けれど、その浮かれた気持ちも始めのうちだけだった。
せっかく学んでいるのだからと、毎週欠かさず記事を投稿しては、天狼院書店店主の三浦さんに講評してもらっている。けれど、私の書いた文章は、どうにも上滑りしているものばかりで、講評してもらっているだけで申し訳なくなってくる。忙しい三浦さんの時間を、私のくだらない文章を読むために使わせてしまっているんだと思うようになってきた。
こんなくだらない文章しか、私には書けない。
今週は、もう投稿するのを、止めた方が良いかもな。
ただ、5000文字書いた、というだけではダメなんだから。
劣等感ばかりが自分の中に沸き上がってくる。
こんなことしていても、ただの時間の浪費でしかなくて、もっと「良く書けたもの」を厳選して提出すれば良いのにと思われているかもしれない。

4ヶ月続いたライティングゼミの講義も2017年の1月末にとうとう終了した。達成感もあったけれど、私はその達成感以上に、書くことが怖くなってしまった。学びはじめたころのように無邪気な気持ちで「ああ、書くことってなんて楽しいんだろう」なんて、思えなくなってしまった。

文章を書くことが怖い。
書くことであからさまになる、自分自身の薄っぺらさを自覚することが怖い。
文章を書くことに恐怖すら感じ始めてしまったけれど、ここにきて、ひとつ気付いたこともある。
それは、結局は私の書いている文章は、自分の気持ちを満足させるためだけで、出すだけで快感を覚えているマスターベーションのような文章でしかないのだ。自分を満足させるためだけの文章。山月記に出てくる虚栄心の虎が私の心の中で闊歩していて、居心地が良くなって眠ってしまっているのだろう。虚栄心のかたまりのような文章しか書けないなら、プロフェッショナル・ゼミに所属している資格なんてないんだと痛感しはじめた。ゼミに所属している他の人達が次々とFacebookに投稿する素晴らしくおもしろい文章を読むたびに、自分の薄っぺらさを突きつけられるようで逃げ出したいような、惨めな気持ちになってしまう。

やめてしまうことは、簡単なんだろう。
文章を投稿しないで、ひっそりと息をひそめてしまえば、いいんだと思う。
ああ、あの子はついていけなくてやめたんだな。
そう思われるだけだろう。
ゼミのみんなはハッキリとした目的地がある。私のように自分の気持ちの中でウロウロとさまようことに、時間なんてかけてはいないのだ。

深くて狭い穴を掘って、内側から蓋を閉めて、息をひそめてひっそりとしていれば、いいんだと思う。そうして逃げられるなら、どんなに楽だろう。
だけど、自分で掘った、その深い穴の底から、もしも、じんわりと生暖かい水がしみ出してきたとしたら。私はその水をすくいたいと思うだろうし、その水をきれいに濾過して、飲み水に変えることはできないだろうか? と考えてしまうだろう。

文章を書くことは、水脈を見つけることに似ていると思う。水脈を見つけるために古くからおこなわれているダウジングという方法がある。両手にL字型の棒をもって、その棒が大きく開いたり、二本の棒が閉じるように交差して、大きな反応があれば、その下に水脈があるといわれているものだ。自分の感情や経験のなかでダウジングを行って、文章の水脈を見つけることができれば、そこを深く深く掘ってみるしかない。そこには水脈は見つけられないかもしれないし、水脈を見つけたとしても、あっという間に水は涸れてしまって、一滴の水も湧き出てこなくなるかもしれない。一滴の水も湧き出てこないのだとしたら、もうその穴は諦めて、新しい場所を探してみないといけないのだ。
ひとつの場所に固執してばかりのままではダメなんだ。
新しい水脈が出てきて、見た目がキレイな水だとしても、慌てて口をつけてはいけない。その水を丁寧に濾過して、きちんとした水質検査まで行って、初めて口をつけてもいいんだ。

私は水脈を見つけると慌てて口をつけてしまって、ゲェッと吐き出すような文章ばかり書いていた。だけど、そのことに気付いたとしても、喉が渇いてしまっていたら、慌てて口をつけてしまうかもしれない。

自分の感情に向き合うことは怖い。
自分のこれまでの薄っぺらさを目の前に突きつけられることも怖い。
何度もダメだと言われても、続けていける覚悟が自分にあるのかどうかも分からない。
書くことなんて、やめちゃえば? と、半年前、ライティングゼミを受講する前の私の亡霊が耳元で、ささやき続ける。
提出なんてしなくていいのに。ねえ、今週は出さなくても、大丈夫じゃないの? 一回くらい休んじゃっても、平気だよ。
ちょっと勉強したかっただけなんだから、もうやめても、いいんじゃないの?
亡霊のささやく声が、どこからともなく、聞こえてくるのだ。

けれど、心に決めたことがある。
書くしかない、ということだ。
うじうじと悩んでいるのも自分だし、立ち止まってしまうことも自分次第だ。
練習しなければ、いい結果なんて出せるわけがない。
大相撲の初場所で横綱に昇進した稀勢の里だって、ケガを克服して、稽古につぐ稽古の末にトップに登り詰めたのだ。たとえ周りから遅咲きと言われたとしても、そんなことは関係ない。早く咲こうが、遅く咲こうが、横綱と言うすばらしい地位を手にしたのだから。

私はこれまで文章らしい文章を書いてきた訳でもない。
4ヶ月か5ヶ月学んだだけで何を分かった気になっていたんだろう。
恥ずかしくて仕方がない。
文章を書く才能をみじんも持ち合わせていない私は、他の人の二倍も三倍も、努力しないと結果なんて出せるはずもないんだ。
いまさらながらに気が付いたけれど、いまここで気がついて良かったと心から思う。

私が今座っている席を立って、他の人に譲りさえすれば、あふれんばかりの才能をもった新しい人が座ってくれることになるのだろう。
本当はその方がいいのかもしれない。
座っている場所が違っていると自分で気がついているのなら、しっぽを丸めて出て行った方が良いのかもしれない。
お前の書く文章なんて、誰も望んでいないと罵られるかもしれない。
場違いだから出て行けばいいのにと、石をぶつけられるかもしれない。

だけど、たとえそうだとしても、いまプロフェッショナル・ゼミにいて、学んでいる以上、書くしかないんだ。
ここでやってやるんだとふんどしをギュッと締め直して、恥をかき捨てながらでも図太く生きていくしかないのだ。
そう、自分で、決めたのだから。

***

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