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プロフェッショナル・ゼミ

かつて白黒テレビが単にテレビ、固定電話が単に電話と呼ばれた時代があった。近未来、本屋さんは何と呼ばれるのだろう。《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事: 村井 武 (プロフェッショナル・ゼミ)

今年の初めころ、ツイッター上のタイムラインに
「レトロニム」
という聞き慣れない、見慣れない言葉がちらほら浮かんだ。言葉、言語に関心を持つ人たちの間で、軽く話題になっている感じ*1。

「レトロニム」って薬の名前? 怪獣の名前? 「レトロ」な「ニム」? 「レ」と「ロニム」?

ツイートを読むと、ああ、こういうことか。あるある、と思った。ものごとの呼び方、名前の変遷に関わる現象。

テレビというものが世の中に普及し始めたとき、当時の技術水準から「白黒」「モノクロ」の画面が当然だった。テレビの受像機はテレビジョンを省略してテレビと呼ばれるようになる。このテレビの画面に映る画像は当たり前に白黒だった。

日本でテレビ本放送が始まったのは1953年。本放送で送られてくる番組は白黒のみ。私が子どもの頃、家のテレビは白黒だった。テレビで電波を受信すること自体が、技術的にそう簡単ではなく、NHKには「受信相談」という、テレビやラジオで正しく電波を受信し、放送を見るための困りごと相談のためのテレビ番組があった。番組にはテーマソングもあり、頻度は覚えていないけれども、定期的に放送されていたはずだ。「受信相談」は、「映りが悪くなったらテレビアンテナの方向をこうやって調整する」とか「このつまみで画像を調整できる」とか「アンテナ端子とテレビはこの規格の線を入手してつなぐ」とかいう内容で、テレビも見る人に一定のリテラシーを要求していたのだ。

技術の進歩がテレビを変えた。テレビ画面がカラーになった。日本でのカラー放送開始は1960年だと言われている。しかし、カラー放送を見るためには「カラー」テレビ受信機が必要なのだ。導入されたばかりの技術が大体そうであるように、カラーテレビは高価だった。お金持ちの家でないとカラーテレビは見られなかった。もちろん白黒テレビでカラー番組を見ても白黒でしか見えない。

放送局の側も、いきなりすべての番組をカラーに切り替えたわけではない。新聞のテレビ欄上、カラー放送の番組には「カラー」と注記されていた。我が家はかなり長い間白黒テレビだったので、テレビ欄に「カラー」の文字を見つけると「カラー放送ってどんなにすばらしいものなのだろう」と妄想が広まった。

わが家にカラーテレビが来たのは1960年代後半になってからではなかったか。前の東京オリンピックを「総天然色」で見るために、カラーテレビを買う家が少なくなかったと聞いているので、我が家のカラーテレビ体験は遅い方だったように思う。

期待した割にはカラーテレビ自体にそんなに感動した記憶がない。ただ、画面の下か上に「カラー」と出て、それが実際カラーで映っていることが、誰にともなく誇らしかった。テレビ欄の「カラー」を見ながら「うちでも、これをカラーで見られるんだぞ」とやはり誰かに言って歩きたい気分になった。

1970年代になるとテレビ局が制作し送出する番組の多くがカラーとなった。売られるテレビ受信機もカラーが主流となった。この頃には新聞のテレビ欄からは、「カラー」の文字が消え、むしろわずかに残る白黒番組に「白黒」といった注記がされるようになった。

家庭に導入されるカラーテレビの比率が高くなり、テレビと言えばカラーテレビとなったころから、従来「テレビ」といえば当たり前に白黒テレビを指していたのが、そうはいかなくなった。白黒テレビはことさらに「白黒」テレビと呼ばれるようになった。白黒放送(番組)はやはりことさらに「白黒」放送(番組)あるいは「モノクロ」放送(番組)と呼ばれるようになる。テレビ放送開始時にはあたりまえだった、それしかなかった受信機としての「テレビ」や「テレビ放送」が新たに「白黒」テレビとか「白黒」放送とか呼ばれるようになったのだ。

実体や内容が変わっていないのに、新しい種類のものごとの出現で名前が変わること、これが「レトロニム」と呼ばれている現象なのだという。白黒テレビはその登場のときからずーっと白黒テレビとして変わらず、テレビといえば白黒だったのが、カラーテレビの登場によって、テレビの亜流となり、頭に「白黒」と付けられ名前が変わってしまった。これがテレビについて生じた「レトロニム」。

日本語では「再命名」と呼ばれる事象と重なるようだ。同一の事物が次々再命名されていく現象。*2

もうひとつのレトロニム。携帯電話が出現するまで、電話と言えば、家の壁からの電話線とつながっていて、受話器-電電公社時代、その色は真っ黒一択だった-と本体とがコードでつながれている電話のことだった。電話をかけながら、このコードをくるくる指に巻き付ける仕草が女性らしさとして(ちょっと揶揄的に)取り上げられることもあった。私もクセで、話に夢中になるとコードを指に巻き付ける方だった。右手でくるくるするか、左手でくるくるするかで性格が占えるみたいな話も聞いた記憶がある。

実家暮らしをしていると、家に友だちや恋人から電話がかかってきたときの会話は家族にまる聞こえとなった。電話は壁から出ているコードの長さを超えては動かせないから、家族に聞かれたくない会話はコードの届く限りで家族と離れ(でも、コードの長さはたかが知れている)怪しくヒソヒソ声で話すか、家からの会話をあきらめて公衆電話-これも激減した!-に走るしかなかったのだ。電話は当たり前に家族みんなのものだったから。

携帯電話が登場、普及し、若い人たちが家に電話を設置しなくなると、家から持ち出せない元々の電話は「固定電話」とか「家電話」(いえでんわ)とか呼ばれるようになる。固定電話の中でも1980年代くらいか-記憶が定かでないが-電話機の色にカラーが取り入れられたころには、電電公社から多くの利用者に貸し出されていた黒い電話機は単なる「電話機」から「黒電話」と名前を変えた。

ツイッター上では、他にも「回らないお寿司」とか「無声映画」とか「和服」とかレトロニムの例が挙げられ、言葉にちょっとしたこだわりを持つ人々の間で、軽い大喜利状態を呈していた。私が垣間見たのはこの流れだった。

いささか気の毒な感じがするのは「レッサーパンダ」の事例か。身も蓋もない日本語訳をあててしまうと「小さい方のパンダ」、「小パンダ」、とりようによっては「劣等パンダ」なのだが、元々「パンダ」と言えば、十年近く前に直立して見せて人気を博したこのレッサーパンダのことを意味していたのだという。後に、白黒がらで、笹竹を食らう「人気者」のパンダが発見され人前に登場することにより「パンダ」といえば多くの人が白黒熊猫-ジャイアントパンダを想起するようになり、元々のパンダは「ちびパンダ」と呼ばれるようになってしまったらしい。「レッサー」と呼び始めた人たちに、この初代パンダを下に見る意識があったのか、あるいは今の英語の語感としてそんな意識があるのか、正直わからないけれども、レトロニム、時にはちょっと無情かも。

レトロニムは、常に起こり得るし、多分、今も起きている。それを意識すると時代や歴史の流れが見えてくることがある。

今後、レトロニムが起こるかもしれない言葉が「書店」「本屋さん」。

既に「リアル書店」「リアルの本屋さん」という表現が使われている。もちろん、amazonを筆頭とするオンライン書店が無視できない影響力を持ちだしたため、従来の当たり前の書店を区別する必要が生まれ、使われ始めた表現。

英語にはリアル書店を指すものとして”brick and mortar bookstore”(レンガと漆喰で作られた本屋)という表現がある。英語のweb記事を見るとamazonとの対比で-例えば最近だと「amazonがリアル書店出店へ」という記事の中で-リアル書店を”brick and mortar bookstore”と表現しているものが散見される。これが昔からある表現なのか、amazon以降に生まれたレトロニムなのかは調べかねたけれども、

さらにリアル書店にもう一たびのレトロニムを起こす可能性を持つのが、今は伝統的なリアル書店に分類されるけれども、「『本』だけでなく、その先にある『体験』までを提供する次世代型書店」を標榜する天狼院書店ではないか、と私は体験しつつ、予感している。

天狼院書店では、本を巡るあれこれのイベントが、日々、日常的に生起している。本を求めて、イベントを求めて、経験を求めて、人々が東京、福岡、京都の各店舗に集まる。新しい創作が生まれ、店も顧客も試行錯誤を繰り返す-顧客に試行錯誤をさせてくれるのだ。この本屋さんは!

店主・三浦さんの目には、天狼院書店の未来の姿はくっきり高解像度で見えているという。おそらく、そのスタッフの心にも店主の描くイメージは転写されているのだろう。私の目にはその未来形までは見えないけれど、天狼院書店が自他の変化を恐れないのはわかる。

本との出会いが人生を変えることがあるのは確かだ。ずっと昔から洋の東西を問わず説かれてきた。しかし、天狼院書店は、その変化を加速し、関わる人が変わるための仕掛けを日々、日々企んでいる。変化を体験したり、桟敷席で見られるのが楽しい。

私じしん、天狼院書店の英語のゼミに参加したおかげで、過去30年間「死ぬまでに何とかできればいいけど、まぁ、歳もとっちゃったし、無理だろうなぁ」と半ばあきらめていたささやかな夢-TOEICパーフェクトスコアラー-を三か月で叶えることができた。なんだ、この歳でも変われるんだ。天狼院書店で人生変わっちゃったよ。

同じく天狼院書店が主催するライティング・ゼミでは文章をアウトプットするために、日々の暮らしで、周囲を、自分を見る目が書くための素材を探す「ネタ目」になった。情報処理の入門編では「アウトプットはインプットを規定する」と教えられるが、情報処理システムとしての私も天狼院書店でのアウトプットが日常に組み込まれたために、インプットのための眼差しも変わった。
ライティング・プロフェッショナル・ゼミでは、本気でプロを目指す人びとの熱気と本気に触れて、自分の中のぼんやりした想いにより真剣に向き合う機会も増えた。

ここでも人生変わっちゃったよ。

確かにリアルの本屋さんなのだけれども、確かに新しい。天狼院書店。

いつか、天狼院書店が今よりくっきりと新しい書店の形をとったとき、天狼院書店が独自のカテゴリを構成し、伝統的な「リアルの書店」についてレトロニムが起きるかもしれない。そのとき天狼院書店以外のリアル書店は、どう呼ばれるのだろう。ちょっと楽しみ。

ただ、伝統的なリアルの書店の新しい呼び方が、「リアルの書店って古いよね」みたいな表現にはならないことだけは祈りたい。私を本好きに育ててくれたのは、実家のある地方都市の、品ぞろえも貧弱で、自分では本を読みそうにないおじさん、おばさんがやっていた街の小さな本屋さんなのだ。10年以上前に店をたたんで、実家の10キロ四方には本屋さんが見当たらなくなってしまったけれども、確かに私と本とを近づけてくれたのはあのリアルな本屋さんだったのだ。その本屋さんが揶揄的に、貶められるようなレトロニムは、避けたいなぁ、と思うのだ。言葉もレトロニムも生きものだから、それをコントロールできる人は多分いないのだけれど。

注記
*1 確認できる範囲では、クイズ作家である日高大介氏(@hdkdisk)の2017年1月14日2017年1月14日付ツイートがきっかけと思われる。
*2 鈴木孝夫「語彙の構造」 (鈴木孝夫編「日本語の語彙と表現」(大修館書店)所収)

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この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
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